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日々を綴る習慣が、人生の見方を変えてくれた

1年前の今日、自分が何をしていたか。何を考えていたか。思い出そうとしなくても、私には分かります。文字通りページをめくれば、10年前の今日、何をしていたかを知ることもできます。

2013年の1月1日以降であれば、ほとんど毎日、何かしら記録として残っているからです。……3冊の5年日記に。


日記を始めたのは、中学生の頃でした。今では、日記を書くことは、私の大切な習慣です。

日記を書きたいと思い始めたのがいつだったかは覚えていませんが、「アンネの日記」に影響を受けたように思います。我が家には世界や日本の偉人の伝記(子ども向けの、イラスト入りのものです)が沢山置いてあり、自然と彼らの人生に触れていました。

その中でも、ある意味「普通の女の子」のアンネ・フランクに、私は強く惹かれました。もちろん、伝記の最初は誰でも普通の子どもです(天才的な何かを感じさせるストーリーも多いのは否めません)が、アンネは他の偉人たちと違って、大人になる前に、有名になる前に、若くして亡くなりました。

有名になった日記の中に書かれているのも、野心や希望に満ちた内容だけではありません。母や姉との衝突、一緒に隠れ家生活をしていたペーターへの恋心、戦争への恐怖……。自分の心の内を包み隠さず語る言葉にも、共感したのです。

日記の書き始めに、こんな言葉をアンネは綴っています。

 あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。

1942年6月12日のアンネの日記
「アンネの日記 増補新訂版」アンネ・フランク、
深町眞理子、文春文庫、14頁

10代前半の私は、自分にもこんな存在が欲しいと5年日記を手にし、日記を書くことを習慣にし始めたのでした。

また、小説家になりたいという夢を抱いていた10代の私にとって、アンネは憧れでもありました。戦争と迫害という苦しい状況下でも、自分の日記を出版するために日記を書き直し、童話も書き、それが今や出版されたどころか世界中で読み継がれているのですから。

とはいえ、私には「日記が出版されるように」などという野心はありませんでした。第一、書く内容はあまりにも平凡です。部活でのトラブルや、試験の前日の緊張、家族で見たテレビや、旅行先でのこと……。個人的な事件や幸せが書き連ねられているだけです。

しかも、何年か経って読み返せば、驚くほどささやかな内容です。クラスの誰かがとんでもない遅刻をしたとか、欲しかった本を買ってもらえたとか……。ここで共有するのも憚られるような、小さな話ばかりなのです。

両膝の怪我のせいで修学旅行に行けなくなりかけたことや、サークルが大変なこと、その当時は真剣に悩んでいたことでも、今となっては「過去のこと」。しかも、他人からしてみれば「どうでもいいこと」に他なりません。

でも、日記に綴ってきた日々は、私にとっては大きなものでもあります。書き続けてきたことで、ただの日記が、現在と過去を繋ぐツールのようになってきたのです。

2019年のある日の日記には、1年前の日記を読み返した時の驚きが、綴られていました。まずは、2018年の日記からご紹介しましょう。これは、懐かしい街で撮影をした日の日記です。

 今日は、一人きりで撮影へ。……(中略)……飽きるほど歩いた道。まるで過去の世界を、夢の世界を、さまよっているみたい。時は流れ、風景も変わっているのに、私だけが変化しない。ずっとずっと、ふらふらしている。綺麗に流れていかないものね。……(中略)……流れるように自然に生きていきたい。戻ることを望むのでもなく、前に進むことをためらうのでもなく。
 やっぱりカメラって、すごい。生き方を考えさせられる。

2018年10月20日の日記(一部・少し修正)

この日記に対して、1年後、2019年の自分はこのように書いています。

 去年の日記を読んで、驚いてる。
 綺麗に流れてゆくものなんてない。 
 それに、私は確かに進んでいるの。苦しいけど。そう、あなたは、ずっと変化し続けている。
 それが今は、苦しい。
 ねぇ、不思議だよね。変化を求めていた私は、変化することで苦しんでもいる。
 でも、とにかく、変わらないものはないの。

2019年10月20日の日記(全文・少し修正)

1年後がどうなるかなんて分かりません。5年後がどうなるかも、分かりません。でも、日記を使えば、1年前、何をしていたかが分かります。5年前、何に悩んでいたのかをありありと知ることができます。

そのことが、未来の私を、今の自分を、勇気づけてくれるのです。なぜなら、その時と今の人生は、あまりにも違っているから。人生の見方も、変わっているからです。

私たちが生きられるのは、「その日その時」の人生だけですが、日記に綴られた言葉たちは、過去の人生をリアルに伝えてくれます。

例えば、私はもう、中学生ではありません。クラス替えで誰と一緒になったとかならなかったとか、席替えで一番前の真ん中の席(私の学校では”お見合い席”と呼ばれていました)になったとかで落ち込むことはありません。

私はもう、高校生ではありません。両ひざの怪我のせいで参加できなくなった球技大会や体育の授業のことで悔しい思いをすることはありませんし、進学先のことで悩むこともありません。

私はもう、大学生ではありません。アルバイトのミスでヒリヒリすることも、サークルの行く末を心配することも、終わらない就活と病気に頭を悩ませることもありません。

私はもう、会社員ではありません。同期と比べて焦ったり、上司が何度も変わって大変な思いをしたのも、もう過去のことです。「自分を削ってるって感覚が強いの」(2023年3月10日の日記より)と言いながら働くことはなくなりました。

毎日、日記を書くことで、自分の人生を物語のように捉え、客観的に見直すことができるのです。書くことは「自分の再構築作業」と日記に記した2020年9月6日の自分に、私は大いに共感します。

それは、その日を振り返る作業ができるからということだけではありません。過去の自分と対話し、未来の自分に思いをはせることもできるからです。

2021年の日記では、未来の自分に話しかける場面がありました。

2018年の自分の言葉に励まされる…。まるでここで、過去の自分と対話しているみたい。…まぁ、未来の自分と話すことも、ここでは可能ってわけね。2018年の自分は、そんなこと、少しも頭になさそうだけど! でも、今の自分にはそういう気がある。だって、未来が怖いから。ねぇ、2022年の私。未来はどう? どこで働いてる? 夢を忘れてない? コロナは、相変わらず? 幸せ?

2021年6月6日の日記(全文・原文ママ)

日記を書き始めた2013年の時点では、日記を書くのが日々の習慣として、こんなにも定着するとは思っていませんでした。むしろ、この5年日記を、自分はきちんと埋められるだろうか、と思っていたくらいなのです。

でも、実際には、2024年の現在も、書き続けています。いつの間にか、物心がついてからの人生の半分近く続いている習慣になったのです。これほど続いている習慣は、他にはないでしょう。

だから、来年も自分が生きてさえいれば、日記を書いているという確信を私は持っています。そのおかげで、未来の自分に語りかけることもできるようになったのです。

夜のほんの一瞬、その日を振り返る時間は、現在の私を再構築し、過去の自分と未来の自分を繋ぐ、かけがえのない習慣になりました。日記を書くことは、私の大切な習慣です。


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