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#1 短編小説 罪と罰とタイムトラベル

罪と罰とタイムトラベル

 日出づる国の或る時代、或る地方に一風変わった男が居た。名乗ることにはぴかちゅうと先ず名前からして奇妙奇天烈、当人曰く遥か時空の彼方より来たりて早十年、元来死に場所を求めて「たいむとらべる」をしていたのだが、たどり着いたこの村で、気まぐれで生活を試みたところ案外生きやすいのに気付いた。爾来持ち前の快活さと独特のユーモアで村の者にも気に入られ、今では妻子を持つまでに至っている。「おういぴかちゅうやい、釣りにでも行かねえかい」「ぴかちゅうのおじさん、相撲の相手してよ」農閑期にそういった誘いの声がかかるのも珍しいことでは無かった。その度おう仕方ねえなあと応じる彼に、「あんたまた遊びまわってからに」と彼の妻がため息交じりに見送るのが常となっていた。しかし、その口元には微笑が浮かんでいるのをぴかちゅうは知っていた。「一生遊んで暮らすよおれは」そんな言葉に叱声が返ってこないのは、彼が、彼の妻のみならず村の誰もが認めるほどの働き者だったからに他ならない。
 或る時彼が三尺もある大きな鯉を釣ってきたことがあった。「こんなの捌けないよぉ」と途方に暮れる妻に「もちろん俺がやるよ。どうせなら隣の太郎兵衛と治郎吉ん家も呼ぶか」と、三家族で盛大な夕餉にしたことがあった。また或る年の正月に、村の子供が喉に餅を詰まらせたのを、背中から抱きかかえて腹を突き上げるという誰も見たことのないような方法で容易く吐き出させたことがあった。村人全員から賞賛の的になったぴかちゅうは、「前に居た町で誰かがやってたのを真似しただけだ」と決して驕ることなく、いつも通り生真面目に働くだけであった。彼はつつましい日常を何よりも愛していた。そんな彼に、村人たちは素朴な敬慕を抱くばかりであった。穏やかな日常が確かにそこにあった。いつまでも続くかのようなそんな平和な生活が続いたある日、前兆もなく事件は起こった。
 ぴかちゅうが村の子供と遊んで帰宅してきたある夕方、見慣れぬ白い服を着た男たちが彼の家の前で彼の妻と話している様子なのを見付けた。それを見るや否やぴかちゅうは、訝しむ間もなく血相を変えて踵を返し、猛然と地を蹴って逃げ出した。然し目ざとくそれを視界に捉えた白服の男らは、人間離れした速さで彼を取り囲んだ。目にもとまらぬ速さで逃げ場を封じられた彼は最早観念したと見えて、うなだれて白服の男たちからの尋問に答えるほかなかった。騒ぎを聞きつけた村人たちが遠巻きに見守る中、彼は白服の男の言葉を首肯したり何かを哀願したりする様子である。何を話しているかはさっぱり聞き取れないものの、どうやらぴかちゅうは白服の男たちに弱みを握られているようであることが察知された。「もしかしてぴかちゅうは咎人だったんけ」「んやあ、あいつはちいと不思議なところはあるものの、根っからの善人じゃあ」「しかし善人が何も罪を犯さぬものとは言い切れぬじゃろて」「……あんたぁ自分のこというちょるつもりけぇ、この覗き魔。あんたの助平は根っからの病気じゃ」「今ぁその話関係なかろうが」てんで勝手に喚く村人たちの目前で、悲しきかな、ついにぴかちゅうは手錠をかけられた。「ありゃあ、しょっぴかれちょるぞ。ほんまもんの咎人じゃろうか」「あたしゃ信じないよ。あんな優しくて真面目な人がよぉ」「妙ちきりんとはいうても、捕えられるほどの悪党とはやはり思えんけどなぁ」ざわめきだつ村人に目もくれず、ぴかちゅうの妻は今まさに白服の男らに連行されゆく夫のもとへと駆け寄った。「こら、近づかないように!」と案の定白服の男たちに咎められるも、意に介さずといった様子で「待って!」と夫に追い縋る。長く愛した妻の声に立ち止まった夫は、しかしそちらを顧みることは無かった。「……すまんな、今までありがとう。皆にもよろしく」掠れた声で言い残したきり、振り切るように歩み始めた。悄然と立ち尽くす妻は、憐れ、見慣れぬ乗り物に乗り込む夫を口惜しくも見送るしか出来なかった。白服のしんがりが乗り込むとすぐに、やけに角ばった巨大な乗り物――タイムマシンは轟音で唸った。次の瞬間、恰も全てが夢幻であったかの如く、それは忽然と姿を消した。

 時空移動するタイムマシンの中、監視カメラ付きの狭い一室に二人の男が腰掛けている。「……残念だったな。ああまで惜しまれるとは、さぞ慕われていたのだろう」時空警察官巡査の肩書を持つ白服の男、吉岡正輝は同情の言葉を山田光宙に投げかけた。「いいんです、いい夢を見ました。……名前のせいでずっといじめられていた僕にあんなに優しくしてくれたのはあの人たちが初めてです。ただ、願わくは、彼ら彼女らが僕の事で苦しんでほしくない」彼が慣れ親しんだ人たちの前途を憂慮する様子は、指名手配犯のそれとは到底思えなかった。吉岡は「それなら大丈夫だ。我々がなぜ君の違法なタイムトラベル発覚後すぐに逮捕に動かなかったかというと、まだタイムトラベルによる過去への影響をなかったことにする技術が開発されていなかったからだ」言いながら吉岡は山田にペットボトル入りのお茶を差し出す。「ってことは、僕の過去への干渉はなかったことになったのですね」「ああ、そうだ」山田は諦めたようなため息をついた。ペットボトルのキャップを捻り、ごくごくとお茶を飲み下す。口元から溢れたお茶を乱暴に拭うと山田は吐き出すように呟いた。「……なら、全部無駄になったというわけか」急激に様子を変えた山田に、吉岡は動揺を隠せなかった。「なに、どういうことだ」「はは、僕が殺人容疑の指名手配から逃れるためにタイムトラベルをして、なんとなくあの時代に行きついたとでも?」「何か理由が、あるのか」田中は口元を歪めて笑った。「殺してやったんですよ。小学校、中学校、高校とずっと僕をいじめ続けた奴らを先祖十代まで遡って。でもそうかあ、無駄だったかあ。まあでも、いじめた奴らは元の時代で嬲り殺してやったからよしとするか。まあおかげで指名手配なんだけどさ、ははは」
 
 「いやあ、怖いなそれ。やっぱ殺人犯は殺人犯だな」仕事上がりの飲み屋にて、吉岡の同僚である岩原は相槌を打つ。例の逮捕からはひと月が経とうとしていた。「そう思うよな。だけどこの話には続きがあってさ。タイムマシンの時空修正装置でデータを参照したところ、彼が殺人を犯したという事実は全く見当たらないんだ」「へえ?どういうわけだ」「……あの時、彼が十代遡って殺してやったって言ってた時さ、もしかしたら、彼、泣いてたのかもしれない」少し考えて岩原は尋ねる。「……じゃあその、先祖を殺したってのは嘘ってことか?でもなぜそんな嘘を?」吉岡はハイボールをゴクリと飲み干す。何となく炭酸の抜けた感じがする。「断言はできないけど、なんとなくわかるような気もしてさ。学校でいじめられてずっと居場所が無かった彼が漸く居場所を見つけて、でもそんな夢のような暮らしも現代に残したしがらみの所為で終わらせられてさ、だからもう全部厭になっちゃったんじゃないかな。俺みたいな下っ端警官の前くらいいっそ極悪人を演じてやろうかという気にもなるかも」二人の間に沈黙が流れる。「……なんとも救われないね」言い捨ててビールを呷った岩原に、吉岡は何も言い敢えずううむと唸った。暫くしたところで、注文していた唐揚げが運ばれてきた。「レモンかけていいよな」言いつつ岩原は躊躇なくレモンを絞る。「おい、俺はレモンかけない派なんだよ」吉岡は慌てて制止するも、既に余すところなく果汁がかけられている。「おま、信じらんねえ」呆れた吉岡を、わりいわりいと軽く受け流す岩原。程よく酔いの回った彼らは、もう先ほどの話も忘れてしまったかのようにまた、やいのやいのと軽口の応酬を始めた。
                               (了)

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