【定義】再定義と逆定義
義が定まることは生物的に好ましくない。
水が淀み、息が詰まる。
ゆえに語義はしばしば改定される。
これが「再定義」である。
時間の流れ、社会、民意の変化に応じた定義の方法である。
時に換骨奪胎され、時に形骸化し、
意味が反転したりズレたり、ねじ曲がったりすることもあるが、
これは致し方ないこと、避けられないことである。
言葉なんか伝わればいいのだ。
愛と想い、エネルギーとベクトルが伝わりさえすればよいのだ。
つまり、再定義がなされるのは『道具的言語』においてである。
対して、
定義の内に「逆定義」とでも呼ぶべきものがある。
これは時が経つにつれ、義の定めが強くなる類の定義だ。
未来義によって過去義が定まる、過去改ざん、自己予言的、予祝的な行為である。
例えば、ある人が
「これはハサミである。」
と言った場合、
そこにそのハサミを生じせしめる活動、つまり、
宇宙の誕生から諸概念の誕生、その者の誕生、
その時点までの万物の動きが寸分の狂いもなく、
そこに逆定義(収束・収斂)されるのだ。
また、ある人が
「私はハサミになる。」
と言った場合、
「ハサミ」の定義は単なる道具から「人がなることのできるもの」に変わる。
それはきっと着ぐるみか、あるいは今までになかったイノベーティブな何か、あるいは切れの良い性格の暗喩かもしれない。
しかし、ここで確かにハサミの語義そのものに変化が生じるのだ。
あるいは先に述べた方、変化前の状態「人」が金属の擬人化されたものか何かである可能性もある。
このように、
言語には、新たな言葉の組み合わせ・秩序が生じるたびに、その世界を再編成し、その宇宙を再構築し、辻褄を合わせる機能、無限の可能性があるのだ。
可能性の数だけ、語義の幅、階層、地層が揺れ動き、波打ち、錯綜する。
そして、観測されること、意識されることでそれは時空間となって現れる。
つまり、
この時空間ではその都度、「最もよく想定される可能性」が顕現するのである。
むしろ、もしそうでないと感じるならば、
そもそもの想定が想定外だったのであり、
元の想定は想定ではなく妄想だったのだと逆定義される。
認知的不協和の解消
これは逆定義の別名である。
{裏切り・期待外れ・絶望...}
これらは逆定義をしないことで起こる。
逆定義を正しく行えば、
裏切られると同時に見方は敵になるため、裏切りではなく「普通」
期待を外したと同時に期待は妄信になるため、期待外れではなく「普通」
となる寸法だ。
逆定義をよく行えば、
騙されることも、
落ち込むことも、
負けることも、
死ぬことさえもなくなる。
あなたは無敵になり、
無敵があなたになる。
不屈があなたになり、
あなたは不屈になる。
逆定義の宇宙において、再定義は何の力も持たない。
定義はあなたしだい。
あなたが定義になる。
あなたが尺度になる。
尺度が宇宙になる。
力こそが逆定義である。
さぁ、よく覆せ(従え)。
さぁ、よく眠れ(働け)。
よく詠え(静まれ)。
よく(よくなく)あれ(あるな)。
その意思でひねりつぶせ(優しく包み込め)。
このように、
「逆定義」は『恣意的言語』に関して起こる。
それは言葉の「意」を「心」に変換する、
唯一無二の大いなる働きである。
ps
後出しジャンケンならぬ、
ルール後決めジャンケン的な。
負けたくらいで負けるなよ
死んだくらいで死ぬなよ
心よ、永久にそこにあれ
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