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「ふれる」とは、あなたに出逢うってこと。

滅多にないことなのだけど

口に入れた瞬間に

あ〜いいものを戴いているなぁって

至福感がカラダを満たしていく事がある。


先日、二階堂さんで「冷やしいりこそば」をいただいたら

いりこの旨味に包まれた。


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時間があえば何度でもリピートしたいほど美味い。

この美味さを求めて

わざわざ並んでまで食べているわけだけど。

こんな時代だから

みんな黙々と食して

静々と帰っていく。


あくまでもぼくの感受性での事になっちゃうけど。

その状況下で一日の仕事を終えたときに

果たして今日出逢った人が頭に思い浮かぶだろうか


外見は思い浮かぶかもしれないけど

ぼくはとても出逢ったなんて感じられない。


触れて

気を通していくことで

手で直に目の前の人を感じとって

初めて出逢えたと感じる。


まぁ、そんな感受性だから

野口整体の整体指導者になっているとも言える。


言葉を通してよりも

手のひらで、指で

悩んでいることだったり

痛がっていることだったり

今までどんな体験をしてきたのかなどが

こちら側に伝わってくる。


そんな交流が生じて初めて

目の前の人と出逢ったと感じることができる。


人であったり

物であったり

出逢えることが増えていくと

なんだか自分が充ちてくる。

豊かさと言ってもいいし

幸せと言ってもいい。


出逢うと

自分の中が

うきっとしたり

ふわっとしたり

ぶわわわ~んとしたり

もちろんゲロゲロってことも。


カラダの中で何かが動くんだよね。

それこそが「気」

そして自分の場合は

気が一番動くのが

「ふれる」を伴っていることが多い。


だから「ふれる」なしで

出逢ってもなんだか味気ない。


ふれて愉気をしていく。

伝わっていくのは

気だけじゃなくって

温もりや

存在、気配

見えないものも含めた言語化できない『何か』


その『何か』を初めて明確に自覚したのは恋愛のときだった。

言葉を交わしていないのに

ふれただけで彼女が昼間体験した感情が

こちらに流れ込んできて

わかってしまう。


それは『気』による感応の体験でした。

そんなぼくの体感を表現してくれている作品に出逢った。

武田双雲さんの個展で出会ったこの作品。


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写真には写っていないけど

実物は金色の文字『香愛』。

ぼくにとっては愛とは

ふれることで伝えていく愉気と同じだと思っている。

そしてリアルでなければ

香りを感じてもらうことは出来ない。

香るのは言葉では表現できない『何か』たち。



そう遠くない未来に

日常生活の中にAIやボーカロイドが搭載された

アンドロイドが出現するだろう。

だとしても

ぼくは昔ながらに

人間とリアルにふれることで出会っていく未来を選択していきたい。

触れることでしか伝えられない『何か』を感じ続けていきたい。


ぼくは温もりや気の交流が発生して初めて

あなたと出逢ったと感じることができるのだから。



※双雲さんの個展は日本橋三越本店で8月16日まで開催していますよ。




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