僕の見方をつくっているもの
僕の行動の源泉(メンタルモデル)は、『愛がない』だったとわかり、
過去の自分の行動や落ち込みの原因に気づいたという話。
恥ずかしながら、僕の考える『愛』の話をしたい。
僕の中で『愛されている』状態は、
笑顔で接してもらえる、特別扱いしてもらえる、
すごいと認めてもらえている など
の状態だった。
それがないと感じた原体験は、
僕に弟ができ、構ってもらえなかったこと。(だと思う)
それまでは、ずっとつきっきりで自分のことを見てくれていた母が、
構ってくれなくなる。話を聴いてほしい、一緒にいて遊んでほしい。
きっとそんな思いがあったのだと思う。
どうにか自分のことを考えてもらうために編み出した戦略が、
『いい子である(愛されるために頑張る)』ことだったんじゃないかな。
今、振り返ってみると、愛がなかったことなんてなかったはずなのに、
自分の見方(パラダイム)とは恐ろしい。
研究室でのこと、就活でのこと、
もっと戻ると、小学校や中学校のこと、
痛みを感じたとき、その理由づけに『やっぱり愛されない』
と言っていただけなんだろうな。
逆に、『愛されていた』と感じるときは、上記にあるような状態だが、
もっと具体的に言うと、母からの愛を独り占めしていたとき
だと思う。
それを友達や恋人、研究室の人たち、企業の人に求めていたのだろう。
だから、『思うように』愛されなかったら、怒っていた。
なんじゃそりゃ。(笑)
愛がない(なかった)わけではなく、『思うように』愛されていなかっただけ。自分の理想が叶っていなかっただけ。
生命があることって愛そのものな気がする。
そんな大切な自分をしっかりと自分が認めて愛せるようになりたいな。
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