見出し画像

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月㊦ 金華山参拝の御利益

 私の目の前に「金華山灯台」の写真があります。撮影者は達で、前に並んでいるのは同行者です。

 昭和6年7月6日に親友の佐藤忠太郎と石巻を訪問した達は、渡辺邸に泊まりました。2日目の朝は7時に起床し、町へ入浴に行きました。その後、木村得太郎の出迎えを受け、10時の汽船で金華山に向かいました。

画像2

達が撮影した金華山灯台(しばたの郷土館所蔵)

 日記には「波静かなれども海上はトテモ寒く我慢出来ず船長から毛布を借りやうやく寒さを凌ぐ。二時半にして金華山に上陸。海の色の良き事言語に絶す。上陸の後参拝は後にして燈台見学をする。山は老樹鬱さうとして未だ斧を入れたることなし。営林区以外人跡稀なる霊山である。中々の険そうな山岳で坂道や狭道を通る。鹿や猿が山間や谷間に遊んで居る景は人里を離れ腐老樹鬼に見え仙人の住家たり。燈台のある處太平洋の真只中にして絶海の個島である」と金華山の印象を記しています。

 その後、いろいろと案内してもらい、平たんなで景色の良い海岸線を歩き、舟に乗り断崖絶壁を見ながら、夜8時に社務所に着きました。翌朝は4時半に起き、御祈祷後、金華山の頂上に45分かけて登りました。下山後に入浴し、朝食を食べてから発動機船で鮎川に向かいました。鮎川の漁村には鯨の製造所があり、鯨特有の臭いが漂っていたと記しています。

 鮎川から3時間かけて石巻に着き、石巻町役場を訪問しましたが町長は不在で助役に面会、石巻日日社を訪問した後、助役の招待会があり、夕方から町長宅の招待会に出席しました。この時の町長は第14代石母田正輔です。

 最終日の8日は水道工事の様子を見学後、石巻駅で渡辺忠右ヱ門と長女に見送られ、11時10分発の電車に乗りました。

 帰宅後の達は、アトリエの暗室で石巻行の写真の現像をし、石巻の助役や鹿又村長、得太郎、忠右ヱ門に謝礼状を書きました。金華山からは、神符と木杯四個が郵便で届きました。

画像3

愛用していたカメラ(同)

 達はこの日の夜、石巻で町の歌人と交流したことが印象的だったのか、急に歌を作り始めました。日記には「日和山 老松枝の合間より 海の面見えつ 出身入船」「北上の 流れに浮ぶ 萬燈の 旅の疲れも しばし忘れつ」と記されています。

 この句に対し長女りり子から「あまりに、述景のみに終っている。主観をいれねばならぬ」と批評され「全くその通りである」と思ったようです。

 達は石巻でいろいろな人と出会い、それが作品制作に効果的につながっていきます。後に伊達政宗公騎馬像の制作者に選ばれたのは、本人の努力の成果だと思いますが、金華山参拝の御利益もあったのではないでしょうか。


筆者プロフィール-01



最後まで記事をお読みいただき、ありがとうございました。皆様から頂くサポートは、さらなる有益なコンテンツの作成に役立たせていきます。引き続き、石巻日日新聞社のコンテンツをお楽しみください。