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世にも奇妙なケモナーが出てくる映画、ファーソナズを観た

ファーソナズはアメリカで2016年に作られた映画で、アメリカでファーリー(日本でいうケモナー)と呼ばれる人の何人かに取材をして、人間にフォーカスして見ていく映画だ。

本当に犬になりたくて裁判所に改名手続きを出す人から、着ぐるみを持ってイベントに通う人、イベントの主催をする人、テレビに出てファーリーとは何かについて語る人まで、一口にファーリーといっても同じステレオタイプでは到底語れないほど様々な人がいる。

人間にフォーカスしているから、後半になればなるほど各々の利己的な考えが透けて見えてくるし、ケモナーとしての幸せって何だろうという疑問が浮かんでくるようにストーリーテリングしていく。

ファーリーはアメリカでは長らく差別の歴史に遭ってきていて、「着ぐるみを着てセックスをやる奴ら」というステレオタイプがメディアによって出来上がっている。まあ確かに着ぐるみを着てセックスする人もいなくはないけれど、それをやっている人が実際にどのぐらいいるのかってかなり不透明で、そういう性的なコンテンツに対して嫌悪してる人も相当数ファーリーの中にいるという対立の構図が浮かび上がってくる。

ファーリー同士で自分の立場を守るために延々と殴り合いをしているのだ。

自分たちのありのままをメディアに言うべきだという人間もいれば、自分たちの良い面を見せるよう努力すべきだという人間もいて、その対立の狭間で「相手のようなファーリーとして周りから見られたくない」というお互いの醜い感情が露呈していくのがなんとも人間らしいと思った。

例えば、この映画の中ではアンクル・カゲは詭弁家で権力を振りかざし自分のファーリー像を周囲に押し付けるような人間としてある種の偏見を持って描かれているし、ブーマーは変わり者だけど自分のやりたいことに正直に生きている楽天家で個性的なファーリーというような演出がされている。

あくまでこういう演出も、普段他のメディアがやってないだけで一種のステレオタイプを監督が切り取って出しているんだろうなという感覚は否めない。特に後半のアンクル・カゲをファーリーを牛耳る悪者っぽく演出するために、ブーマーの悪口を言っているところとかは切り抜き報道なんじゃないのかというのも否めない。監督も相当、アンクル・カゲが嫌いなんだろうか?

性的な内容についてオープンにすべきかどうかという点についても人によってまっぷたつに意見が分かれるところではある。外部からのレッテル貼りや偏見に晒された人は一部のフェミニストを名乗る人のように少しの性的要素でも相当嫌悪を抱くだろうし、逆に自らセクシャリティをオープンにしてポルノを売っていく立場の人間は、自分の表現を禁止されれば存在を否定されたようになるだろう。

この間にも無限に立場のグラデーションがあって、お互いに差別を誰かのせいにして、なすりつけあうけれど、結局差別はなくならない。

メディアはでっちあげるし、偏向報道しかしないし、市民は少しでも嫌悪感を抱けば排斥してくるから、表に出すものはきっちりと制限すべきだという立場も、セックス抜きでは私達は語れないし、自分のセクシャリティについてもビクビクしながら暮らさなきゃいけないなんてまっぴらだという立場も、結局自分の利益のために動いている。そんなちぐはぐな人達が同じファーリーという枠組みで見られることに、お互いに嫌悪感を抱く。

アンクル・カゲとか、ブーマーとか、チューフォックスとか、あえて対立の起きそうなファーリーを取材していって話題を振っていくあたり、割りとファーリーの不仲を焚きつけようとしてるような、監督の悪意を感じなくもない。そのほうが映画としては面白いんだけどね。

結果的に、多かれ少なかれ悲しき運命を背負った数人のファーリーにフォーカスを当てた映画だった。

ファーリーが、ケモノに関わってるという点だけで共通しているだけの脆い集団で、政治的にも性的にも信条的にもいとも簡単に分裂してしまうというのがよく分かる。

それでは。

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