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【勉強エッセイ】アレクサンドロス

僕が大人になって勉強しようと思ったわけはこちらの記事をお読みください。


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参考図書は「一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書」です。


アレクサンドロス


ペロポネソス戦争で混乱するギリシア世界の北に、マケドニアという国家があった。

マケドニアはギリシア人の一派であったが、ポリスをつくらないなどの生活スタイルの違いにより、ギリシアからは異民族とみなされ、格下扱いを受けていた。

ところが、マケドニアの王フィリッポス2世は軍事力の増強に努め、ペロポネソス戦争の混乱につけいって、カイロネイアの戦いでアテネとテーベの連合軍を破る。

そして、フィリッポス2世はギリシアのポリスをコリントス同盟という形で統合し、支配下におさめることに成功する。


世界史を女子中学生のどろどろ関係に例えるのはよくない気がするが、グループ内で揉めているうちに、そしたらうちんとこ来なよと男子の知らない間で、移籍が行われていることはよくある。それでもフィリッポス2世のように揉めている連中全てをおさめることのできる素質のある王は多くない。


フィリッポス2世の子が、ヨーロッパからインドにまたがる巨大帝国を築いた、アレクサンドロスだ。
アレクサンドロスはギリシア世界にとっての脅威だった、東方のアケメネス朝ペルシア帝国を倒すため、マケドニアとギリシアの兵を率いて東方遠征に出発する。
「重装歩兵で敵の主力を足止めし、自信は騎馬隊を率いて大きく迂回し敵の心臓部をつく」という機動戦を得意にしたアレクサンドロスは、イッソスの戦いやアルベラの戦いでペルシアを破り、さらにインド北西部に侵攻して、破竹の勢いで大帝国を築いた。
ところが、軍隊の疲労はピークに達し、インダス川流域まで侵攻したところで快進撃は止まる。
そして故郷マケドニアに帰る途中、アレクサンドロスは、バビロンの地で32歳の若さで死去する。

アレクサンドロスは「最も強き者が我が後を継げ」と、遺言を残したため、後継者争いが始まる。

この後継者争いの末、アレクサンドロスの帝国はアンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトという3カ国に分裂してしまう。


アレクサンドロス大王が長生きしてたのならば、その支配はどこまで及んでいたのだろう。その名を歴史に轟かしたその男は英雄なのだろうか。この世界は支配戦争に勝利していった者たちの名前は歴史に残されていく。そして、僕たちはみんな何かの支配のもとで生きている。その支配によってつくられてきたものは多い。素敵だと思われる文化だってもとを辿れば支配から生まれた外のものだったりするかもしれない。戦争が悲惨だということも、戦争によって支配が生まれ、生活や文化がつくられていることも、それが繰り返されてきたことも、僕たちは知っている。
何のために声を上げて、何のために平和を叫び、何のために戦っているのだろう。

ただアレクサンドロスが死んだように、誰しも死ぬときは死ぬ。そして命はなによりも重たくて、それがなければ、スタートにもゼロにもならない。そして、それを痛いほど僕らは知っているはずなのに。

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