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東日本大震災から12年 言葉をつなぎ 命をつなぐ

■難しさ増す震災伝承

 東日本大震災の発生から11日で丸12年を迎えた。仏教では十三回忌となり、人々は特別な思いで故人に心を寄せた。あの日、突然訪れた別れ。残された人たちは心の行き場に迷い続けた。大切な人の死を受け入れることができず、あいまいな喪失を抱え続けたまま年月が流れた。

 震災を乗り越えて商いを始めてもコロナ禍で苦境に立たされ、泣く泣くのれんを下ろす店もあった。コロナは世界中に拡散し、気づけば他の諸課題は陰に隠れた。復興、再生の原動力は人だが、ウイルスはそのつながりを無情に断ち切った。「このまま震災の記憶も風化していくのではないか」。被災地はそんな危機感も覚えた。

 この12年でインフラの復旧復興は進み、震災の生々しい爪痕も消えつつある。人から人に記憶をつなぎ、災害から次代の命をどう守るのか。一方で語り部の高齢化も進む。人の言葉を介すのが最も効果的であり、伝え続けることで守れる命は必ずある。語り部の役割はそれだけ大きい。

「当時16歳だった僕も今は28歳。震災を経験していない世代への
伝え方も難しくなっている」と語る阿部さん

 昨年4月に公開を始めた石巻市震災遺構の門脇小学校。展示館3階には、焼けて骨組みだけとなった机と椅子がある。門小出身の阿部任さん(28)は、その後ろの椅子に座り、正面を見つめる。「学校の歴史は続いていくものと思っていた。遺構となったが、学びの場であることに変わりはない」と自問した。

 震災から9日後に救助され、当時は「奇跡の生還」「奇跡の人」と持ち上げられた。「判断を誤り、正しく避難できなかっただけ」と後悔を募らす。救助されたときは高校1年生。今は語り部活動をしながら震災を知らない若い世代とも向き合う。伝えることの難しさを年々感じるようになった。

 響く言葉には魂があり、聞き手の心を大きく揺さぶる。震災の経験や教訓は誰かの命を守る「未来の防災」にほかならない。次の世代に言葉をつなぐことは命をつなぐこと。私たちには、かけがえのない命と向き合う時間がある。だからこそあなたがここに生きている意味を大切にしてほしい。 【文・外処健一、写真・渡邊裕紀】




会いたい どこにいる
けんか別れ心残り 今も夢に出てくる
石巻地方696人行方不明

名が刻まれた碑をなでる遺族(女川町慰霊碑前)

 東日本大震災から丸12年となった11日、被災した各地で犠牲者を追悼する行事が行われた。女川町役場前の慰霊碑前では「追悼のつどい」があり、訪れた遺族らが献花し、故人の冥福を祈った。石巻地方の2市1町では5301人(直接死4937人、関連死364人)が亡くなり、今も696人の行方が分かっていない。

 「骨一本でもいいから帰ってきて」―。女川町の慰霊碑前で遠藤恵太さん(31)は、母弘美さん(享年50)の名が刻まれた碑の前で手を合わせた。

 「当時、私は仙台市の専門学校、母は塚浜の自宅にいた。発災1時間前に母と電話で些細な口げんかをし、それが最後の会話。けんか別れになったのが心残り。私も結婚し、6月に2人目の子どもも生まれる。孫の顔を見せてあげたかった」と唇をかんだ。

 女川町女川浜の木村好子さん(81)も、いまだ行方不明の弟の木村勝雄さん(享年67)を思いながら、碑に手を合わせた。「今も夢に出てきては『一生懸命頑張っているか』と声をかけてくれる。優しく使命感にあふれた弟だった。早く帰ってきてほしい。会いたいよ」と目を潤ませた。【山口紘史】

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