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この世界は目の前に


テレビの中の世界。

インターネットの中の世界。

Twitter、Instagram、あらゆるSNSの世界。

僕たちが生きている世界は、広くて、知らないことが多くて、羨ましかったり、恐れたりする。

そして、インターネットを利用することで僕たちは目の前にない世界で生きることができる。それらから間違いなく、僕たちは素晴らしいものを享受してきた。


二十歳のとき、はじめて海外に行った。行き先はキューバにした。キューバを選んだ理由はいくつかあるが、そのひとつにインターネット環境が悪く、ほとんどの場所で繋がらないがあった。そんな環境の生活がどういうものなのか知りたかったのだった。


首都ハバナの海沿いのマレコン通りは、そんな世界の中での素晴らしさが凝縮された世界だった。

何キロも続く通りにはたくさんの人たちが語り合っている姿が見える。
キューバのサルサミュージックを奏でる音楽隊。
その音楽で踊る人たち。
Salud!サルー!(乾杯)の掛声と共に酒を交わす2人。
愛を語り合う恋人たち。
のんびりと話をしている家族。
笑い合う若者たち。

誰一人、スマートフォンの類の電子機器に見入ってる人はいなかった。それぞれが見てるのは、海であり、目の前の人の瞳だった。

何を話しているんだろう。スペイン語がもっと分かれば盗み聞きしたかった。


ネットがなければ、僕たちは目の前の世界を生きるだけで、それは至極当たり前のことだ。そして僕たちは言語という素晴らしいものが与えられた生き物だ。言葉をただ交わしている光景はなんだか、とても特別で、人間の本来の喜びや楽しみは目の前のこういった大切な人々との時間なんだと強く思わされた。

でもどこか、普段目の前の光景や、人々をないがしろにしながら、僕たちは遠くの誰かとメッセージを交わしたり、意味もなくSNSを眺めたりしている。


ネットが普及して、文明が進歩した今、僕はどれだけ目の前の光景を、目の前の人を愛せているだろうか。本当に大切な世界は目の前にしっかりあったのだ。

ネットが普及されている日本であっても、素晴らしい世界は溢れている。
田舎で井戸端会議を開いているおばあちゃん。
カフェで女子トークに花を咲かせる2人の女の子。
公園でお花を見ながら話す親子。
飲み屋で熱く語り合う男たち。

本人たちは自覚してないし、わかってないだろう。そして自分もそんな時間が特別だということを自覚せずに生きている。


もっと目の前の世界を大切にしたい。愛していけるようになりたい。

長いマレコン通りを歩きながら、キューバのサルサミュージックが流れる中、人々の話し声に聴き耳をたてる。


そして、こんな目の前の世界を愛せる大人になったらまたこのマレコン通りを歩きたい。そう思った。



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