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はちみつの中を泳ぐ

小さく軽い生き物にとって、空を飛ぶということははちみつの中を泳ぐようなものなのだそうです。

娘を迎えに行く車の中、つけっぱなしの教育番組からそんな話が聞こえてきました。


わたしにはすこしだけ、分かる気がしました。
矮小な生き物が、重く広い”せかい“で羽ばたく、その気持ちが。


きっとわたしは、ヒトよりこころが小さく軽く脆いのです。
アメンボやガガンボみたいに。
こころでなければ、きっと、たましいが。

だからいつも、なぜかここに居てはいけないような、ふわふわした所在なさがあって。
ねっとりと重たくどろどろした”まいにち“を、自分なりに必死に掻き進んでいるつもりでも、ふとした瞬間、ほんの少し乱された空気に、これでもかと振り回されてどこかへ飛ばされてしまう。
ときにはいとも簡単に墜落して、何の気もなしに押しつぶされてしまう。
周りのヒトには想像もできないような呆気のなさで。


それなのに、残念なことに外面はみんなと同じ”ヒト“だから、周りは少し変わったヒトくらいにしか思わない。

たましいの伴わない手先ばかり器用になって、取り繕うのだけは上手いから、余計に誰にも気づかれないまま。

ただ、持て余した自己を維持することに疲弊していく。
静かに、静かに、しぼんでいく。


わたしにとって、人間という容れ物は大きすぎたのかもしれません。



それでも、藻掻きながら見る、はちみつ色のせかいは、いつも、とても、きれいで。

どんなに居心地が悪くても、いつか立ち上がれなくなるほど疲れ切ってしまっても。


こんなわたしでも、ここに居たいのです。
“まいにち”にしがみついていたい、と思うのです。




おしまい。