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都立の星【都立国立高校】

今から42年前。1980年の夏の大会で都立高校として初めて甲子園の出場を果たした高校。それが「都立国立高校」である。

東京の中でも屈指の進学校として知られ、その伝統は長い。
約50人の著名人を輩出する他、名門「一橋大学」への進学実績の日本一を誇り。
甲子園出場の立役者となった市川投手を始め、現在においても東京大学への進学者を多数輩出している名門都立高校。


「のびのび文化」を掲げ、その長い歴史の中。生徒達は能動的に学校生活に励む。
もちろん難関大学への進学率も左ることながら、世界の自動車グループ「トヨタ」が注目し参考にするなど、日本一として名高い「文化祭」への取り組みも高い。

目玉である3年生の各クラスの演劇では、本番から逆算し、伝統のノウハウを活かしながら1つのプロジェクトとして取り組み成功させる様子にかの大手企業も注目した。

そしてもちろん「野球部」も例外ではない。
日々の練習に欠かせない勉強。
文武両道を達成させ実行すべく部員達は「考える」練習を怠らない。

①「本気の文武両道」

「本気の文武両道」を掲げる国立野球部は、選手達が自ら主体的にメニューを考え作り、練習に取り組む。

月曜日の自主練習日を除けば、他の高校同様に放課後。そして朝練・昼練と能動的だ。
だが野球部は伝統の「明るいチームカラー」を持ち、のびのと。
だが2度目の甲子園出場を目指し決して練習は怠らない。

「自分達で考える」ことこそが国立野球部の強みであると言うように、部活動だけに限らず普段の学校生活から主体性を鍛え上げ、練習メニューを考え、自分たちでミーティングを重ね、目標を達成するために、選手達はだが必死に「野球小僧」である。

また、先述した市川投手を始め、東京大学・一橋大学・北海道大学など難関大学へ進む野球部員も多い。

「文武両道」は決して簡単ではない。しかし国立野球部は決して目を背けない。

②都立の星


1980年の歴史的瞬間の達成までは、同校は1949年のベスト4が最高成績であった。
そこから30年。秋春大会を含みベスト8・16へは何度か進出していたがあと一歩の壁を越えられずに居た。

迎えた1980年夏大会。秋はブロック予選敗退。春は2回戦敗退のチームは、東京都内では好投手の1人して話題に上がる程度であった「市川」投手の力投もあり決して下馬評の高くない野球部の快進撃が始まった。

1回戦〜3回戦と接戦を物にし勝ち上がると、4回戦「錦城高校」を打ち倒し、ベスト8進出。迎えた準々決勝「佼成学園」戦では、延長18回の激闘を挟みながらも、再試合では投打が噛み合い見事打ち倒すことに成功。
久しぶりのベスト4の切符を手に入れると勢いは止まらない。

迎えた準決勝の「堀越」戦では、見事零封勝利を収めると、決勝の「駒澤大学高校」でも見事完封勝利を収め「都立の星」となった。

エースの市川投手は初戦から決勝戦まで全て1人で投げ切る快投を見せた。
他にもベスト4以上は全て「ノーシード校」であった事や、記録的な冷夏という環境も追い風となり彼らの優勝を助けた。

第62回全国高校野球選手権西東京大会
1回戦  ○2-0 都武蔵村山
2回戦  ○4-0 都武蔵村山東
3回戦  ○7-2 私武蔵
4回戦  ○4-0 錦城
準々決勝 △1-1 佼成学園(延長18回引き分け)
準々決勝 ○6-3 佼成学園
準決勝  ○2-0 堀越
決勝   ○2-0 駒大高

https://kodawari.sakura.ne.jp/tokyo/road/1980d.php

「さわやか国立野球部」と全国的に話題の中心となったチームが迎えた甲子園の初戦は、初日第3試合。相手は前年の春夏連続優勝・和歌山県代表箕島高校。5回までは0-0と善戦したものの、後半に畳み掛けられ0-5で敗れた。

惜しくも聖地での1勝は逃したが、当時の「私学優勢」の時代の中、かつ「進学校」でもある都立高校の快進撃は今でもなお語り継がれるほど、大きな歴史を残した。

その後野球部は2004年の夏大会の予選では24年ぶりとなるベスト4まで勝ち上がったが、2度目の甲子園の出場を果たす事は出来なかった。
(準決勝 対 穎明館 1-10)

しかし決して力を失ったかと言えばそんな事はない。
今年2022年は、名門「早稲田実業」の前に惜しくも敗れたが、ベスト16まで勝ち上がっている。

一投一打に全力を注ぎ、 「2度目」の甲子園出場を目指し、野球部は奇跡をもう一度起こす。



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