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長い花曇りを越え、再び起こす桜旋風【日大櫻丘高校】

【常勝気流】

1972年の選抜甲子園大会にて「初出場・初優勝」という輝かしい実績を残した「日本大学桜丘高等学校」通称「日桜(にっさく)」

選抜決勝では、秋季大会決勝でも対戦した「日大三高」を下しての全国制覇であった。

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【東京都大会ブロック予選】
 準々決勝  14-0 都駒込
 準決勝   2-0 都昭和
 代表決定戦 7-0 都戸山
【秋季東京都大会】
 1回戦  4-0 中大付
 準々決勝 7-4 明治(明大明治)
 準決勝  3-0 堀越
 決勝   3-2 日大三

大躍進を支えたのは当時では異次元の存在であった190cmの長身右腕「仲根正広」投手である。

当時就航したての大型旅客機をもじり、「ジャンボ」と騒がれ話題を独占した。

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選抜大会では準決勝までの3試合でわずか3失点
日大三との「兄弟対決」となった決勝でも2安打完封し、優勝の原動力になった。その後はドラフト1位で近鉄に入団。主に打者として活躍した。通算打率.247、36本塁打。プロ野球通算5万号本塁打も打った。

●第44回選抜高校野球大会
【2回戦】
松江商  000 000 000=0
日大桜丘 320 000 10×=6
【準々決勝】
高知商  000 000 010=1
日大桜丘 100 000 02×=3
【準決勝】
東北   100 001 000 =2
日大桜丘 100 010 001x=3
=サヨナラ=
【決勝】
日大桜丘 010 100 021=5
日大三  000 000 000=0

そしてこの「ジャンボ仲根」と同じく話題を攫ったのが指揮官として甲子園まで導いた「香椎瑞穂」監督である。

日大の名将として「東都のステンゲル(メジャーの名将)」とも言われた名将であり、日大野球部を退任後、同校野球部の監督に就任した。
ケーシー・ステンゲル(元NYヤンキース・メッツ監督)

選抜大会の決勝では打線に定評があった「日大三高」との兄弟校対決。
秋季大会では2失点に抑えた仲根投手は、「高知商業」「東北高校」と実力校を抑えての進出であり、190cmの巨漢投手はますます勢いを増し、下馬評では「日大三高」優勢と言われた試合では見事に2安打完封勝利をおさめ、初出場・初優勝の偉業を成し遂げた。

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同年、桜旋風を巻き起こした桜丘野球部は勢いそのまま、夏の甲子園大会予選も勝ち上がり「夏の甲子園」も初出場を果たした。
春季大会では選抜の疲れもあってか、準々決勝で敗退した(シード権獲得)

●春季東京都大会
 1回戦  ○11-10 日大一
 2回戦  ○5-1 都戸山
 準々決勝 ●2-20 桜美林
●第54回全国高校野球選手権東京大会
 4回戦  8-1 関東商工
 5回戦  7-0 日大二
 6回戦  13-2 国士舘
 準々決勝 8-0 昭和一
 準決勝  3-3 拓大一
 再試合  13-1 拓大一
 決勝   5-1 佼成学園
【初優勝】

「春の優勝校」として見事夏の甲子園大会の出場を果たした桜丘であった。
初戦の相手は春にも対戦した「高知商業」相手に延長11回の死闘の末「敗退」。
春夏連覇は途絶え、鮮やかに巻き起こした桜旋風は止み、終わりを迎えた。

●第54回全国高校野球選手権大会(初出場)
【1回戦】
高知商  000 010 001 02=4
日大桜丘 000 000 110 00=2
=延長11回=

その後は学校、練習環境の変化などによって甲子園からは遠ざかる。
そして2004年にはとうとう練習場がなくなり、テニスコートほどの広さの補助グラウンドで練習に励む他なくなってしまう。

2017年12月に学校敷地内に縦90メートル横50メートルの人工芝グラウンドが完成。内外野との連携も行える環境が整い、野球部は2020年に「ベスト16」まで勝ち進んだ。

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しかしなかなかこのベスト16の壁を越えられずにいる。
2014・2015年とも16強まで進んだ。しかしその壁を越え神宮球場での一戦を長く迎えていない。

【選手主体性と委員会】

現在「日大桜丘」野球部は、選手主体性で練習に動いている。
監督から練習を提示してもらい、そこから選手達で咀嚼しどう動き取り組むかを考え実行に移す。この取り組みは選手達に「責任感」を覚えさせた。

そして「委員会制度」は、神奈川の強豪「向上」高校を参考に出来上がった。
技術面を統括する技術戦略委員会と、生活面を統括する運営向上委員会の2つの部署から出来。その2つを分解し細かく内訳される。
・技術戦略委員会にはバッテリーや打撃、守備班。
・運営向上委員会には、用具管理やグラウンド設備管理、環境美化等。
それらとは別に主将と2人副将からなる幹部グループとマネージャー5人によるマネジメントグループの計4つの部署が存在する委員会制度。

この制度を作り上げたことで選手達は各主将を中心に、積極的に意見を言い合いチーム全体の底上げを図る。

かつては「ジャンボ仲根」を中心とした半ばワンマンチームで勝ち上がった日大桜丘は、現在は隅から隅まで選手達が考え、取り組み「主体性」を鍛え上げている。
そして強い団結力を持ち、再び甲子園を目指す。

「伝説」から50年近く日々は過ぎた。
長い曇り空はだがそれは再び桜が咲く花曇りに過ぎない。

もう一度桜は必ず咲く。

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