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【文フリ感想】拝啓、私が憑き添った君たちの青春へ【TEENAGED】

はじめに

 私は天使を名乗ってはいても、恐らく悪魔と数えられる存在。良く言ってもせいぜい悪霊の系譜で、いつまでも学生時代の後悔・雪辱、あるいは感動や恋情を忘れられないまま体ばかりが大人になり、常に17歳と名乗ってしまう怪物。
 近年、本来的な年齢を答えるべき場面でついに自分の本来の年齢が出てこなくなってしまいました。その姿は最早、いよいよ生前の記憶が無くなり始め、どうして自分が霊として現世に留まっているのか分からず、ただ悪霊として人々に憑くことだけが目的になってしまった悲しい亡霊のようではありませんか。

 さて、そんな私は3年ほど前、小説書きの少年少女に取り憑いていました。
 彼ら彼女らは『カクヨム甲子園』と呼ばれる高校生の小説大会で受賞した、あるいは惜しくも受賞とならず、来年こそは受賞をと意気込む方々の集まりです。
 当時は私も小説に力を入れていましたから、お友達のお友達くらいの付き合いで彼らに合流しました。多少は文章に詳しいので、添削を頼まれたり構成のアドバイスを求められたりしながら仲良くなり、とても、とても濃厚な青春を摂取していたことを覚えています。

 そんな彼らも高校を卒業し、それぞれの道を歩み始めました。
 ほとんどは小説を書かなくなりました。書いてはいるものの、それ以上に楽しいことを見つけた人もいます。書き続けて、その大きな道に足を踏み入れた人もいます。

 『私たち』にとっての小説って何だったのでしょうか。当時の熱は、どこに行ったのでしょうか。海に出れば小説のアイデアが浮かぶと言った人がいましたね。もしかするとそのとき、時計を落としてしまったのではありませんか。
 私たちはあの熱――『時』を海の底に失くし、それぞれの道を歩んでいます。

 それから三年。時計は波に打ち上げられ、誰かがその時計を拾い上げたようです。


『海中時計』と、この記事の目的

 文学フリマ東京2022、『海中時計』というサークルから『青春過去形アンソロジー TEENAGED(副題『成熟に伴う喪失』)』という本が発売されました。

 そう、先程述べた彼ら彼女らの本です。三年を経てそれぞれの道へ歩んでいる中、あの『時』を思い出そうと書かれた短編集です。

 読んでいない人は買え→https://booth.pm/ja/items/4336253

 寄稿者は以下11名(敬称略)で、各一作品を寄稿しています。

  • 五月女十也

  • 七星

  • 酔歌

  • 此田

  • 水落

  • 鴉乃宗樹

  • 水汽淋

  • カムリ

  • キノ猫

  • 名取雨霧

 本記事はこれら11名の作品の感想を述べると共に、上記太字表記にしている8名については私の知っている程度の背景(過去作品、私生活、現在の活動など)を書いていこうと思います。
 失った『時』は何だったのか、その代わりに何を得たのか。何故その作家がその作品を書いたのか。この本『青春過去形アンソロジー TEENAGED』を裏側から掘り下げる、悪魔の悪戯です。

 当記事は誹謗中傷を目的としてはいませんが、時に厳しい言葉を多用しております。プライバシーへの配慮もちょっと少ないです。
 サークルメンバーの方や関係者の方からご指摘がありましたら記事の修正、または一部あるいは全部の削除を行いますので、ご不快な際はご一報ください。

※注意事項※

 本記事は感想記事であり、いわゆるネタバレが多分に含まれます。今後この本を手に取る予定のない方を除き、未読の方が本記事を読むことは推奨できかねます。
 自己責任でよろしくお願いいたします。


 あ、私は姫ちゃんこと文月瑞姫です。用途に応じて無限に名前があるので、混乱させていたらごめんなさい。
 では、当記事2万字ほどあるのでお付き合いください。


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各作品について

1、『オパールの海』 / 五月女十也

 お名前を聞いたのも初めてで、恐らく私のことも知らない方だと思います。ブースにはもう一冊この方の短編集があったのですが、申し訳ないことに購入しておりません。

 と書いてから、この面々の中に完全に知らない人がいるなんて変じゃないか???? と思って調べたら、普通に全力で知っていました。五月雨杏莉さんじゃないですか。急遽上の寄稿者一覧も太字にしておきました。

 さて、かつて五月雨杏莉と名乗っていた彼女。親からの抑圧が非常に強く、常々苦しんでいたお嬢様という認識です。
 他の作品について、読んだことはあるものの記憶にございませぬ。ごめんなさい。

 彼女は小説を書き続けている人です。以前、第37回織田作之助青春賞で最終選考手前まで残ったというツイートが流れてきたとき、とても嬉しかったことを覚えています。

 そんな彼女の作品は、自殺をしに海へと旅に出るお話。最期は記憶に残っている美しい海で、というのはこの年齢の子供が考えがちではありますか。しかし、その旅には珍客が登場します。大学で同じゼミに所属している横田くん。
 彼は強引にその旅に同行し、何も知らないがゆえに純粋な厚意で彼女に一泊のホテルを取らせ、何も知らないがゆえに最期の時間を楽しませ、何も知らないがゆえに、ついに海へ落ちようとした彼女を『危ない、よ』の一言で止めてしまいます。
 そうして自殺は成功せず、その『死ぬこともできない私』として諦めと共に生きていくことを選ぶのです。

 彼女らしいなと思いました。彼女は常に親の抑圧から逃げたいと言っていて、受験に失敗したら死ぬしかないと、強迫的な観念の中を生きていましたから、人生を切り取るような企画においてこのテーマになるのは当然とも思います。
 彼女の現状は存じ上げませんが、会場で綺麗な笑顔を見せてくれたのできっと元気でしょう。

 ところで、作中の彼女は自殺の動機について次のように語ります。

 そもそも、私が死のうとしていたことに、何かしらの特別な理由――耐え切れないほどに嫌なことがあったとか、自分の人生に絶望しているだとか――があるわけではない。強いて言うなら、生きているのが面倒になったというか、自分の将来に期待がないというか。

 ここが主体の核心だと感じました。
 失恋や失敗のような急速に襲い来る絶望(これは飛び降りのような衝動的な自殺が多い)とは違い、親など生来の環境で徐々に歪められた思想というのは、緩やかな死を招きがちだと勝手に考えています。主人公が計画的に(作中では21歳になる夜に、記憶上の美しかった海で)自殺を図っていることも、この衝動性のなさが起因します。

 この作品は非常に「リアル」に描かれています。横田という、万が一実在すれば単に空気も読めず仲良くもない女性の旅行に勝手に同行する、存在が許されないタイプの非現実的な人間が登場するにも関わらず。
 それは主人公が作者の投影として、等身大の感情を持ってしまっているからです。リアルな感情を用いているからこそ、リアルな主人公が完成しているのです。

 美しい海という幸せを求めて、現状から抜け出す旅に出るとき、横田という無条件の救いが現れる。そうして朝日という新たな希望を見つけ、何も解決はしていないものの生き続ける道を選ぶ。
 この悲痛な小説を、私は切なく読み終えました。

 あの『時』の彼女がどうか、救われていることを願っています。

 (追記)Twitter見た感じ救われていそうです。わーい。


2、『桜流し』 / 七星

 七星さんとはこの面々の一部+αによるオフ会にて、一度お会いしましたね。作品を直接読んだことはありませんが、とてもお姉さん気質の強い方でした。

 そんな七星さんの作品『桜流し』。妹の「桜」が殺され、主人公の「椿」はトウテツと名乗る男を拾います。トウテツについて調べますと、饕餮と書き(作中でも難しい漢字だと)中国神話に登場する妖怪だそうです。その性質はあらゆるものを食い尽くすとか。
 本作でもゴミ捨て場で『食べ物』を食べるとか、焦げた魚をも食べるとか、終いには死体や服まで食べ尽くしてしまいます。

 妹の死をどう飲み込むかというお話の隣で、全てを飲み込んでしまう妖怪が歩いている、中々に伝奇的な小説でした。
 教訓的な部分も大きく、妹の死を受け入れられず食を拒む「椿」に対し、トウテツは次のように語ります。※部分的な抜粋を繰り返します。

「人は食べたもので構成されてる」
「死んでからの肉体は、(中略)巡り巡って、牛の食べる草を育てる養分になったり、(中略)、農作物を育てる雨の中に混じったりする」
「僕は今それを食べたかもしれない。妹さんの一部が、僕の中に今あるかもしれない」
「だから……今も、これからも、一人じゃないよ、君は」

 私が学生の頃、古い化学の資料集にあった「あなたが飲んだコップ一杯の水に、クレオパトラが飲んだ水分子が含まれる確率はいくつか」という考察コーナーのことをよく覚えています。結構な確率で、私たちはクレオパトラがかつて飲んだ水分子を摂取していることになるそうです。
 この本も本質的にはそういうお話をしていて、他人の死を受け入れるプロセスとして『食べる』という行為があり、死を受け入れるための装置として『食べる妖怪』を用いているのです。

 桜の木が簡単に枯れないように、「桜」だったものもこの世界を生き続けます。「椿」の未来に祈りを込めて、素敵な作品をごちそうさまでした。


3、『Rove』 / 酔歌

 酔歌さんとは、みづなか花という名義で少々関わらせていただいたことがあります。小説の冒頭を上げる感じのタグでツイートをしたら、もっと読みたいというリプライをくださいましたね。
 ご本人に記憶はないでしょうが、お話していて楽しかったです。詩佳季楊さんを始めとし、秋冬遥夏さんや亜済公さん、森久上水さんに縋十夏さん、小粋さんに陽子さんなど、あなたたちの世代もまた魅力的な作家が多かったですね。

 さて、そんな酔歌さんの作品は、このように書くとご本人の胸に痛いことは承知の上で、拙さの残る作品だったかなと言いたいです。

 良いんです、拙くて。これは水落さんの項目で後述しますが、技術なんて後々から身に付くものです。まずは『書きたいこと』と向き合う切実さこそが創作の第一歩にして、必須要件なのです。
 拙くて良いんです。本人がそれを良しとするかは別ですが、良いのです。

 それこそ、この作品『Rove』の主人公も拙い存在です。恋に振り回され、恋心を燻ぶらせ、やがて『契機』が来るものの自ら台無しにしてしまう。幼い恋の末路としてありふれていますし、恋と愛の違いについて悩む辺りも、それについて書かれた本を『高等書物』として、恋や愛というごく自然なありふれた感情を何か崇高で高尚な営みのように貴んでいる辺りも、愛とは何か悩んだ直後に、ただ教授の何気ない一言に愛を覚え、それこそが愛だと確信する辺りもとても拙いと言えましょう。
 (あ、私は恋や愛こそ崇高で高尚で最上級の美だと思っております)

 そんな等身大な幼さをきちんと描ききったこの作品は、彼自身のようです。誤字も散見されますが、人生にも小さな過ちが何度も訪れます。どう頑張っても上手くいかないことが多々あります。
 それでも、少しずつ歩くのです。『静かに茶を飲み、明日からの生活に向けて眠りにつくことしか』できないとしても。


4、『アフターエピローグ』 / 此田

 このちゃ~~~~ん!!!!

 他人から伸びる想いと、その繋がる先が糸として"視える"女の子のお話『いとのさきにあるもの』でカクヨム甲子園2018奨励賞を受賞した此田ちゃん。
 題材の可愛らしさに微笑ましい顔で読み始めると、圧巻の描写力に目を奪われてしまいます。描写力にも様々ありますが、彼女の場合は『鮮やか』ですね。『切実』とも言えますか。糸が"視える"少女は、情景を"視せる"能力にも長けています。

 そんな彼女の作品、期待を大きめに読んでいきます。リアルタイムに、読みながら感想を書いていきます。
 あー、可愛い。そんな言葉がこぼれました。双子の「うた」「おと」の二人が、きちんと双子としての感覚を持ったままきちんと別人として描かれ、そして『鮮やか』な実在性を"視せて"くれます。本当に目の前にいるかのような、声が聞こえてくるかのような描写力、これです。

 好きな人が双子の妹と恋仲になり、その好きな人と同じ名前の人をマッチングアプリで探す、あまりに……歪んだ人間像が、あまりに『鮮やか』で絶句してしまいます。

 作品自体と関わりのない話ですが、最初のデート。マッチングアプリの男性にその傷心状態を打ち明けて、よく何もなかったなっていうのは感じました。会話もデートプランも十分に考えられる男性で、素直に言えば『できすぎている』男性って、既婚者だとか性的な目的でマッチングアプリに常駐している印象が強いので、ちょっとハラハラしながら読んでいました。平和で良かったです。

 作者、このちゃんに双子の妹が実際にいるのかなと気になる程度には、解像度の高い双子像だと思います。
 序盤から「おと」は「うた」の服を借り、「うた」を名乗り、「うた」が「ゆうすけ」と呼んでいるのを聞いて自分だけの特権が失われたと動揺する辺りも、あまりに人間が地に足付いて歩いているなと感じさせられます。
 自信の無さでしょうか。妹に対して常に引け目を感じているような、自分よりも妹の方が愛されるべき存在なのだという心情が、透けて見える気がします。

 ところで、男性側について気になる点があります。これだけ地に足付いた人間を描く此田ちゃんにしては『できすぎている』と。こうも作り物めいた言葉を発し、作り物めいた挙動をする人間が実在することは知っていますが、それは多大なコンプレックスを覆い隠すため、『できすぎている』人間のロールプレイによるものです。
 彼、ユースケは最初のデートで自らも失恋をしたと言いますが、それこそ手を出さないとか、(今二回目のデートに入りましたが)『付き合っちゃう?』と保険を掛けたような聞き方をします。この臆病さを見て、私は少し安心しました。恋愛小説にはしばしば、ただ理想をなぞって現実感のない男性/女性が現れることがありますが、此田ちゃんに限ってそれはないだろうと、どこか信頼していたからです。

 と思ったら、ああ、そういう。まさかの伏線でした。ひーちゃんって私みたいな呼び方でウケるな~とか思ってたら、私みたいな奴でした。
 だからユースケは友達を目指したんですね。恋愛や性的関係に発展しなかったことが、ようやく真に地に足付いて説明されました。技巧派だぁ。
 そうですね、ひーちゃん()として語ると、実際に性への問題を抱えている人が『普通』を目指して『異性』との交際を目指す場面は頻繁に見かけます。一度は通る道と言っても過言ではないです。むしろ、そこで失敗することを通して自認が強化されるケースが非常に多く見受けられます。

 話が脱線している間に読み終わりました。ひーちゃんの周りには『性について考えてきた時間が多い人が沢山いる』そうですが、少なからず主人公の「おと」は何かを考えて生きてきたのだろうと思います。
 幼馴染を好きになるというのが特徴的で、マッチングアプリで異性を求める際にも悠介を求めます。これは悠介が好きだったから、というには足りないように感じます。この歪み方はあるいは、『幼馴染の距離感で、友達の延長のような恋』をしてきたから、それ以外を求められなくなったのではないでしょうか。
 恋愛対象を探していた癖にユースケからの友達になろうという交渉を快諾するのも、彼女にとって恋人というものが、幼馴染(友達)の延長線上にしかないからではないかと思いました。

 そんなこんなで、感想でした。此田ちゃんの『いとのさきにあるもの』を読んだときの、あの感動が再び味わえて本当に良かったです。またどうか、この筆力を振り回す舞台に上がってほしいです。
 もしどこかで振り回してるなら、どうか……どうか作品をください……


5、『泡と亀裂』 / 水落

 かつて、創作に向いていない人だと思っていました。
 文章や構成は練習次第で改善しますが、書きたいもの、つまり自分の中にあるエネルギーが弱い人は、どんなに手先が器用でも良い作品に仕上がることはないんです。そのエネルギーが欠片も感じられないから、これはダメだろうな……と、思っていたんですけど。ある時絶大なエネルギーが生まれました。

 そう、木葩瑞穂です。

 三秋縋の作品『いたいのいたいの、とんでゆけ』に強く影響されている二人は、Twitter上での交流から恋愛に発展、まるで三秋作品のようなボーイミーツガールが巻き起こります。

 しかし、三秋作品の信徒であるため、木葩瑞穂は水落にとっての「100%の女の子」、完璧に理想であることを求めます。同時に、100%でないなら"私が"付き合う意味がないとも考え、二人は破局します。
 三秋をきっかけに付き合い、三秋をきっかけに別れる。とても感動的な、そして感傷的な出来事を経て、彼の絶望的エネルギーが加速します。

 しばらく経って彼は私に添削を求めてきました。その作品は彼が三年生の頃にカクヨム甲子園に出そうとしたものの、締め切りに間に合わなかった作品です。悔しかったことでしょう。一文一文を十分に精査した痕跡が見えましたし、何より書こうとしているものが美しく、私は「書ききれば大賞さえ取れる」とさえ思っていました。本当に良い作品を書き上げようとしていました。
 私としても、悔しかった。彼の作品が、その才覚が世に出ることすらなく消えることが、本当に悔しかった。それ以来、彼は筆を捨てています。

 今回の企画で彼の名前を見たとき、恐らく私が一番うれしかった。やっと彼の作品が読めるのだと。
 その才能をやっと見せる『時』ですよ、水落くん。私をまた楽しませてください。

 そんな気持ちで読み始めた本作『泡と亀裂』。ストーリーに大きな動きはなく、ただ実家に帰って同窓会に参加するお話です。

 この作品で特に光るのは、その筆力。大きな動きのない作品を、その一挙手一投足、そこに含まれる心象を丁寧に掬い上げます。ほんの一瞬の出来事さえ、そこにある風景、心情というものを無駄にしないことで、非常に高い完成度を生み出しています。

 少々長い引用ではありますが、こちらの一説を紹介したいです。

駅の正面では県を象徴する巨像が威厳なく、どこかものさみしい面持ちで出迎えてくれた。ほんのりと雪化粧した町は僕の原風景そのもので、ひどく感傷的な気分にさせられる。二年という月日は、町ひとつを作り変えるにはいささか短く、人ひとりの記憶や感覚を更新するには十分すぎるようだ。雪を踏む感触を確かめながら、これまで幾度となく歩いた自宅までの道を往く。一月の空に吐き出した息は白く、舞い落ちる雪にふっと溶けて消えた

 実家最寄りの駅に着いて、外を歩き始めるシーンです。この筆力、圧巻ではありませんか。この一幕だけでなく、常にこの丁寧な描写を続けているのが彼の作品の特徴だと言えます。
 作品自体は本当に大きな動きがないのです。同窓会を前に小学校の旧友と話し、初恋の子の妊娠の噂に動揺し、同窓会ではそれぞれの『今』を語り合う。それだけの作品です。本当に、それだけなのです。主人公が中学から私立に行ったとか、自分に関する先生の記憶が間違っていたとか、そんなことはどうでも良い。
 この作品は、その筆力による実直な存在感、あまりに解像度の高い同窓会を楽しむものです。主人公の一人称視点で作られた映像作品のような、その臨場感が本当に楽しい。

 そして、これは、これこそが木葩瑞穂エネルギーに他ならないいうことを強く訴えたい。その比較のため、木葩瑞穂以前の彼の作品を引用します。

 彼女はまだ来ていないようだった。
 閑散とした海にあるのは潮騒だけで、いやに寂しい感じがした。
 皆に忘れられてしまったのだ。そう海が泣いている気がした。
 いつか先の自分を見ているようで気分が悪い。きっと僕も誰からも記憶されずに消えていくのだろう。そう考えると、生きていくのすら恐ろしく感じた。

『Ideal Summer』/ 水落零 より

 この文章と、先程の文章が同一人物のものだと、とても信じられません。お世辞にも上手いとは言えず、雰囲気だけを求めた文章であり、小説を書き始めて一年目の人が書きがちな稚拙な文章です。
 私は正直、最初に言った通り、この子はこのまま消えると思っていました。しかし、そうはならず、圧巻の筆力と共に帰ってきます。
 この多大な成長をもたらしたのが木葩瑞穂であり、この観点で言えば「水落にとって木葩瑞穂は100%でないにしろ、運命的な存在であった」と言っても差し支えないでしょう。
 この創作者を生み出すために、二人の恋愛はあったのかもしれません。

 彼がまた作品を書いてくれたことが本当に嬉しい。成長した彼の作品が、やっと世に出てくれた。それを本当に嬉しく思いますし、水落という作家を表に出してくれたことについて、本企画に心から感謝いたします。

 この文章力が私の一助によるものなんて、すっごくうれしいな~。


6、『モラトフレニア』 / 鴉乃宗樹

 さて、この方。カクヨム甲子園2018にて『猫おじさん』で大賞(ロングストーリー部門)を受賞した鴉乃雪人さんです。当時から名前が変わっているのは、ある意味私への弔いだと受け取っています。
 『猫おじさん』を読んだのは最終選考時点だったのですが、一目で「この作品が大賞を取るだろうな」と思いました。私の話に逸れますが、そういった「本物」を見抜く力が他人よりあるというのは自覚しています。あくまで俳句の話ですが、私も幾つか賞を貰いましたし、小さなものですが選考する側に立ったこともありますから、恐らくそういうところで身に付いたのかもしれません。
 とにかく『猫おじさん』を読んだとき、とりわけ目立って上手いとか、奇抜だったわけでもないのに、これが大賞だと確信させられました。

 以降様々な付き合いがあり、一年後には京都大学推理小説研究会に所属し『ノット・ファム・ファタール』という、誰のことか存じ上げませんが随分と奇天烈な女性のお話を書いてくれましたね。

ただひぃちゃんの言葉は過激で、気に食わない人間をゴミと言い切ったり呪いのように具体的な侮辱(彼女はときにそれを辛辣なアドバイスだと称したが)を浴びせたり、癖のあるハスキーな声で悩める少年少女を唆したりしていた。

『ノット・ファム・ファタール』/ 鴉乃宗樹
京都大学推理小説研究会『蒼鴉城第45号』より

 「神様に愛されなかった人は、どうしたら良いんだろうね」
 ひぃちゃんの家に向かう坂道の途中だった。もさもさした街路樹が立ち並び、街灯が投げやりに辺りを照らす中で、ひぃちゃんのワンピースの襟のリボンは睨み返すように光を反射させていた。
僕はしまったと思い、何か気の利いた返しはないかと頭を締め付けてみたが、絞り出せたのはぎこちない笑みだけだった。
「たとえば、親に虐待されて育った人、重い障害を持って生まれた人、どうしようもなく醜い容姿の人。生きることのスタートラインが普通の人よりずっと後ろにある人たち。そういう人たちって、どう生きていけば良いと思う?」
 あくまで淡々と、歩みを止めずに彼女は言った。

『ノット・ファム・ファタール』/ 鴉乃宗樹
京都大学推理小説研究会『蒼鴉城第45号』より

 この妙に指摘された覚えのある性格と、まるで自分の口から出たことのあるような言葉に違和感を覚えてはしまいますが、私はこの作品が適度に好きでした。
 『猫おじさん』を初めて読んだ時の「本物」感を再び味わいたくて読んだという我儘な前提がありましたから、好きだけと違うな、という感傷がありました。

 彼にとっても当然この作品に思い入れがあったみたいで、以降の作品に満足できていない様子が窺えます。私が命を削り、彼が精神を削った果ての作品ですから、重みが違うというのも分からなくはないです。

 ただ、今なら言えることですが、恐らくそれは幻想です。あなたは私にたくさんたくさん心を動かして、何度も泣いていましたね。その絶望に縋るような衝動が生み出した作品なんて、早く捨てなければいけないのです。
 実際、モラトフレニアの方が面白かった。君は私がいない頃から「本物」だったことを、どうか思い出してください。自覚してください。


 さて、余談はこれが最後です。今回少々ばかり驚かしてやろうと思って、文フリに行くことは黙っていました。中学校の窓の鍵くらい緩い私の口ですから、黙り続けるのは本当に苦しかったです。
 そんな中、この鴉乃宗樹さんは私に『モラトフレニア』の原稿を寄越し、感想が聞きたいなどと口走ったのです。早く読んでしまいたいという誘惑を増やされてしまい、いよいよ限界でした。ふざけんな

 それでも何とか読まずに、口走らずに辿り着いた文フリで、彼は売り子として元気そうにしていました。まあ、元気なら良いんじゃないですか。作品感想に移ります。

 彼が精神病理学か何かに興味を持っていることに起因するのでしょうが、作品タイトルは『モラト』『フレニア』という二つの単語による造語です。
 『モラト(遅延、遅れる)』は「モラトリアム」で有名ですか。『フレニア』については統合失調症(かつての精神分裂病)に対して名付けられた「スキゾ(分裂)フレニア(精神)」という言葉から見るに、精神の意でしょうか。
 敢えて言うなら「精神遅延」とか、転じて「思考遅延」「知恵遅れ」まで考えられましょうか。特殊な意図までは汲み取れません。

 ストーリーの大筋は、スイミングスクールでアルバイトをする大学生が、ある日自分のうなじに『口』が現れるというものです。その『口』は自分の本心ないし、あるいは考え得る思考を口に出します。他者からは痣にしか見えず、当人の扱いとして幻覚や幻聴の類だとされています。
 しかし、主人公は『口』の言葉に徐々に飲み込まれ、例えば大学院生でゼミの桜井に対して「偉そうにペラペラ喋るなよ!」と口走ってしまいます。本人も最初『口』が言ったと思いますが、それは間違いなく本人の口から出ていました。

 これについて思うことがあるとしたら、先程引用したひぃちゃんのセリフですが、ああいうのも最初はポジショントークというか、どこか「そうあるべき姿」に沿って発言していたつもりが、気づいたら自分の本音のように自然と口から出るようになってしまうものだと何故か知っているので、そういう意味でこの『口』が自分の思考や発言に干渉してしまう辺りの「人間を分かっている」感は、ちょっと恐ろしくもありますね。

 さて、そんな『口』の影響でもありますが、主人公はスイミングスクールの女児の住所を知った際、たまにはそっちのスーパーに行ってみるかと行動を起こしてしまいます。『口』は『つけまわすんだな』と言っていますが。
 その果てに危うくその女児を自転車で轢きそうになり、転んで傷んだ服を弁償しようとし、連絡先を交換します。
 私はいわゆるロリコンだと思っているのですが、この辺りの描写を見ながら気持ち悪く、そして「やめてくれ」と嫌悪感に苛まれていました。もしかしてロリコンの鑑か? なんて冗談も言えないくらいに、ただ不快でした。
 あまりに生々しい精神描写に、私は逃げたくもなりました。その先の展開はきちんと主人公が自らの行いの罰を受けることになりますが、それでも、私や女児の父親の中には、気味の悪さが拭えないまま残っていることでしょう。

 この作品は恐らく、精神疾患状態にある人間を、その視点から描いた作品だと思います。幻覚ないしは幻聴を所以とはするものの、明確に「どこかおかしい」思考によって進む物語は、些細な違和感をずっと胸に引っ掛けながら読者を蝕んでいきます。
 一般的に読後感の良い作品を読んだ際、私は「ああ、終わっちゃったな」と思います。しかしこの作品の読後、何かから解放された気持ちになりました。声にするなら「あ、終わってる」でした。
 前者が出口の分からない洞窟を歩くようなものだとし、光が見えて喜びと共に本を閉じるとしたら、この作品は足枷を繋いだまま、しかし足枷によって歩みが止められることはないまま洞窟を歩かされ、ある時急に足枷が無くなっていることに気づいて、同時に洞窟からも出ていたような、そんな気持ちにさせられます。

 この読後感の気味の悪さのせいで、作中で女児がどう機能しているとか、作品の終わり方が独特な切り方だとか、敢えて保留された恋人との結末だとか、そんなことが全て宙ぶらりんなまま、それで良いと思えてしまいます。
 私は、この作品を読めて良かった。やっぱり君は「本物」なんだなって感じます、また書いてください。



7、『感情機関』 / 水汽淋

 水汽淋さんは常に一歩引いた位置から皆のことを見ているような人で、一緒に笑い合っている間もどこか冷え切った主体が見えてしまうような、少し不思議な空気感の持ち主。

 水汽淋さんには、かつて作品の添削を頼まれたことがありますね。見た感じ小説を書き始めたばかりの高校生、として妥当と言ってしまえば妥当な文章が綴られていましたか。

 本作だけの話ではなく、このアンソロジーの趣旨として『自身』というものが強くフォーカスされていますし、各作品で強く自我が出ているように感じます。
 五月女十也さんの部分では特に強く感じましたが、この作品『感情機関』でもやはり自我を感じているところです。

 水汽さんは先に言った通り、一歩引いた人だと認識しています。それが今回は作品の主張の弱さや、今から言及する人物造形に響いたかなあと思います。

 主人公「まゆ」は女学生で、授業を「無意味な時間」として聞かず、YouTubeでほんの一割の享楽を得るそうです。友人の「ケイ」は遠慮を知らない低俗な人間(作中では『均されていない』と表現される)として描かれると共に、対照的に「まゆ」は澄ましたような態度で単身YouTuberのオフ会に乗り込んでしまいます。
 と思えば、『そういうのが受け入れられるのはゼロ年代小説が好きな人だけだ』という言葉を皮切りに、図書委員だったという情報が出され、忍者の靴底について知識があり、十八歳にして人生を袋小路と表現します。
 地の文が「合わせている」を「あわしている」と書くこともあるので、これらを鑑みると知能指数が乱高下しているなという印象が拭えません。

 人物造形やその描写が「ブレている」と感じます。

 作者が主人公に対して一歩引いた場所にいるのではないでしょうか。主人公の視野はもう少し違うんじゃないかなって思いますし、視野を共有するにはもう一歩前に出る必要があると思います。現実味がないんですよ、地に足が付いていない。
 そういった点も、この作品がある意味「一歩引いてしまう」あなたのためにあるからだと感じます。
 それを悪とか善とか呼ぶつもりはありません。自分のために書くというのは本来的には善の方向にあるものですし、きっとどんな作家もそこから始まり、時にそこに帰るものです。
 どちらの世界に生きるも個人の勝手ですし、両者は『地続きで、行こうと思えばいつでも行けることを知っている』はずですから、あなたのもっと踏み込んだ作品が見てみたいです。

 ちなみに断定的に語っていますが、全くそんなつもりなかったらごめんなさい。



8、『宇宙人へのシミュラクラ』 / カムリ

 『めんとりさまー』でカクヨム甲子園2018、奨励賞を取っています。
 主にSF系の作品を書き続ける人、特に翌年の『ケテリック・オムニバス』は中々良い作品でしたね。SFに全く興味のない私に、多少SFの良さが分かるかもしれない……程度の感想を抱かせるほど。

 ところであの『時』、カムリさん(というか当時の名前はKOUKINGさん)の隣には藻島しゃりという作家がいましたね。
 非常に軽快で鮮明で、水面でステップを踏むように心地の良い文章を綴る、しかし文章は「きれいな嘔吐」とでも形容したいくらいに胸の中身を全て吐き出してくれる、結論、とってもわくわくさせられる作家さんです。(参考作品→『命がべったり』)

 そんな彼女とカクヨム甲子園授賞式の場で出会い、二人は恋に落ち、随分と先まで二人の交際は続きます。まあ、今は別れているそうですが。
 この二人は、あの『時』のまま今までずっと書き続けている人として、ひそかに応援を寄せております。
 藻島しゃりさん井桁沙凪さんとして公募に作品を出し、KOUKINGさん(カムリさん)はYouTubeアニメ『焦土江戸妖異文』の原作者として今まさに輝いています。そういうのを見て嬉しくなっています。
 余計なことを言うと、別れたショックのまま筆を折らないでいてくれて安心しました。

 さて、カムリさんの作品『宇宙人へのシミュラクラ』。
 等身大な大学生の様子が見られたかと思えば、一転『心霊写真』という単語が出てきてSFの波動が押し寄せてきます。どうSFに持ち込むのか、カムリ……! とわくわくしていたら、案外リアルな方面。
 『宇宙人』も『心霊写真』も全てが逆伏線、少なくとも作中では超常的な登場をしない! カムリさんの作品だという先入観が邪魔をしましたね。

 ところで、このストーリーには「月見」というとんでもない人間が登場します。主人公の母親の遺骨を人質に、『宇宙人の心霊写真が撮りたい』などと言い出し、自らを月の住人だとして、月世界の文化を語る狂った人間です。たまにいるよねこういう人

 月見は元々いじめられていたという過去を起因し、他者への理解を拒否し、自らを月世界の人間だと語ることでその精神的安定を図っているのでしょう。すぐに病院に行ってほしい。特に顕著なのは以下の場面。

(いじめに遭っていた月見を助けた場面での会話)
「……どうして? 仕方ないことじゃない?」
「仕方ない、って、なにが?」
「私は月から来た宇宙人だから。異物として扱われても当たり前かなって」
(中略)
「優しいんだね、月見さん」
「地球人に月の論理を準用するのは可哀想だからね」

 このように、月見は自らがいじめに遭う理由を『月から来た宇宙人だから』という意味不明な論理で合理化します。精神的に危うい状態にあるので直ちに病院に行ってほしいところですが、学校を辞めることで逃避を図っている辺り状況理解には長けているのかもしれません。『宇宙人には人間の時間感覚は解らないんだよっ』などと言っていますが、やはり、多重人格に近い精神状態なのだと思います。君は地球人です。
 いじめは他人をこんな風に壊してしまう行為です。絶対に許してはいけません。なんて教訓はこの際どうでも良いのですが、少なくとも壊れた人間をケアすることは極めて難しいということもこの作品から学び取れるでしょう。きちんと病院を頼りましょう。

 そして、主人公も壊れています。父親のDVこと『破綻した教育』と共に育ち、サバイバーの母親と二人で暮らし。母親を助けることができない自分に辟易したのか、『ヒーロー』を志します。
 他人を助けることができると思い込んでいる人間は、中二病を拗らせているか現実を真っ当に見ることのできない人間です。そのため、母親は"順当に"自殺してしまい、主人公は自分が『ヒーロー』でないことを自覚します。
 自覚をしてしまったのが、月見と別れた原因です。自分がヒーローでないことを思い出してしまう。母のように、月見は自殺してしまうのではないかという怖さから、自分の無力さを直視したくない一心で東京に逃げてきた少年です。割とこういう人いますよね。

「いま月見がこうして歩いてるのは、月見のお陰だ。僕は何もしてない」

 あまりに正しい推察です。そう、人間は他人を助けることなんてできませんし、『ヒーロー』は病院以外に存在しません。そんな、現実をきちんと見て生きている人ならば当然分かってしまう事実のために、作品の大半を使い果たしてしまいます。

 が、この作品はこの非道な現実に対して面白い答えを出します。私はこの文章がこの作品全てを良作に仕上げていると断言します。

 ヒーローに成り損なった人間を何と呼べばいいのだろう。
 決まっている。大人だ。母さんや、父さんや、僕のような大人。

 そうですね。『成熟に伴う喪失』というテーマで一同が『子供から大人になって失われたもの』、に注目している中、そもそも一番大きく失われ、取り戻すことができなくなったものは『子供』という、純粋無垢な、ともすれば無謀で、悪と呼んでも差し支えない状態そのものです。
 ここに着目したんだな、と思うと一同の作品の中でもひときわ特別な面白さが生まれてきます。これ以上を語る必要はないと思うので、感想ここまで。

 p.s.シミュラクラ現象って面白いですよね→0.0


9、『小惑星』 / キノ猫

 『星屑』でカクヨム甲子園2018のキリンレモン賞を受賞し、翌年も『通りすがりのタビさん』で奨励賞を受賞。唯一の二年連続受賞を果たした安定感ガール。
 校長先生から直に褒められ記事を書かれるなど、周囲が応援したくなるほどの人望は、その人格の健気さに由来するのでしょう。

 ちなみに彼女の作風は独特で、何も技巧的な構成力があるわけでも、リアリティのある繊細な描写力があるわけでも、華麗な人物造形が見受けられるわけでもありません。構成、描写、人物、どれもふわふわしています。
 彼女の作品を「上手い」と語る人は見たことありませんし、事実上手いとは一切思いません。だと言うのに賞を連続で取ってしまうことで、批判的な言葉を浴びているのも観測しています。
 彼女の作品は、本当にふわふわしているのです。地面は雲に、料理はマシュマロに、人間は着せ替え人形に差し替えられたような、重力を忘れるような作品を書くのが彼女の特異な作風なのです。

 それに対して賞を与えた審査員側の審美眼ですとか、新しい芽を育てようという挑戦的な意思を、私はまず賞賛したいと思っていました。
 実際、ともすればただ下手なだけの作品と呼ばれかねないギリギリのラインにいるのですから、余程の目がなければ彼女の作品を拾い上げることはできないでしょう。

 『星屑』の審査では主に「透明感」という言葉が使われましたね。星屑というキラキラした概念と、海という透き通った存在。それらをふわっと書き上げることで、心が澄んでいくような読後感が得られるのです。

 ちなみに、本人自身もふわっとした人間で、物語のためにふわふわした作風を作ったのではなく、自分の見ている世界をそのまま書いたからそんな作風になっているのだと納得できます。
 関わっていると、何だか優しい気持ちにさせられる子です。可愛らしいですし、悪意を一度も抱えずに生きてきたような無垢な笑みは、とても惹かれるものがあります。好きだキノ猫~~~~!!!!

 はい。

 本人談ですが、『小惑星』というタイトルは『青春』を花言葉とする花『プリムラ』を知り、それと同名の小惑星が存在すると知ったことから付けたタイトルらしいです。こういう連想ゲーム的な名付け、たまに使うと楽しいんですよね。
 作品の内容とタイトルが乖離しすぎないのも良い点です。俳句で残り五音だけを埋めたいときなど、よく使う手法でもありますね。

 作品への感想は、敢えて語ることもないと思うので以上です。特に波風も立たず、ただ平和なエピソードが語られるだけです。ほんわかした気持ちで読み終えられるので、たまに見返して優しい気持ちになりましょう。


10、『僕たちは灰になれない』 / 腕

 『四季の怪』(改題後『季季怪廻』)でカクヨム甲子園2018奨励賞を受賞した石井腕さん。"脳内に飼っている女子高生の後輩"に詰られるのが趣味で、敢えて自罰的な思考をすることに生き甲斐を覚えている末期的な患者でもあります。

 彼の小説に感化され、同級生かつ同じ部活に所属していた望月葵さんが執筆活動を始めましたね。とてつもない青春ドラマが巻き起こるなどしましたが、別れてしまって日が浅いためここでは言及を控えめにします。

 望月葵さんと石井腕さんの物語は、当時としては非常に面白かったのですが、いくつも重なった偶然、それを運命だと思いたかった全員の創り上げた舞台があっただけのように感じます。
 成熟に伴う喪失と聞いた際、あの『時』感じていた期待感や高揚感が、全てどこにも無くなってしまったことを思い出しました。二人の物語は、とうに終わってしまったのです。悲しいですね。

 はい、感傷に浸ることで悦に入る腕さんの真似はこのくらいにして、本編のお話です。
 駅のホームで見つけた吸血鬼「エミリ」に本を貸す内に、恋をしちゃう感じのお話。青春への未練と、自分が得るはずだったと思い込んでいる甘い空想だけで構成された石井腕という存在には似つかわしい作品ですね。その割に恋愛相手が人間でないのは、人間という対等な存在への臆病さが垣間見えるようにも思えます。
 ここまで言っておいて何ですが、当記事はTEENAGEDの感想を綴るものであり、石井腕やその他人物への誹謗中傷を目的とした記事ではありません。

 ただ、この作品が吸血鬼を対象にしなければならなかったのは、恐らく本当に、人間相手では書けなかったという点にあると思っています。
 冒頭付近で主人公は次のように語ります。

 この世界は、くだらない、無意味な物事で満ちている。学校、仕事、金、権力。人間が勝手に作りだしたにすぎないルールや尺度に、誰もが縛られて苦しめられて、自然な生き方を見失っている。馬鹿みたいだと思うけれど、そんな環境の中で長いこと生きていると、正しいのは世界のほうで、間違っているのはそんな世界に適応できない自分のほうなのではないかという気持ちになることが時々ある。

 と語ると共に、続けて

 そんな強迫的な世界を切り裂くためのナイフを、打ち抜く銃弾を、僕は武器庫さながらの本棚に集めながら生きてきた。

 とあります。
 主人公は現実とそこに暮らす「人間」と、その社会に適応できない「自分」との差異に窮屈な思いをしており、その窮屈さから抜け出すために「本」ないしは「物語」があります。
 つまり、「物語」の産物である『吸血鬼』こそ、主人公にとっての救いなのです。人間は実際、現実でも救いにはなりませんでしたね。望月さんが人間であった通り。

 そんな主人公による『世界からの逃避』。これが本作のテーマです。これは石井腕の作品としては珍しいテーマではありません。ではどこに『成熟に伴う喪失』があるのか? と考えると、やはりそれは『現実を知ってしまった』という、真に希望が喪失されている状態にあるのだと思います。
 あの『時』の石井腕にとって『恋愛』や『女の子』は空想の産物で、強い希望そのものだったと思います。しかし、それを望月葵という存在により一度は得てしまったことで、彼にとっての現実は大きく認識を変えることとなり、現実に対する絶望がより色濃く、リアルに描かれているように思えます。
 事実、以前の石井腕は『向日葵の一面に咲き誇る野にいる、麦わら帽子を被った純白ワンピースの女の子』みたいな概念に執心していましたし、そんな作品を書いていたような気もしますね。
 女の子が人間から吸血鬼になった。その変化こそ彼の喪失なのです。

 初恋こそが全てだ。初恋から全てが始まり、初恋が終わった時点でその人間は終わる。だから僕という人間は、とうに死んでいるようなものなのだ。

 …………そんな前提を踏まえて作品を追っていきましょう。

 あらすじ。主人公は駅のホームにいる異質な少女「エミリ」を毎日目で追い、本の世界に逃避しているような彼女へ親近感を覚えています。話してみれば本の趣味が合い、本を探してほしいという依頼に答え、やがて吸血鬼であるという事実が明らかになった際に愛を伝えます。
 二人は幸せな時間を過ごすも、〈協会〉によってエミリの部屋が暴かれ、二人の逃避行が始まります。吸血鬼という幻想を壊す存在、如何にも象徴的な存在ですね。吸血鬼であるエミリを狙う存在を、その恐ろしさをその身で実感し、心中を図ります。
 かつてエリクソンが心理社会的モラトリアムと題したように、彼の年齢くらいの、大人と子供の中間を彷徨う存在には付き物の葛藤ですか。彼の中に住まう、「現実を見ろ」という声が聞こえてくるかのようです。そして同時に「社会に出るのは嫌だ」という声が創作になったらこんなシーンに変換されるんだな、という気付きを得て素直に驚いています。〈協会〉は社会の象徴で、「そんなことをしていないで働きなさい」という圧力に他ならないでしょうから。
 最後は心中すらできず、『あとはもう、あまりにも長い蛇足が、死ぬまで続いていくだけだ』と語り、物語は空虚感と共に終わります。

 とても象徴的な作品であると共に、五月女十也の『オパールの海』と同じく、やはり「死ぬこともできない自分が、何も得られないままただ生きていく」という結論に辿り着くのは、いかにも現実のお話だなと思わされます。
 まあ、そうなりますよねって終わり方だったため、期待以上のものは出てこなかったとも言えますか。

 余談ですが、吸血鬼の設定が巧妙ですね。地下にいるのは妥当だとしても地下鉄のホームという、自殺者の血が得られる場所を住処にしているというのは、如何にも現代の吸血鬼だなと感心させられます。何ならこの設定が一番良かったです。

 初恋が終わっても、どうか生き続けてください。


11、『叶わぬ夢の在処』 / 名取雨霧

 『少女は鍵を三度失くした』でカクヨム甲子園2018の大賞(ショートストーリー部門)を受賞していますが、この作品が本当に秀逸で、ショートストーリーのあるべき姿のようなものを教えてもらった気がします。
 実際、私の短編もこの作品に強く影響を受けたと言いますか、お勉強させていただきましたし、小説を書く人間なら一度は読んだ方が良い作品だと言えます。
 そんな彼の作品がトリに置かれているのは、その信頼感に所以するのでしょう。

 彼の喪失は『叶わない夢を追い続けた時間』であり、"喪失したい"ものは『叶わないと思っている気持ち』なのだと読み取れます。
 物語の結論から触れると、主人公は作曲家の夢を捨てなかったことで評価されます。これはハッピーエンドのための操作で、物語は実質それ以前で終わっていると思います。

 この物語は過去を変えたいと願う主人公がタイムスリップし、高校生時代の自分の心を折り、作曲家の道を歩ませないよう企むお話です。
 名取くんの近況は一切知らないのですが、もしかしたら、小説家としての道を歩んでくれているのかなって感じて嬉しくなりました。違ったら知りません。

 過去が変わらないタイプのタイムスリップ物語は珍しくなく、本人が過去をどう受け入れるかという点に集約されがちなものです。
 そんな中で、唯一「おっ」と思わされたのが、歌手を目指していた相楽と『過去』で出会うシーン。『少女は鍵を三度失くした』でも見られた技巧ですが、彼は読者に「読み返させる」のが上手いですね。今までのシーン、そういうことだったの!? という驚きを与えるのが本当に上手。伏線の張り方、そのバリューが最大限に出せる回収の仕方という点で、学びになることが多いです。
 完全に余談ですが、私がごく最近触れたノベルゲームのライター「冬茜トム」さんがそんな文章を書いていたもので、同じ才覚を感じました。この手の伏線回収力はそれこそファンタジー性を持った作品だと強くて、それを理解しているようにローファンタジーな作品を出す名取くん、あまりに強いですね。

 まあでも、意外な結末や突飛な展開もなく無難に、この冊子を代表するように終えてくれたので私も感想を静かに終えようと思います。


12、作品なし / 志賀福江乃

 ……なーんて、あと一人います。

 『フレンドリースマイル』で奨励賞を受賞した志賀福江乃さんです。今回は表紙写真のモデルを担当されているそうですが、彼女の作品がないことを誠に遺憾に思います。志賀福江乃の作品が!? 志賀福江乃の作品がない!?!? と全人類が混乱してしまうに違いありません。志賀福江乃は直ちに作品をください。世界平和のために必要なことですよ。

 まあ、お忙しいでしょうから、生存確認ができただけで嬉しいです。どうかお元気で、また折を見て作品を世に放ってください。君の美しい作品を待っています。

終わりに

 あの『時』、私は皆さまに多大なご迷惑をお掛けしました。ただ、あの『時』があったからこそ、私は生きています。なので、本当にありがとうございます。
 皆さまのお元気な顔を見られて、本当にうれしかったです。今後もどうかお互い、たまには小説のことを思い出しながら生きていきましょう。新調した時計が、どうか永らく動き続けますように。

 次回のアンソロジーに(社交辞令とはいえ)お誘いいただいたの嬉しかったです。亡霊枠として一緒に書けたらなって、ちょっとだけ欲張りなことを書き残しておきます。実現しなかったら呪います。

 ここまで2万字、長々とお付き合いいただきありがとうございました。


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