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この時代に生きていることの影響って受けてしまう。だからこそ操縦席を譲らないと決断していく。

このあいだ嬉しい感想を聞かせていただいた。

ぼくの整体指導を受けてから

コロナ禍の現実で生きていくのが楽になりましたって。

まるで別のパラレルワールドに来たみたいですって。


現実自体は何も変わっていないのにね。

彼女のカラダが変わり

自分のカラダの心地よさを感じるようになったために

受け止めて認識している世界が変わってしまったらしい。

初めていただいた感想。


もともと野口整体の指導者は病気を避けるのではなく

病気になったとしても自分のカラダの力で経過させて

出来るだけ主体である自分のいのちで歩んでいくことを

自分の生き方で示していくという職業でもある。


なので公共機関や街でマスクをするくらいで

生活自体はほとんど変化がない。


とはいえ、コロナ禍の現実に全然影響を受けていないのかと言えば

そうじゃない。

両親はTVしか見ていないからコロナについて怖れているし

嬉々としてワクチンを打っている。

大汗かきで高い湿度が苦手な体癖なので

街中や電車内でのマスク着用は人一倍不快で息苦しい。


このあいだも電車の目の前で咳を頻繁にしている人に対して

嫌な気持ちを抱いている自分を発見した。


あ~~~自分もやっぱり今の時代に生きている影響を受けているのだなって。


ぼくですらそうなんだから

普段からコロナに対して怯えたり

営業自粛している方だったり

コロナ前と自分の日常の行動が一変してしまうほどの

制約を受けていたり

不安や恐怖が根付いてしまっている人は

もっと激しく嫌悪感が湧いてしまったりすると思う。


で、ぼくの場合は何に対して嫌な感じを抱くのだろうと自問してみた。

もともと目の前のひとが咳をしまくるって

気持ちのいいものじゃないよね。


コールセンターに勤務していた時は

マスクをしていない隣の人が咳をしたりすると

空気中に唾液の匂いが漂うことがある。

まさに唾液がエアロゾル化して空気中に混ざった臭い。

そういうのは普通にみんな嫌でしょ。


コロナといえども罹ったら、他の病気と同じようにこころ静かに経過させるだけなんだけど

行政に関わることや営業できない期間が発生することへの

わずらわしさがハンパない。

そのわずらわしさに関わりたくないんだなって。

そんな連想が働いてしまうために

目の前の現実に対して嫌悪感を抱いてしまっていた。


でも、ぼくが体験したい現実は

整体指導を受けてくださった方が教えてくれたように

自分のこころの在り方を

コロナ以前と同じように在ることで創造していきたいんだよね。


すごく気負った姿勢ではなくって

要は自分が心地よい在り方

外の環境に自分のこころの在り方のハンドルを握られるのではなく

自分が自分の在り方のハンドルを握るってこと。

世界の在り方と真逆なぼくの指導室に来てくださっている方に

大事なことを思い出させていただいきました。



よくやりがちなんだよね。

コロナに限らず

自分が不快に感じた出来事や人物のことを

過ぎ去ったあとでも

脳内で反芻して

ふたたび不快を再生産してしまうってことを。

それって自分の嫌いな奴に

自分のこころの操縦席に座らせているってことだからね。


自分が嫌いな奴やコロナに

一番大切なこころの操縦席を譲るってさあ

何やってんだか、自分 (>_<)

やりがちだからこそ

何度でも

気が付くたびに

自分に言い聞かせていきたい

今、自分のこころの操縦席に座っているのは誰だ?

ってね。








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