「少しだけ」のようでも、自分にできる事をしたい
震災で亡くなられた方々に対して心からお悔やみ申し上げます。
また、大切な人を喪ったり。生活の基盤を根底から覆された方々に対しても、地域や社会などコミュニティを通じて今後ますます住み良くなることを心より願っております。
私もカバン一つやほとんど物を持たない状態で人生を三度やり直していますから、少しだけ、その方々の気持ちが理解できるような気がします。
様々な発信を見て、今自分にできることとはなんだろう?
と考えていました。
守秘義務があり、詳しくは言えませんが、被災者の方々に関連し、接する仕事をしていたことがあります。
その仕事は、一生出来ないような経験と、被災地の知られざる実態を知る貴重な機会になりました。
現地の方の思いを直接聞く毎日で、泣き虫の私は涙を堪えられなかったことが多々ありました。
いろんな声を聞きました。
傾聴することしかできませんでした。言葉にならない、何を言っても薄っぺらくなってしまうような気がして、ひたすら耳を傾けました。
•被災地から引っ越ししたが孤独である。
•一家がバラバラになってしまった。
•遠い病院へ通うのが大変だ。
•受験に合格していたのに通えなくなった。
•息子が昇格する予定だった会社を辞めざるを得なくなり、定職に就けない。
•資産がダメになった。
•避難区域から少しずれていて充分な補償が受けられなかった。
本来経験できる予定だった幸せが捻じ曲げられたことへの理不尽に対するやり場のない気持ち、それを誰でもいいから聞いて欲しいというものでした。
震災前には戻れないけれど、それぞれの人なりに前を向いて進もうとしている方もいれば、時間が止まってしまったような方もいて、遠くからでは分からないことがたくさんあると感じました。
これらのことは風化させてはいけないと思います。
今日3月12日は、長野県北部の震災の日です。
3.11だけではないんですね。
千葉県でも、昨年大変な被害がありましたし、現在は新型コロナウイルスで日本は大変な空気感となっています。
昨日のニュースでは、千葉県に義援金35億8千万円が集まったとありました。
私も少しながら職場と街頭のの募金をしました。
この義援金の中に入っています。
3.11の時もでしたが、度々その時出来るだけの募金をしています。
いつか自分もどこかで支援を受けることになるかもしれないですから。
日常でも献血が趣味です。
体が資本でできるボランティアの代表格ですし、待機中の献血ルームの居心地が素晴らしいのです。
その日本赤十字社からメールでこんな知らせが来ていました。
「献血協力者の深刻な減少が続いています!」
おお!行かねば。と思い詳細を読むと、
「●お知らせ
只今、献血者の減少の報道等を受け、多くのご予約をいただいております。
そのため、直近の週末のご予約が取りにくい状況となっておりますので、ご都合よろしければ翌週でのご協力もご検討いただけますと幸いです。」
善意の人殺到ということらしいです。ちょっとほっこりしました。
会社の飲料の自動販売機では、募金機能が付いています。
押すと「ぶーっ!」←(ひらがなで表現するのが相応しいような凄い音なんです)という大きな音が鳴るため、募金をしたことがない人が覗きに来ます。
そこで募金機能の説明をすることになるのですが「知らなかった」「今度やってみる」と反応があります。
最近も、「知らなかったよ!」と声を掛けてくれた先輩が、自販機ルームから手招きして、
「見て!今月こんなに募金されてるよ!」と自販機下部の報告欄を見て一緒に喜びました。
一回にわずか10円、20円ですが、成果が目覚ましかった日は感謝の気持ちで多めに募金を、と続けています。
私は今まで色々な人に助けていただいてここまで来られました。
現在係争中の裁判は、担当刑事さんの私の被害への共感から執念の捜査の賜物で実現しました。
そういった公的機関の方々の、たくさんの支援をいただいてここまで来ても、直接菓子折を渡すこともできないので、せめて社会に少しでも還元したり、目の前で困っている人には少しでも優しい気持ちで出来ることをしたいと思います。
それは自分の罪悪感を減らして、前を向いて生きていく糧にもなります。
現在の世の中は不安で覆われていますが、差別や無理解を無くしていくためにメディアにいたずらに踊らされず、情報を見極めることが大事だと考えています。
そして、個人でも出来る小さなことからでも優しさや思いやりを元に取り組んでいけたらと思います。
画像は福島の春の風景です。
みんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。
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