私が有料noteを書かない理由
突然ですが、有料noteを書いている人を見ると、羨ましいと思うことがあります。
それなら、自分でも記事を販売すればいいだけのことですが、どうにも踏み切れずにいます。
けれど、ずいぶん長いこと有料noteのメリットと躊躇の理由を考えたおかげで、自分自身の書くことの原動力が分かったように思います。
今日は、少し、そんな話をさせてください。
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そもそも、有料noteに興味を持ったのは、有料noteを見かけることが多くなったことがきっかけだったように思います。
記事の途中で、「この続きをみるには」というお決まりの文言にその先の文章を読むのを阻まれ、何とも言えない気持ちになったことが何度かあります。
それなのに、自分で有料記事を書きたいと思うのは、自分の価値観に変化が起きているからだと思います。
社会人になって、1年半近くが経過しました。
社会人の評価は、お金に直結するものです。
私の評価をせずに上司が亡くなったこともあって、今期の私の評価は、散々なものでした。ボーナスが(いただけたことに驚いて、感謝してはいますが)、同期たちの1/3ほどだったことを、後で知りました。
評価は、お金に直結する。
評価されないものは、お金にならない。
当たり前の事実に、今更ながら、私はショックを受けました。
お金にならないことが意味のないことだとしたら、私のnoteは無意味と無駄を足して2で割ったようなものです。
時々、恋人から尋ねられる「あなたはどうして、noteを続けられるの?」という質問に、最近は答えることができずにいます。彼は、おそらく何の悪意もなく聞いているのでしょう。私の継続力を尊敬している、といつも言っているのですから。
それなのに、その質問が胸に突き刺さるのは、「評価をされないのに」「お金にならないのに」という気持ちが、私の中にあるせいです。
書くことがお金になったらどんなにいいだろうと思います。
お金は、自分の文章が誰かの役に立ったことの証ですし、書き手である私の生活を保証してくれます。
けれど、記事の販売には踏み切れない何かがあるのです。
自信のなさが理由だろうと最初は思っていました。
自分のnoteを買って読もうと思ってくれる人はいないかもしれない、という恐れです。確かに、それはあります。
工夫次第で、買ってくれる人はいるのではないかとも考えました。けれど、どんな工夫をして、誰に買ってもらうかということを考え始めると、手が止まってしまうのです。
何か、すべきではないことをしているような気持ちになるのです。
お金を払ってでも読もうと思ってもらえるものを書くこと。
それは、間違いではないと思います。
けれど、それを基準に書くのは私の本当にやりたいことではない気がするのです。
私は、言葉を大切にしたいと思う人間です。
言葉が諸刃の剣であることを知りながら、「地上の楽園」と呼べる言葉の庭を作りたいと願っている人間です。そんな私にとって、言葉とは、無料でできる最大の贈り物に他なりません。
それに値段をつけ、お金を要求するのは、不当なことをしているような気持ちになってしまうのです。
私が書いているのは、エッセイです。
人生に降りかかるあらゆる経験を、言葉にしています。
それは、悲しい雨かもしれないし、笑いたくなるような陽の光かもしれないし、忘れたくない月光かもしれません。
それらが降り注ぐ庭を育て、花を咲かせてここで見せているのは私ですが、私の力で花が咲いたとは思いません。
植物の庭と違って、種を買ってくる必要も、嵐をしのぐ用意をする必要も、水を運ぶ必要だってありません。コストは、私の人生だけです。そこに値段をつけることができるでしょうか。
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私が有料noteを書かない理由は、上記のような考えに落ち着いたからです。
もしかすると、今後私が記事の販売を本当に始めるかもしれませんし、有料noteが悪いと言っているのではありません。
お金を払ってでも読みたいと思われる文章を書き、誰かにお金を払ってもらい、読者には幸せになってもらい、自分もお金を受け取れる。そんな素敵なお金の巡りを実現させている人を悪く言おうなんて、夢にも思いません。
ただ、今の私のような考え方で書いている人は、無理に有料に切り替えなくてもいい、そのままでいい、と伝えたかったのです。
もし、記事を販売している人が羨ましくなったり、自分の無料の記事は無意味で価値がないと思ったりしたら、少し立ち止まってください。
他人のやり方と自分のやり方を比べないでください。
評価がお金に直結する社会だとして、あなた自身も、その価値観で生きていきたいのでしょうか。
私は、お金と評価がイコールではないと信じています。
もし、たった一人からのスキだとして、その人が涙を流しながら、ありがとうと思いながら押したスキであれば、それは、お金にはならない非常な価値のあるものだと私は思います。
私自身、「あぁ、いいものを読ませてもらった、ありがとう」と思いながらスキを押すことがあります。その尊い瞬間を世界に生み出すのは、お金でははかれない、本当に素晴らしいことだと思います。
私たちは、お金がなければ生きていけません。
けれど、そんな瞬間のない世界で生きていく方が、ずっと辛く味気ないものだと思うのです。
有料noteが増えても、私は、無料で書き続けていくだろうと思います。
毎回、いいものを、質の高いものを提供できるかは分かりません。
幸い、無料ですから、文句を言ってくる人はいないでしょう。
けれど、全力を尽くして書き、「あぁ、いいものを読ませてもらった、ありがとう」と誰かが溜息をつく瞬間を、もう一度頑張ろうと思える瞬間を、生み出していきたいと思います。
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