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どうして人を殺してはいけないのか? 活元運動が教えてくれる。

頭をポカーンとさせて、カラダの力が抜けると

カラダって勝手に動き出す。

活元運動と呼んでるけど

要は無意識の運動ってこと。


って、話をするとひく人がいる。

いわく、怪しいと。

初めて聞くって方もいるかもしれない。


それは名前をいま知ったってだけで

無意識の運動は

あなたが生まれる前から

お母さんのお腹の中にいたころから

ずっといのちが行っている。

あなたの意識『わたし』とは関係なくね。


だって、わたしの意識が芽生える以前

卵子と精子から今のわたしのすべてを作り出してきたのだから。


もし電車の中で立ちながらスマホでこの文章を読んでいるとしたら

意識では文章を目で追う作業をしている。

その時に、もうスマホを持っている手は意識していないよね。

電車の揺れで倒れないように立っている足も意識していないよね。

仮に意識していたとしても

吸って、吐いての呼吸

全身に体液や血液を巡らせているのは無意識運動だよね。


意識運動の裏には、それを支えている無意識運動がある。

というか、意識運動って1%もあるんだろうか?


食べたものを消化して、排泄しているのは無意識の運動でしょ。

目にゴミが入れば

瞬きをして

涙を流して排泄しようと動き出す。

大脳が疲れてくれば、あくびをする。

カルビの焼ける臭いを嗅ぐと唾液を出す。

うなぎを焼く臭いでも唾液が出るよね。

梅干を見ただけで唾液が出る人もいる。


ぼくが意識で出しているわけではない。

無意識運動が出してしまった。


火に触れて、アツッ

思わず手を引っ込めてしまう。


誰かを好きになってしまったり

愛してしまったり

何かに夢中になってしまったり

あなたが意識的に決めたことってどれくらいあるんだろう。


なぜ今、それを想ったかなんて

意識的に決めているの?


今、想っちゃったんだよね。

自然に出てきちゃったんだよね。

だとしたら無意識運動とも言えるよね。



だからカラダが勝手に動くのは怪しいって言う人は

今まで一度も自分のカラダについて目を向けてこなかった人生ということ。

生まれてから一度も丁寧にカラダを感じてこなかった人生だったということ。


だって、カラダは勝手に動いているのが自然だから。

勝手に動いてくれていなかったら、とっくに死んでるよ。

それほどまでに自分の意識で生きていると思い込んでいる。

ほとんどの人が疑問にすら思わずに、一生を終える。


ところが、生きているのは無意識運動が行っている。

自分なぞ、まったく関与していない。

いのちが行っていることなんだよね。


人間はうちからの要求に従って生きている。

湧き起こっちゃったもの。

それがいのちの要求。



活元運動を訓練するようになって長年の疑問が消えたという方がいる。


どうして人を殺しちゃいけないのか。


他人のであっても、自分のであっても

いろんな人の説明聞いても納得できなかったって。


結局、ひとが作った理屈って、もっともらしいんだけど。

所詮、頭で考えたことだからしっくりこない。


ところが活元運動をするようになると

自分の意識とは関係なく、動きだす自分のカラダを発見。

動いているのは「わたし」ではなく「いのち」なんだと明確に分かってしまった。

いのちが生きようと動いている。

わたしのも、他人のも。

生きているのはいのちなんだよ。

わたしのも、他人のも。


いのちが生きようと動いているのだから、

わたしが勝手に邪魔をしてはいけない。

殺してはいけないって。

わたしのも、他人のも。


ただそれだけのことじゃん。

真実はとってもシンプル。



現代は知りたい知識はググればすぐに得られるし、

欲しい本はクリックひとつでアマゾンで手に入るし

SNSにも情報があふれている。

それなのに一番身近なカラダについて誰も知らない。

感じたこともない。


知識ではこれを食べたら健康によいとか、

こんな運動が健康によいとか、いろいろ日々様変わりする。


いちど、情報を捨てて立ち止まろうよ。

活元運動を体験して

動こうとしているいのちをダイレクトに感じようよ。

そうすれば健康情報とか宗教団体に踊らされることもなくなる。

いのちって、不思議なことでもなんでもない。

自分が直接感じ取っているものが いのち なんだから。





































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