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背骨には歴史が刻まれている

野口晴哉先生がみんな整体指導を受けるために背中を見せるけど

度胸があるよねと言っていた。


それはどういうことかというと

背骨、カラダには今までの歴史、痕跡が記されているから。

それを先生の前でうつ伏せになって背中を見せるということは

自分の歴史を全部見せるということ。

ぼくらは自分の歴史が読まれてしまうなんて思ってもいないし

そんなことが出来る人と出会ったこともないからね。

だから気楽に背中を見せてしまう。


ぼくが初めて師匠の田総先生に整体指導してもらったときは、

役者を続けていくか、野口整体を志そうか悩んでいて、

大好きなじいちゃんを亡くした直後だった。


一番、最初に田総先生に

『もっと楽に生きられるといいね』

と言われたのを覚えている。

そして、先生の穏やかで温かい気で背骨が満たされていった安心感は今でも覚えている。

自分のカラダという水袋の中で背骨が浮いているような感覚。


あの時、先生はぼくの何を見たのか?

たぶん見ていたのは胸椎4番


他の先生もぼくの背骨を観察した後に

『あれっ? けっこう大変な経験をしてきているんだね。』

って言われたこともある。

それって、胸椎4番から読み取ったんだと思う。

胸椎4番は心臓や呼吸器と連動している処なんだけど、不安を反映する処でもある。

明確な不安の対象があると胸椎4番の弾力が失われる。


胸椎4番は乳腺とも関係が深い。

出産した友人から手術をしないと母乳が出ないと医者に言われたんだけど

手術をしない手立てがないか相談を受けたことがある。

背骨を観てみると胸椎4番が弾力を失っていた。

調整して母乳は一時的に出るようにはなったけれど

胸椎4番が強張ってしまったのは

旦那とケンカが絶えない夫婦関係に起因していた。

なので整体指導で胸椎4番を調整しても

夫婦関係という明確な不安要因が改善されないと

胸椎4番はふたたび強張ってしまう。


不安対象が明確でないもの。

漠たる不安は胸椎7番の異常。

神戸で阪神大震災の前は

来る人来る人みんな胸椎7番異常だったそうです。

カラダという無意識では未来の地震を感じとっていたわけ。

癌なども必ず胸椎7番の強張りを伴う。


で、当時ぼくの胸椎4番は大きく捻れていたわけ。

ピーターの付き人兼運転手をやった直後から、剣術の素振り稽古のときや、役者のトレーニングのときに背中で肉離れを起こし始めた。

故障するのは、いつでも同じ処。

今思えば、胸椎4番の右二側という処。

ちょ~~明確な不安があった痕跡。


車内で二人しかいない状態で

運転中に助手席から叱られたり怒鳴られたりするんだから

そりゃ、おかしくなる。

結局、付き人期間4カ月はずっと下痢。

東京海上時代には交通事故の示談交渉相手がヤクザになることもあって

ものすごくストレスフルで病んでしまう同期もいる職場だったけど

それよりも遥かにキツかった。

おはようからおやすみまでキッツイ人と一緒って

逃げ場がなくて、ものす~ごいストレス。

その時にぼくの胸椎4番の弾力が失われてしまったというわけ。

そんな風に、背骨にはその人の歴史が日々刻まれていっている。


でもね、背骨から歴史を読み取るのは簡単じゃないんだよね。

ずっと背骨から歴史が読めなくっちゃいけないものだと思っていたから

先生のように読めない自分に対して常に劣等感を抱いていた。


ところがあるときに気づいた。

不思議なことに愉気をして背骨を整えていくと

なぜかみなさん過去のトラウマなどの自分史を口にしだす。

あれっ

おもしろーい


そしてこころとカラダの変化が起こっていく。


どこまで野口晴哉先生に近づけるのか分からないけど

背骨に刻まれている歴史を

どこまで読めるようになるのか

常にこころに留めておきたい目標ではあります。



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