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まず触れてみようよ。

病院で検査をしてもらったんだけど

検査結果は異常なし。

けれども時々、心臓がドキドキして眠れない。

横になって居られないほどに。


血液検査や画像検査。

MRIの機械などは数億円もする。

血液検査などは数十項目にも渡る。

それぞれが、ある視点からのカラダの見方、評価を示している。


最初、大学病院の教授先生が整体指導を受けにこられたとき

謎にプレッシャーを感じてしまった。

西洋医学に頼った場合に最後に相談を受ける病院の先生たちだったから。

そういった先生方は西洋医学で出来ることを明確に把握されていて

ご自分の状況に対して西洋医学で出来ることがないと分かっていて訪ねて来られる。


医って、人間のココロとカラダを観ていくものだとばっかり思っていたから近しい感覚なのだと勘違いしていた。




実際に整体指導をさせていただいて分かったことは

全く近しい感覚を持ち合わせていない職種の方々だってことだった。




人間を観察して捉えるのに

丁寧に触れる

気で感じる

そのために自分の感覚を育てているのが整体指導者。

現代医学の先生たちには

触れる

気で感じる

という視点を持っていないのだから似ていようはずが無かった。


現代日本人の多くがそうであるように

ぼくも西洋医学を頼っている家庭で育ってきた。

たまたま野口晴哉を知り

活元運動や整体指導で心身が変容した体験が持てたので

自分のいのちを捉え直すことが出来て今に至っている。


冒頭の心臓がドキドキするという人に触れた瞬間に

背骨が硬張って

感じる力を完全に失ってしまっている不感症のカラダであることが分かってしまった。

鈍り適応を見事に完成させてしまっているカラダだった。


アメリカで会社経営をされていて

がむしゃらに働き続けてこられたという。

異国の地での起業と経営。

頑張ってこられた軌跡がカラダに刻まれていた。

しかし、それは

いのち < 会社

という価値観に従って生きてきた痕跡でもあった。


先日、出張してカラダを拝見させていただいた日本経済を牽引されてきた大邸宅の主人も

同じように完全に硬張って不感症を完成させてしまったカラダだった。


カラダから湧き起こる要求に従っていのちは営まれている。

そのカラダから湧き起こる自発的要求を無視していくと

カラダは感じなくなって鈍り、不感症になっていく。


背骨に触れて、可動性が失われていれば

無意識運動が滞っている不感症になっていると言える。

可動性が失われているかどうかだけならば

訓練しなくたって触れたらすぐに分かる。

人間を観察するのにもっとも原始的なアプローチである「触れる」。

触れれば異常が起きていることがすぐ分かるのに

数億円の機械や、最先端の検査を用いて分からないって。

それほどまでに自前の能力を使わずに錆びつかせてしまっている。


「触れる」は誰にでも備わっている能力。

自前の能力を使って育てていくか、

使わずに眠らせておくかは自分次第なり。



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