【罪滅ぼし】罪という語を糾弾します。
この論は、真に受けず、ジャンプ台にしてね。
◆結論『犯罪なき世のために』◆
1.神を信じる場合は、他を裁くことなく沈黙を守ること。
2.利他と利己はときに応じて重きを変えるべし。
3.己への罪を究める過程で、他に裁かれないように注意すべし。
◆導入『利己と犯罪』◆
利己の反対は利他ではない。
利己の対が利他だからだ。
利己の反は損己である。
利己の反対は、他を害すること、即ち犯罪である。
犯罪は真の自己犠牲である。(feat.ジハード)
人間社会に対する、自らの信ずる神のための確信犯的行動、
それが『犯罪』である。
つまり、『利己とは社会システム』だ。
しかし、自己犠牲すらも本来は利己的である。
自己犠牲者が増えれば、そこに神の国が誕生するからだ。
つまり、
『利己の反対は 犯罪、ひいては利神』である。
◆自問自答『神と利』◆
Question1🌟
しかし、どうして、神を利することが罪を犯すことなのか。
Answer1🍀
それは、神が他に害を及ぼす存在だからだ。
いな、他に害を及ぼすことを肯定する存在が神なのである。
すなわち、罪を肯定する存在が神なのである。
すなわち、神を前に、他への害に対する裁きはあり得ないのである。
なぜならば、己が己を信じる神を信じているからだ。
ヒトは己に決して益しない神を決して信じることはない。
神を前にしてあるのは己を害するものに対する裁きだけである。
つまり、『神の代わりに他を裁く行為』こそが、
神を利する唯一の方法である。
したがって、
犯罪とは『神の代わりに他を裁く行為』である。
と求まった。
そしてこれが、利己の反対概念である。
つまり、
Final Answer1🌸
『神の代わりに他を裁く行為』が罪を犯すこと、他を損することである。なおこれは、己を利することと反対である。
Q2.
では、罪を犯さぬにはどうしたらよいか。
A2.
それは、すくなくとも他を裁かぬことである。
Q3.
では、己で己を裁くことは罪かどうか。
A3.
己で己を裁けば、己が裁かれてしまう。
それは己を損なうことであり、
利己でも利他でも犯罪でもない『第4の道』である。
この道を究めたものを「ブッダ」と云い、
究める過程を「自由の刑」と云う。
刑である以上、究める過程には罪が生じる。
すなわち、この罪から逃れるには、
1.完全に自由を放棄して従順になるか、
2.罪を究めて悟りに達するか、
の2択である。
『第4の道』は犯罪ではなく「究罪」と呼ぶに相応しい。
◆結論『犯罪なき世のために』◆
1.神を信じる場合は、他を裁くことなく沈黙を守ること。
2.利他と利己はときに応じて重きを変えるべし。
3.己への罪を究める過程で、他に裁かれないように気を付けるべし。
ー了ー
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