そのままでいいんだよって、自分を許してあげる。
心屋仁之助さんが言っていた
存在給。
何もしていなくて
ただただ存在しているだけで
あなたがもらってもよいと
自分にOKだしてあげられるお金のこと。
分かりやすい例だと
家事はお手伝いさんにお願いしている
専業主婦のお金持ちの奥さんは
とびっきり存在給が高い人。
この存在給、
会社勤めしているひととか
がんばらないとお金はもらえないという
信念があたまにインストールされていると
そもそも自分に受け取ってもいいよって
OKじたいを出してあげることが難しい。
自分が非正規のコールセンター勤務で
先週、声が出なくなったときに
電話で声が出なくなるという恐怖はもちろんあったけど
加えて、ものすごく忙しい現場で
声がでない = 仕事ができない
わけで。
その場に居てはいけない存在って
感覚が強烈に生じてしまった。
その部署でクレーム対応や難しい案件を
任されていて
エースとして扱われていた立場から
一転、声が出なくなり
仕事ができないという状態に
陥ったときに
生じた感覚。
ここに居てはいけない
感覚って
怖いよね。
自分の存在を認めてあげられないわけだから。
しかも自分が認めてあげてないってことだからね。
本当だったら
周囲の人が認めていなくても
自分だけは認めてあげていてほしいのに。
自分を粗末に扱ってる。
そうか
存在給、めっちゃ低いやん自分
がんばる教の信者やん。
がっつり
時間給という信念があたまに根を下ろしっちゃってるやん。
整体指導者としてやりたいことは
愉気を通じて
ふれることが家族の中で
人生のなかで広まって
『ふれる』がある光景を増やしたい。
『ふれる』愉気の力でできることって
いっぱいあって心身が元気になっていくというのは
その一面なんだけど。
ぼくが一番魅力を感じているのは
『温かさ』が伝わるってこと。
だから人間関係まで変わってしまう。
温かさが伝わると
カラダだけじゃなくって
こころがほっこりしてくる。
こころが安心を感じられる。
自然と口角があがり
微笑みが浮かんでくる。
これは
そのままの
自分でいいんだよってこと
ただただ
居てるだけの状態を肯定してあげることにつながる。
それなのに
自分を粗末に扱っている現実を
突きつけられた。
だから1日おきのコールセンター勤務時には
猛烈に在り方の波動が低くなり
現実創造ができなくなっていた。
お金のため
生活のためと
非正規社員では我慢して働いていて
クレーム対応など
嫌なことをしているんだから
自分を粗末に扱っていたのは
間違いないよね。
仕事ができることに価値を置いていたから
仕事ができなくなったときに
自分の価値がないと感じた。
存在給ではなく
時間給という信念をもっているから
仕事ができないと存在してはいけないという価値を持っていた。
だから仕事ができない人に対する批判も湧いてくる。
今回、自分が仕事ができない状態に陥ることで
自分が抱えている信念、観念が
炙り出されて
向き合うことになってしまった。
この信念は
手放さなきゃね。
自分が持っていたいものではないから。
これからは
自分が満たされて
波動が高まっている状態で
居続けてあげようと思う。
そのままの自分でいいんだよって
自分にOKだしてあげたいと思う。
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