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ナイモノネダリな私たち

小学生の時、塾の理科の先生が言ってた

「人は自分にない能力を持っている人を好きになる。そうやってより良い遺伝子を残そうとするんだ。」

って

この言葉がずっと私の中に残ってる。

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だってそうじゃん?恋愛に限らず、エクボがある人はエクボがあることをなんとも思ってないけど、エクボがない人はよく「エクボいいなぁ」って言う。100%じゃないけど、これはよくあること。エクボなんて簡単にできるもんじゃないけど、自分にないから羨ましい。持っていないモノだけじゃなくて、買ったりできない、簡単には手に入れることのできない才能までもが欲しくなってしまう。

なんでこんな話をしようと思ったかというと。自分自身が、「ナイモノネダリ」だなぁとしみじみ感じてしまったから。ということで、今日は私が普段生活している中で出会った人を見ていて欲しくなってしまった、サンタさんにもらえなかったギフトたちを少々紹介して消化しようかと思います。

① 私、センスが欲しい

センスがいいっていいですよね。自分のスタイルを持っていてかっこいい。雰囲気というか、その人の周りを繕う空気感が素敵な人って憧れます。イラストレーターや、Instagramerでも自分の好きな空気感を持った方はやっぱりチェックしちゃうんです。その人が食べてるものが可愛いから食べたいとかじゃなくて、なんかその人が行っているからいいんです。雰囲気が美しいとか、かわいいとかだけじゃなくて、ワードセンスが面白い人ももちろん含めます。お笑い芸人の皆さんとか、タレントさんとかがそれに値するんでしょうか。あとは、作詞家の方とか作家さんとか言葉を紡ぐことを生業としている方々。私、back number さんの「高嶺の花子さん」の

偶然とアブラカタブラな力で

って歌詞がめちゃくちゃ好きなんですよね。常人じゃないなって。他にも好きな歌詞はいっぱいあるんですけどね。

あとは、ちょっと身近にすると、私はよく深夜ラジオを聞くんですけど、はがき職人の皆さんとかめっちゃくちゃ面白いんです。ラジオの流れを汲みこんだうえで、くすっと笑えるリアクションメールとか、テーマメールとか送れるの。すごいですよね。このメールって長すぎちゃいけないんです。端的にズバッとセンスのあるフレーズを書くのってすごく難しいことです。現に私のnoteめちゃくちゃ長くないですか?まとまりないなーって思ってます自分で。若干反省はしつつもこのスタイルは貫きますけどね😉

ともかく、人に憧れられる、人を魅することが出来る人っていいですよね。

私はというと、洋服やらメイクやらに興味はあるものの、なんだか自分でもしっくり来ていないのが現状。「今日はこのトップスを着たいな」と思っても、「合う服がない!」という事態に。これも合わないし、これは一昨日着たし…

あーーーーーー

このトップス着るのを諦めよう。こんな始末です。けど、自分のスタイルとかに自信を持っていなくて着る服の幅を狭めてしまっているのも原因な気がします。まずは自分磨きからしなくてはならないようですね。それから、ラジオもちょこちょこメールを送ってみるものの読まれたことは今のところありません。やっぱり力不足です。読まれるメールを聞いて、日々「会話の流れを汲み取れてなかったなぁ」なんて少々反省したりです。

2021年こそはセンスを身につけるぞ…

②私、コツコツ頑張れる人になりたい

ええ。これは個人の努力です。してきた努力の痕跡って誰にも盗めない尊いものなんですよね。けど、努力して成功した人を見て、うらやましくなってしまう。自分が努力すればいい話なんです。いい成績を取りたければ、勉強すればいいんです。ピアノが上手くなりたければ、沢山練習すればいいんです。けど、なぜか頑張れないってあるの。なんででしょうかね。人間の黒い部分です。

ひたむきに努力をし続けられるっていうことも才能だと私は思います。毎日、コツコツ一つのことに向けて、弛まぬ努力を続けることは本当につらいことです。だって毎日ですよ?すごいに決まってます。学校だってそう。毎日通えてるなんてすごすぎます。毎日じゃなくても、ほぼ毎日な時点ですごいんです。そう考えると小学一年生ってすごいですよね。努力という概念を知らないがために、無限に頑張ることが出来る。

私はというと、中学受験をしたのですが、小学6年生の時に勉強し続けることが出来なくて、親に言われた

「あなたは今まで何かに全力で挑んだことがないでしょう?」

という言葉で頑張るって何だろう、私の全力って何っていう呪縛に囚われています。頑張るって何なんでしょうね。「頑張る」ってなんともギルティな単語です。またこの言葉については、別にnoteを書きますね、長くなりそうなので。

ともかく私も努力し続けることが出来る人になりたい。なんて言ったってかっこいいもん。

③私、かわいい人になりたい

やっぱり人に「かわいい」って思わせることが出来るような魅力的な人になりたい。顔とかもそうだけど、それ以上にその人の行動や表情、字、持ち物…全てから滲み出るかわいさってあると思うんです。性格的な何かです。そんなかわいい人って見ていて幸せになれるんですよね。息しているだけで人に安らぎを与えられるんですよ?

そんなんもう勝ちじゃん(何に?って話ですけど、)

顔がいいほうが営業で~とかいろいろありますけど、やっぱりかわいいほうがいいんです。結局世の中。サバサバしていることが悪いとかそういうことじゃなくて、人間として真っ直ぐ生きたいってことです。自分の考えに素直に、そして周りにも真っ直ぐ向き合って。前向きに。ありがたいなぁって思ったら、ちゃんと素直に「ありがとう」って伝えられる、恥ずかしいとか邪念を捨てて、「こんにちは」「宜しくお願いします」って笑顔で挨拶のできる。そんな人になりたい。当たり前だけど、これってみんなが出来ることじゃないと思うんです。だから、これが出来る人はかわいい。尊敬できる存在ですよね。


これは「ナイモノネダリ」なの?って思うかもしれないんですけど、そうなんです。私の周りの友人たちを見ていて、一緒に話していて素敵だなって、友人に恵まれたなってすごく思うんです。面白い友達、努力家の友達、おしゃれな友達…みんなとってもかわいいなぁって思います。大切な友人である上に、私の憧れの存在です。

だからこそ、自分がナイモノネダリになりすぎて、自分のことが嫌になっちゃうことも多々あるんです。他と比べるなんてナンセンスだって思いながらも、比べちゃって自分に失望しちゃう。

なんで自分は出来ないんだろう。

何で直せないんだろう。

あんなことするべきじゃなかった、言うべきじゃなかった

って。良くないことだってわかっていても、比べちゃう。周りが素敵な人で、尊敬できる人で溢れているが故に。自分ってこの中にいていい存在なのかなってふと我に返って考えてしまう。

それぞれ、良さがきっとあって、そのいいところを伸ばすべきなんだって心の中では信じていても、自分の良さって何だろうってなってしまうんですよね。自分で自分の良さが分からないが故に、他の人を憧憬の眼差しで見てしまう。憧れは永遠に憧れでしかないって分かっているはずなのに。小さい頃は、冬になると、周りの友達がこぞって

「私、浅田真央になりたい」

って言ってた。スケート選手じゃなくて、あくまでも浅田真央という存在になりたいんだってね。現実的じゃないけど、小さい子が言うことだから、かわいいねってなる。

けど、私は違う。18歳にもなってこれと同じようなことをしてしまってる。

けど、きっとこれって人間が「ナイモノネダリ」だからだよね。私はそう思い込みたい。

そうじゃないと、生きにくいもんね。

ここまで読んでくれてありがとうございます!

ではまた👋

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