日々の余白

夫婦+幼児1+犬1世帯における“婦“担当。 時短勤務のかいしゃいん。 30歳目前でAD…

日々の余白

夫婦+幼児1+犬1世帯における“婦“担当。 時短勤務のかいしゃいん。 30歳目前でADHDと診断されました。 感じたことや考えたことを忘れないように、かいています。 ピントの合わない、所在のないことばたちです。

マガジン

  • わたしのadhdやその他の気質についてのこと

    自分の性質の分析や、診断に至るまでの話など

  • 感傷的なやつ

    ポエミーなもの。散文などなど。

  • コラム風雑記

    日々の思ったことをまとめたもの。 発達障害に関わる要素は薄め。 考えすぎじゃない?って言われたらそれで終わる話を書きます。

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死にたくなった夜に

自己紹介代わりに、自分の頭の中をちゃんと言葉にしようと決めた日のことを書きたいとおもいます。 わたしが持つ素質として、失敗することが極端に苦手というのがあります。 同時に極度の心配性でもありますが、これはそもそも失敗をしたくない気持ちに起因していることが多いです。 一方で、わたしの抱えている“不注意優勢型ADHD”というのは本当に失敗が服を着て歩いてるようなもので、更にはひとつの失敗から学ばず同じことを繰り返します。何度も何度も。 そして、毎回失敗した瞬間に、以前も同じだ

    • 忘れたくないとおもったこと

      文を綴ることから足が遠のいて、やっと一周回って戻ってきました。 気がついたら、かなりの時間が過ぎていました。久しぶりに、なんとかして記憶にとどめておきたくなる出来事があったので、ここに残したいとおもいます。 わたしは実家族との関係性が不安定で、心配事がひとつ増えるたび、思考がそればかりになってしまいます。 直接は関係のない昔のことが強制的に反芻されて、涙が止まらなくなり、とりとめも実態もない不思議な悲しみにとらわれてしまいます。 先日の夜半のこと、例によって、思考が暴走し

      • どこかへ

        迷ってばかりの人生だ。 ことばよりも、ことばのとおりに。 何事にも惑わされず自分で決断できたことなんて、もしかしたら1つもないかもしれない。 むすめにとってのお母さんで。 夫にとっての妻で。 親にとっての子で。 友人にとっての友人で。 同僚にとっての同僚で。 あるべき自分をあるべきように。 描いたかたちに、収まるように。 いつもいつも借り物の価値観のうえで、背伸びをしている。 できもしないことを、できるふりばかりしている。 ふと気づけば何者でもない、何者にもなれていない

        • 世界にひとりだけの座標

          自分という存在は世界にひとりだけ。 よくある前向きなフレーズは、わたしに時々、とても残酷に響く。 わたしは、わたしと限りなく同じといえるひとに出会ってみたかった。 家族みんなで笑っているとき、 友達みんなでランチしているとき、 同僚みんなで作業しているとき、 わたしだけ、ひとりだけ、どこか座標がズレている。 いつも、いつも、どこかズレている。 ここに居るのに、一緒に居ない。 一緒に居るのに、ここに居ない。 自分だけが、“少し” “何か” がちがう場所と時間に生きて

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          いつまで、ただの“こども”でいてくれる?

          わたしは、こども服が好き。 と、いうことに、むすめが生まれてから気づきました。 おとなのファッションも一応の興味はあるのですが、移り変わりが早すぎて、情報量も多すぎて、どちらかといえば苦手意識を持っていました。 流行りを追うことも、切り替えの苦手なわたしにはあまり向いてないと、早々に諦めてしまっています。 その点、こども服は流行りも関係なく(もちろん多少はあるのでしょうが)、どこかがおかしくてもそれはそれでかわいいね、と許される安心感があります。 選択するうえで必要な情

          いつまで、ただの“こども”でいてくれる?

          はちみつの中を泳ぐ

          小さく軽い生き物にとって、空を飛ぶということははちみつの中を泳ぐようなものなのだそうです。 娘を迎えに行く車の中、つけっぱなしの教育番組からそんな話が聞こえてきました。 わたしにはすこしだけ、分かる気がしました。 矮小な生き物が、重く広い”せかい“で羽ばたく、その気持ちが。 きっとわたしは、ヒトよりこころが小さく軽く脆いのです。 アメンボやガガンボみたいに。 こころでなければ、きっと、たましいが。 だからいつも、なぜかここに居てはいけないような、ふわふわした所在なさが

          はちみつの中を泳ぐ

          「自己肯定」は荷が重い

          自己肯定感ってもっともらしい言葉が好きになれない。 こどもには、自分は自分なりに幸せ!とおもって生きてほしい、っていうことだとおもうんだけどなあ。難しいことばはいらないのにね。 このあいだ、何気なくツイートした上記の思いを、掘り下げてことばにしてみることにしました。 なお、元のツイートではしっかり誤字していて、ここではちゃっかり直しているあたり、我ながらADHDらしさが出ているなと思いますが、それはさておき。 みんなのこころとの異和 わたしは、「自己肯定感」ということ

          「自己肯定」は荷が重い

          母とわたしと、わたしの娘

          【1/23追記】 これは、1月20日のわたしのことを衝動的に書き上げた日記です。 読み返したら、当日についてはほとんど触れていなかったけど、この日をそのまま残したいという気持ちから書き上げて投稿したものなので、わたしにとっては確かに日記なのです。 そんなつもりで読んでいただけたら、嬉しいです。 1月20日、母に「わたし、やっぱり発達障害だったよ」と告げた。 昨年の、今よりもう少し春に近いころ、「わたしは、発達障害かもしれない」と母に初めて話した。 「高校生くらいからずっ

          母とわたしと、わたしの娘

          非常口のあのひと

          3回目の長文になります。まだまだ、文体・ノリ・レイアウトがぶれぶれですが、ご容赦ください。 今回は、自分のささやかな目標について書いてみました。 前向きなものを書くのはエネルギーが要りますね。 逃げのプロ人生30年、自分なりの処世術はそれなりに蓄えてきていると思います。 思考回路が特殊なので、万人にオススメすることはとてもできないものばかりですが。 更に言えば、本当に必要なときに引き出せないことも多々あるので、処世術といって正しいかも不明ですが。 ともあれ、まだまだ乏し

          非常口のあのひと

          欲張りに気づくとき

          ありのままに書いていいんだ、と自分に許した途端、書きたいことが次から次へと思い浮かんで、早くも渋滞しています。 わたしは文章を書くことに限らず、興味のあるもの全般においてそういう傾向にあります。 手を付け始めた方面のすべてを網羅したくなって、もちろん時間が足りなくて、やりたい気持ちだけが膨らんで、そのうちパンクしたように無気力になってしまうのです。 つまるところ、わたしはかなりの欲張りであるようです。 診断結果を聞いたときのことわたしが積極的に文章を書き始めたそもそもの

          欲張りに気づくとき