見出し画像

学びの道にゴールなく 震災で亡くした娘に報告 11年かけ大学卒業 元教員加藤さん

 「やっと卒業できました」―。石巻市鹿妻南の主婦、加藤幸子さん(72)が3月に創価大学を卒業した。東日本大震災の津波で大学4年生だった長女綾子さん(当時23)を亡くした年から通信教育を受け、11年かけて学業成就。「(娘は)よくやったねと言ってくれると思う。これで安心してくれるかな」と仏壇を前に心境を語った。

 根っからの勉強好きという幸子さんは、宮城教育大学卒業後、石巻市内で小学校の教員となり、定年後も非常勤などで教壇に立ってきた。まだまだ学びたい思いが募り、申し込んだ入学資料が届いたのが、震災前日の3月10日だった。

 自宅が全壊に近い被害を受け、資料持参で避難所の鹿妻小に向かった。別に避難した綾子さんの行方が分からない状態だったが、気丈にケアにあたった。13日目に市内の遺体安置所で綾子さんの亡きがらと対面した。

成人式の時の長女・綾子さん

 そんなつらい状況でも勉学をあきらめようとは思わず、むしろ「綾子の分まで」と意欲をかきたてた。法学部を選んだのは「法律を身につければ人の役に立てると思ったから」。同年8月から、大学1年生の生活が始まった。

 綾子さんも亡くなった時は同じ大学の通信教育を受けていた。幸子さんが勧めたこともあり、卒業まで娘がよりどころになった。

 勉強が行き詰まりそうになると「綾子が見てるなぁ。(卒業を)待ってるなぁ」と浮かんだという。東京・八王子のキャンパスに出向く授業にも欠かさず出席した。綾子さんが、1年半ほど東京で暮らしていたころ、通っていたゆかりの場所だった。

 「キャンパスの森の茂みから綾子が顔を出すような気がしてね。また、綾子に会えるかなぁと思って」

 毎年改定版が出る六法全書は持ち歩き用を含めて7冊もたまった。苦手なパソコンを介してのオンライン授業は夫の仁久さん(67)のサポートもあり、何とか乗り切った。

仏壇を前に卒業の心境を話した加藤さん

 最後の試験は今年1月9日。仙台市の会場で2科目を受験。結果が分かるまでドキドキだったが、無事、合格通知が届いた。「普段涙はでないけど、こみあげるものがありました」としみじみ話した。

 3月16日の福島県沖地震で東北新幹線が不通となったため、同18日に八王子であった卒業式には、仁久さんが運転する車で駆け付けた。式の間、膝の上には綾子さんの写真を置いた。「いっしょに卒業したと思ってます」と幸子さん。

 演劇活動に励み、作詞作曲、イラストなど芸術分野が得意で人を笑顔にすることが大好きだった綾子さん。幸子さんは、法律の知識を生かしながら「人を笑顔にするような、人の役に立つような活動をしたい」という。
 いつか綾子さんや亡くなった母親のエピソードを元に童話を創作するのが夢。新たな目標に向かって、学びの道は続く。【本庄雅之】





最後まで記事をお読みいただき、ありがとうございました。皆様から頂くサポートは、さらなる有益なコンテンツの作成に役立たせていきます。引き続き、石巻日日新聞社のコンテンツをお楽しみください。