私、今日も生きている
昨日、SNSをみていて、はっとした。
毎年行っていたイベントに、行かなかったこと。
行かなかったというか、なんだか忘れてしまっていたこと。
あー今年はあるのかなー聞いてみようと思っていたのに、なんだか勝手に今年はないだろうなーと思ってしまっていた。
今年は、出来ないことが多くて、諦めグセがついてしまったのかな。いや、ただの言い訳かな。
そして、恩師が亡くなってから、3年経っていたことに気がついた。
いつも、その日が近づくとそわそわして、恩師の言葉を思い出していたのに、すっかり過ぎていた。
いつも考えていることなんて、もちろん出来ないけど、大事な日は覚えていたいし、その日くらいはしっかり思い出して考える自分でいたい。
と、思っているのに。なんで忘れてたんだろう。
と、ちょっと落ち込んだ。
だけど、きっと日付なんて関係なくて、私のなかにそんな気持ちがあること、そうやって考えている時間があるだけで、いいんだろうな。
と、思ったので、復活した。
私や、私の周りにあるもの、社会は、いろんなもので形作られている。
私は、そんな当たり前のことを知りつつも、日常では忘れている。
そもそも知っているようで、知っていなかったりもする。
無知の知。
恩師と出会ったとき、私は本当になにも知らないパッパラパーで、自分を信じてくれる人は自分しかいなくて、自分は一人で生きていけると思ってた。
でも、ちがった。
私を信じてくれる人は私以外にもたくさんいたし、私は自分一人でなんて生きていけなかった。
そして、世界はあまりにも知らないことだらけで、一生かかっても見えること、知れることなんてわずかなことを知った。
それでも、できるだけたくさんの人とたくさんの世界をみながら生きていくことが、私の人生を豊かにしてくれると知った。
彼がいたから、今の私がある。
彼の言葉で、今日も私は生きていける。
人は死んでも死なないんだな。って、教えてくれた。
いまでも、大切なことを教えてくれている。
私もそんな風に生きていきたい。
思い出しただけで、げんきになるってほんとにすごい。
どうやったって近づける気がしないけど、明日も明後日も、精一杯生きよう。
晩ごはん、なににしようかな。
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