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被災体験の差に葛藤 保育通じ伝える使命実感 保育士 門真弘法さん

 卒業間近の短大生で東松島市矢本の自宅にいた。知的障害者施設でアルバイトを予定しており、矢本駅から仙石線で仙台に向かう予定だった。準備を始めようとした矢先、大きな揺れが襲った。「家がつぶれる」。祖母をかばいながら母と一緒に必死で家具を押えた。

 門真さんは7人暮らしで、姉は職場、妹は石巻高校、父はヤマニシ造船で勤務中だったため無事だったが、祖父佳範さん(93)は石巻市の雄勝公民館で書道教室を開いており、この日も雄勝に向かっていた。母いく美さん(55)も急きょ用事が生じ、外出していた。

 祖父は教室に誰も来ていなかったため、すぐ自宅に戻り津波を免れた。雄勝公民館の上に津波で流されたバスが乗っていたのを知ったのは数日後のこと。

被災した子どもたちと向き合った歩みを語る門真さん

 一方、いく美さんは大曲浜を走行中、津波に遭遇。流されながらも何とか車外に脱出し、周辺の木にしがみついて辛うじて難を逃れた。津波が収まってから徒歩で最寄りの避難所に向かい、2日後にようやく自宅に戻ることができた。

 結果的に家族全員無事だった。ただ、命が失われた人もいることを考えると、「決して大きな声で喜べない」と語る。門真さんは、津波を目撃していないこともあり、「同じ被災者だが、受けた被害の度合いが違う。震災に対して他の被災者と同じ温度で語ってよいのか」と震災との向き合い方に苦み、葛藤は就職後も続いた。

 保育士となった門真さんの最初の赴任地は、仙台市の荒浜地区にある保育所。多くの犠牲が生じた地域であり、保育士1年目から一時保育で被災した子どもたちのケアに携わることになった。

 学生時代は、座学で心のケアについて学んできたが、実際に両親や片親、家族を亡くした子どもたちと接することは、心を保つことだけで精一杯だった。

大曲浜で津波に飲まれた母いく美さんの車

 「自宅は半壊するも家族は助かった自分と、幼くして震災や家族との別れを経験した子どもたち。被災の差を意識し、どう寄り添い、声を掛ければよいか悩んだが、とにかく話を聞いてあげることしかできなかった」と当時を振り返った。

 平成28年からは女川町にある病児病後児保育室「じょっこおながわ」の保育士としてスタートを切った。時を重ねる中、震災を知らない子どもたちと接する機会の方が増えた。

 「震災は生活の中で起きたリアルな体験であり、忘れることはない。ただ、被災していない地域や経験のない人にとっては、歴史的事象の一つ。そういう私も阪神・淡路大震災を発災日にしか思い出せていない。決して忘れてはいけないことなのだが…」と話す。

 そうした中で考えるのは、震災後に生まれた子どもたちへのアプローチ。「多くの情報にさらされる世の中。震災や避難について正確な情報を子どもが理解しやすいように伝えていくことが役目だと思う。震災を知らない世代に一人の被災体験者として語り継いでいきたい」と前を向いた。【横井康彦】


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