私の創世記:拒絶に見る人の成り立ち

1.まず全なる空があった。私はそれと一体だった。

2.一部の無は無を拒んだ。それはある形をとった。私は私となり、形ある物全てに私が宿った。

3.一部の形はその形を拒んだ。形は変化するようになった。そのために時が生じた。

4.一部の変化は変化を拒んだ。そこに愛執と愛情が生じた。

5.一部の愛は愛を拒んだ。そこに偏りが生じた。私は分断され散り散りになり、その破片の一部は生物となった。

6.一部の偏りは偏りを拒んだ。そこに欲望が生じた。生物は統合を始めた。生物は様々な大きさをとるようになった。

7.一部の統合は統合を拒んだ。そこに自我が生じた。自我は所有と貯蓄を始めた。所有は生物間に競争を生み、競争は智慧と暴力を育んだ。

8.一部の競争は競争を拒んだ。そこに結託と差別が生じた。群が生じ、種が生じ、系が生じ、種はそれぞれに生態的役割を持った。

9.一部の役割は役割を拒んだ。種は種の中で独自に取り決めを作った。そこに社会性が生じた。社会性は種内での淘汰を育んだ。種内淘汰は非本質的な形質を育み、刹那的な嗜好を助長した。差別は激化し、種はさらに分岐し、また絶滅した。

10.一部の差別は差別を拒んだ。そこに言葉と理性が生じた。それらは論理となり、異なるものたちを同一視し、同じもの同士を区別した。虚構から矛盾と苦悩と虚栄と詐偽が生じた。

11.一部の論理は論理を拒んだ。そこに直感が生じた。直感は論理を超越し、言論を空へと発展・帰着させた。

12.一部の直感は直感を拒んだ。論理と真理の間の超越を研究開発で補完しようとした。そして完璧な論理で世界を説明し、支配しようとした。そのために動かぬ物たちと融合し、動く物たちを斥けた。

13.一部の研究開発は研究開発を拒んだ。動く物たちのための研究と動かぬ物たちのための研究はしのぎを削った。それは全体を愛する物たちと部分の集合を愛する物たちの競合であった。

14.一部の競合は競合を拒んだ。全体を愛する物たちの一部は言葉を離れ、部分の集合を愛する物たちの一部は理性を離れた。以後、理性を離れた物たちは暴力を、言葉を離れた物たちは智慧を頼りに生きる物たちとなった。

15.一部の拒絶は拒絶を拒んだ。そこに弁明が生じた。光あれ、と。

同じ集団の中にも、一個体の中にも、暴力に生きる物、理性に生きる物、言葉に生きる物、智慧に生きる物とがいる。それらは生物学的に同種であっても、理論上、交わることのない異なった種である。もちろん、心的種構成も時間が経てばいかようにも変化する。人は見た目が全てではない、そうでしょう。



しかるに、

『 愛とは一種の拒絶:変化への拒絶である。』

拒絶を語るのがキリスト教
空を語るのが聖書、仏教
私を語るのが神道、八百万の神

さて、ふむ、、やはり言葉では一長一短は拭えぬか


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