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男惚れする格好いい男たち⑦ vol.142

俺がこれまで積み上げた人生や読書感からくる、格好いい人間像について語ってみたい。

さて、秋山好古と秋山真之。

二人は兄弟である。
 
好古が10歳の頃、松山で天地がひっくり返るほどの驚天動地が起こった。

明治維新である。

それがために藩士は困窮を極め、食うや食わずの生活が続いた。

十石取りの秋山家などはとにかく悲惨で、その年生まれた男の子をひもじさの為、寺へ出すことが決まっていた。

好古はそれを抑え、もう少し長じてから自分が面倒みると、少年の身ながら宣言する。

その時、助けた弟が真之である。

真之が腕白だったのに対して、好古はすこぶる学問好きで大人しい少年であった。

だが、彼は日露戦争当時、日本の騎兵を育成し、当時史上最強の騎兵と言われたロシアのコサック騎士団を破るという奇跡を遂げている。

とにかく人に優しい。

人間的には、幼少の頃から穏やかで常に折り目正しく、長じてこの人物が殺戮の巷に身を没する軍人になろうとは、周りの誰もが思わなかったという。

彼はとにかく食うことを考えていた。

男子は生計の道をまず第一に考えるべきである。家族を養い得て、ようやく国家のために尽くす事ができる。

これは『一身独立して、一国独立す。』の、福沢諭吉の考えである。

好古はこのフレーズに生涯を殉じている。

好古のいう国家のために尽くすという思想も、そこに行き着くために、彼なりの人生観というものを作り上げるに至る。

それは『男子は一生にたった一事を成せばたる。』というもの。

たった一事を成すためだったら、余計な雑念は全て不要である。

そのために、敢えて身辺を単純明快しているという考え方。

彼の一生の主眼というのは、すなわち騎兵の育成ということである。

それ以外はすべて余事であるとし、結婚すらも完全に否定し、結婚するとは、片足を棺桶に突っ込みて半死し、進取の気性衰え、退歩を始むとしている。

単純明快であろうとする好古。

その教育方針は全て弟の真之に対して向けられる。

苛烈に教育しようとする好古。

そして、それを苛烈に受容していく真之。

二人の彼方に明治の軍人の一典型を見るようである。

真之が上京して好古の元で住み込みするようになった。

晩飯は真之の方は、漬物とめし。

一方好古の方は漬物と酒。

これだけである。

一つの茶碗に真之のめしと好古の酒を、代わり番こに注いでいく。

好古のいう単純明快さのあり方の一つであった。

好古は言う。

「国家や生き方を複雑に考えていくことも出来るが、それは他人に任せる。それをせねばならぬ職分や天分を持った人間がいるであろう。あしは偶然そういう道を選ばず、軍人としての道を選んだ。軍人とは闘いに勝つために名誉と給料を与えられている人間である。いざ闘いがあれば、どんなことがあっても敵国に勝利しなければならない。だから、負ければ軍人ではない。」

好古の精神の強さは後天的に備わったものであろう。

でもそれは、ある意味先天的な資質を遥かに超えるほどの鍛錬の所産であった。

真之は言う。

「明晰な目的樹立と狂い無き実施方法。それまでのことは頭脳が考える。だがそれを水火の中で実行していくのは、頭脳ではなく性格だ。平素、そういう性格を作っていかなければならない。」

真之の想いは常に好古のことが頭にあったに違いない。

好古は、彼の体内をどんな閃きが走ったのか、数ある弟の中で、真之の未来を担うと宣言した。

だからこそ、二人はともに軍人になるという、電流の響き合い似た感覚を持ち合わせた。

やはりこの男たち、凄さという点では、似たり寄ったり、どっちもどっちである。(終)

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