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#習作 また会うのなら、あの夏に。

1 また会うのなら、あの夏に。(約1250文字)

【あの夏】
夏が好きだった。
平成になってもう随分経つというのに、僕の高校にはクーラーなどなかった。グラウンドに冬スキーの練習用雪山を作るような積雪地域が、僕の世界のすべてだった。夏は、陰鬱なあの冬空などなかったかのようにして現れる。だから、僕は、このクーラーすらない教室の汗が服に絡みつくような夏が好きになった。汗のせいで、せっかく金沢市まで行って買ったTシャツが、昨日の弁当に入っていた唐揚げの衣のように僕の身体に巻きついた。

進路指導があった高校3年8月の下校道の夏、野良猫、そして僕は、さも以前からここにありましたよ、と当たり前のようにして整備されたばかりのアスファルトを歩いた。猫は柿沼食堂の前に敷かれたアスファルトの熱を感じていないかのように、いつもの下校道を何の後ろめたさもなく闊歩した。
夏の積乱雲がはるか遠くに見えた。あっちには富山にはないもっと広い世界があるように感じた。
猫は何も言いはしないが、夏は、受け売りの言葉で「迷ったら勇気のいる方にすすんだら?」と、そういう風だった。
だから、僕は、富山を離れて、京都の大学に進学することにした。

【この夏】
夏の終わりを告げるかのようにして、大型の台風が京都に向かっていた。
銀行での仕事は、池井戸潤の小説で読んだように上手くはいかなかった。銀行に入って3年経った僕は、毎日、転職サイトを眺めている。休日にもかかわらず、来週の稟議の資料を作るために京都駅から丸太町駅へ向かっている。携帯電話の電波が思い通りに入らないことに苛立ちつつ、僕は、2度3度と、SNSのリロードボタンを押している。

わずかな日差しすら射さない地下鉄だ。にもかかわらず、思いがけない写真を、米国製の液晶ディスプレイは地下に居る僕にすら何ら遠慮することなく、その風景を映しだした。
友人のSNSの写真には、夏をちょうど中心にして、多くの人々が映っていた。夏は、僕の知らない人達から祝福されていた。チャペルには、礼服を来た男性たちと、ひらひらとした衣装をまとった女性たちとが群をなしていた。それぞれが取り繕い、まるで収穫期間近の秋の果物のように嬉々とした表情をしていた。チャペルの芝は、少し水分を含んでいるようで、台風前の空気に包まれてもなお、なびき方は重いように見えた。

気がつけば、もう烏丸御池駅を過ぎていた。僕は急いで、稟議用の資料で膨れ上がったかばんを持ち上げ、次の丸太町駅で降りる準備をした。

ねぇ、夏ならどう思う。僕は仕事を辞めるべきなのかな。
やっぱり、僕が富山を去ったときと同じような言葉をいうのだろうな。
僕は、昭和期につくられたであろう急交配な丸太町駅の階段を登っていく。上段に近づくに連れて,台風のときのあの独特の風が外を吹きすさんでいることを感じた。
地上に出る。
半袖のYシャツでは少し肌寒い。
Yシャツは、もはや僕の身体に巻きつくことなどなかった。
僕は今井夏のことを思いながら、夏が過ぎたことを確かめるかのようにして、そろそろ衣替えをしなければいけないな、そんなことを考えた。

#一駅ぶんのおどろき

2 セルフライナーノーツ(おわりに)

■ 評価
夏、秋、台風という季節感。高校時代と社会人初期との時代感。
それぞれの象徴としてのTシャツとYシャツ。
そして「夏」と「今井夏」。
ネタバレは察しの良い方なら文頭でわかったとおもいますが、最後まで文章表現を楽しんでいただければ、と思いました。
1000文字で、高校生と社会人の感覚の違う部分と同じ部分、その対比を描き、かつショートショートにするのは(僕の能力不足なのですが)極めて難しいです。このショートショートの分野の方を本当に尊敬します。

情景描写としてうまく書けた部分は「それぞれが取り繕い、まるで収穫期間近の秋の果物のように嬉々とした表情をしていた。チャペルの芝は、少し水分を含んでいるようで、台風前の空気に包まれてもなお、なびき方は重い。」かな、と思います。

めざせ、グランプリ!

3 その他

著作:ハヒフ。
https://twitter.com/3wHpd1UKv
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■ 追記
2019年12月5日
多少の加筆修正。改題(旧題「また会うのなら8月に。」)。

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