非常口のあのひと
3回目の長文になります。まだまだ、文体・ノリ・レイアウトがぶれぶれですが、ご容赦ください。
今回は、自分のささやかな目標について書いてみました。
前向きなものを書くのはエネルギーが要りますね。
逃げのプロ
人生30年、自分なりの処世術はそれなりに蓄えてきていると思います。
思考回路が特殊なので、万人にオススメすることはとてもできないものばかりですが。
更に言えば、本当に必要なときに引き出せないことも多々あるので、処世術といって正しいかも不明ですが。
ともあれ、まだまだ乏しい人生経験のなかで、わりと早い段階からできるだけ実行しているのが、
逃げ道は多ければ多いほどいい
というものです。
この「逃げ道」は、状況によって「趣味」になったり「知人」になったりします。
ちなみに、わたしにとっての「知人」はかなり多いです。
「あまり抵抗なく自分から話しかけられる初対面でない人」と、心の中でガッチリ定義しておいているからです。
きっと、本当のところは、相手にはそこまでの仲と思われていないパターンもあると思います。
けれど、相手が実際どう思っているかまで指標に入れると、そんなことは分かるはずもなく誰かに会うたび混乱してしまうので、とりあえず自分の中ではそういうことにしているのです。
こういう、“とりあえずの定義付け”が、わたしの中にはたくさんあります。
多少間違っていたとしても、漠然とした曖昧模糊よりは断然マシなのです。
これも、発達障害で括られるひとつの特性かもしれません。
とりあえず、他に手段がある。
とりあえず、別の趣味に逃げられる。
とりあえず、質問できる。
他人より行き止まりの多い日々において、この“とりあえず”を見せかけでも複数用意しておくことは、本当に大切です。
好きで好きでたまらないことでも、自分に必要不可欠なことであっても、視界に入る選択肢が「それだけ」になってしまうと、途端にたいへんな苦痛になるのです。
わたしの心の最深部には、もしダメだったらどうしようという不安が常駐しています。
失敗した場合の避難経路をいつも探していて、それを確認しては束の間の安心を得ています。
普段ここに費やしているメモリを、もしも他に転用できれば、わたしはもう少しマシになれるのかもしれません。
もはや、不安こそ自分であるというところまで癒着しきっているので、あまり現実的ではありせんが。
1番自由が効かない学生時代、ひとつのことが続けられない、ひとつの友人グループに留まれない自分がとても嫌いでした。
大学生、社会人となって、生活の自由度が上がるにつれ、逃げ道になる手段が増えて、表面上はかなり落ち着いた生き方ができるようになっていきました。
とはいえ、それぞれの逃げ道、たとえば点在するコミュニティの交友を維持するのは、それなりに困難でした。
小手先の器用さと、それぞれに100%は馴染めないという割り切りのうえで、なんとかやれていたんだなと、振り返ってみて思います。
非常灯に憧れる
わたしの“とりあえず”は、単なるその場しのぎであることがほとんどです。
便利なのでとにかく多用してしまいますが、本当に必要なときにそれが機能するとは限りません。
たくさんあるはずの手段の、あれもダメ、これもダメで、窮地に追い込まれることも多々ありました。
この、とりあえず思考はADHDの先送り思考そのものでもあると思います。
とりあえず、とりあえず、の繰り返しで隅に寝かせておいた結果、腐らせて手の施しようのない状態になったことも数知れず。
自分には必要なのだと確信しつつも、生き方そのものが非効率的であることは認めなければならないようです。
それでも、わたしは、わたしが思う大切な人たち、あるいはまだ知らない誰かにとっての、“とりあえずの逃げ道”になりたいと思っています。
ちょうど、わたしがいつも勝手にもらってる小さな安心を、わたしも同じように返したい。
欲を言えば、なるべく、その人から見てわかりやすいかたちで。
行き詰まって困ったら、その場から逃げたくなったら、“とりあえず”わたしはここにいるよと、さらりと示せるニンゲンになりたいのです。
本当に頼られるわけでなかったとしても、いざというときの保険として。
ふと目についたとき、それだけでほんの少し安心を得られるような、そんな立ち位置に居たい。
“非常口のあの人”のようになりたいのです。
おしまい。