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僕対キューバ人の2時間で

対人間を深く味わった瞬間は何度もあるのだろうけど、心と心の目が合って対面した人間はそこまで多くない。

親との喧嘩だとか。

恋人との甘い夜だとか。

チームメイトとの試合だとか。

そして、その相手の中に見ず知らずの人間もいたという人生は、自分でも予想外である。

その男は5年前キューバで1人旅をしていたときに突然現れた。

首都ハバナのとある通りに座って休んでいたら、まるで僕が絶世の美人であるかのようにその男は話しかけてきた。前日、男二人組に酒代とタクシー代をぼられていた僕の警戒心はMAXだった。
男は声がカッスカスにかすれていた。そしてスペイン語だ。僕らは一生懸命グーグル翻訳を使いながら会話したが、そのほとんどの意味が分からなかった。僕はなんだかんだ、よく分からぬまま、彼と2時間ほど話していたと思う。2時間といったら、映画一本は観れる。2時間あれば久しぶりに再会した友人と一通り近況を語り合える。だが、僕はこの2時間で彼の何ひとつ分からなかった。唯一聞き取れたのは「女が好きか?」だった。こいつ、俺と2人で女をナンパしに行こうと誘いたかっただけだったんだな。そして酒代を僕に払わせようという魂胆だ。ガッカリだった。東洋人を財布だと思いやがって!!前日のことがあったので、なんとしても帰ろうと思って、帰ると言った。
そして彼は通りすがりの女性と手を繋ぎ街へ消えていった。

そんな彼と最終日にもハバナで会った。固い握手を交わした。その目と手の温もりはアミーゴ(友達)に向けるものだった。

彼は実にひょうきんなのだ

僕は分からなかった。キューバではお金を持っている僕らがお金を払う瞬間が幾度もあった。(正確には僕はお金なんてない旅人だ)そして彼らはもしかしたらそれが当然だと思っているのかもしれない。僕はぐるぐると頭の中で考える。彼らがもしお金をもっていたら、彼らはお金のない人の為にお金を払うのだろうか。なぜだろう、彼らなら払いそうな気がした。僕が悪いのか、彼らが悪いのか、日本が悪いのか、キューバが悪いのか。頭の中がぐるぐるとかき混ぜられて、それは細い糸のように複雑に絡まっていった。

日本、キューバ、資本主義、社会主義。

人間が社会のシステムによってつくられるなんて、僕が好きな考え方じゃない。でも現実はそうなんだろう。僕は社会に生かされるのではなくて、自分の意思でこの世界を生きたい。

資本主義の中で、生きているいや、生かされている僕は、真っ当な人間なのですか。


この2時間は僕に難しい問いをぶつけてきた、2時間だった。


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