ましろくま

人事総務をしているOLです。福岡から上京して5年目の26歳。目指すはリモートで働いて、…

ましろくま

人事総務をしているOLです。福岡から上京して5年目の26歳。目指すはリモートで働いて、いつでも帰省して親の顔を見に行けるようにすること。写真、エッセイ、コラム、日記、超短編小説など書きたいことを書きます。

マガジン

  • せんべい刊

    • 23本

    『思い出を、ぎゅっと詰め込んで作ってみたい』 「まちださつき」と「ましろくま」が学生以前のエピソードを交互に投稿する“ノスタルジックマガジン”

  • せんべい刊(増刊号)

    • 2本

    『同じモノで見え方の違いを探る』異なる経歴を持つ「まちだ さつき」と「ましろくま」が、二人で一つの同じテーマでそれぞれ投稿していく“ツーアングルマガジン”

最近の記事

もう少しだけ

今年も私は母の命日に帰省しない。お参りもしない。 年末年始、遠方に住んでいる私は交通費が高いのを言い訳に毎年帰省しない。 交通費が高いのが本音。でもちょっとは未だに命日が怖いからかもしれない。 毎年私は窓から空を見上げて、心の中でありがとうと呟く。それだけ。 母との記憶はたくさんあるが、母が闘病した8ヶ月の記憶が強すぎて、特に冬の記憶はほとんどそれしかない。 11月。母が一時退院して、家族みんなで京都に紅葉を見に行った。車椅子を押す手が震えた。 骨がもろくなってた

    • 私の母は間違いなくスーパーお母さんであり素敵な一女性だった

      母が亡くなってから8年が経った。 あの時の悲しみは昨日のことのように思い出すのに、数字にすると随分時間が経っているようだ。 母が亡くなったとき高校3年生だった私は、今年の4月で社会人4年目を迎える。 昨年夏の帰省で久しぶりに会った父は、8年前から随分老けこんでいた。 8年という時間はとても長かったようだ。 この8年、母の偉大さを感じることが何度もあった。 母は若くして結婚し、23歳で長女を出産してから、次女が生まれ、そして母が30の年には私が生まれた。 それから

      • 「卒論、書いておくに越したことはない」と個人的に思った話

        前職で新卒の部下ができたときに感じたことがありました。 私は新卒のときからメールをわかりやすく書いたり、文書でまとめたり、なにかについて思考したりすることが得意だったのですが、その新卒君は苦手でした。 漢字を読むことが苦手、などでしたらそれまでの漢字との出会いによりますが、文章の書き方・まとめ方という所謂文章力が特に不十分に感じました。 そこで私は、新卒君に質問しました。 大学を出ていた新卒君でしたので、聞いたのはこの質問。 「卒論って書いた?」 答えはNOでした

        • お騒がせ三女

          私には姉が二人いる。 三人ともそれぞれ何かしらで親に心配をかけるお騒がせ姉妹だ。 その中でも一番お騒がせなのが末っ子。そう、私だ。 大学受験で東京に行きたいと泣いて懇願し(結局不合格で福岡残留)、大学生らしく夜遅くまで遊びまわり怒られ、社会人になったかと思えば遠い東京の地ですぐに転職をし、今も親に内緒で転職活動をしている。 小さい頃のお騒がせエピソードもある。 家の中を走り回って柱に激突したからか、机の上のコーヒーカップを頭に命中させたか、どっちだったか覚えてないが

        もう少しだけ

        マガジン

        • せんべい刊
          23本
        • せんべい刊(増刊号)
          2本

        記事

          経理を始めてはや3年、好みの電卓を語る。

          ※これは電卓の宣伝ではなく、めろんそーだ(まちださつき)さんとのマガジン『せんべい缶(増刊号)』の一環で書いています。今回のテーマは、電卓。 経理業務をメインにしている者にとって、なくてはならない存在、電卓。 最近はExcelやシステムに入力すれば勝手に計算してくれるし、わざわざ使うことも少なくなってきました。 それでも、計算をしながら、あーじゃないこーじゃないと予算計画を立てたり、ちょっとした計算をするときには大活躍。やはり電卓は必需品の枠からまだ出ることがありません

          経理を始めてはや3年、好みの電卓を語る。

          現実は、和菓子みたいに甘すぎない

          中学生の頃、職場体験というものがあった。 期間は約一週間。地域のお店の協力を得て、その職場体験は実施される。 予めどんな職場に行きたいかのアンケートが配られ、私は真っ先に地元の和菓子屋の名前を書いた。 当時、まわりに動物看護士になりたいだのトリマーになりたいだのと言っていた私がなぜ和菓子屋と希望を出したのか、疑問の声も挙がったが、理由は実にくだらないものだった。 和菓子屋で働けば、毎日お菓子が食べられるということを、姉が先に職場体験をしていたことで知っていたのだ。

          現実は、和菓子みたいに甘すぎない

          アルファロメオ犬

          大学の頃、私には嫌いな授業があった。 必修科目だった、数理社会学を専門とする先生が繰り広げるその授業は数式をよく扱い、数字に触れたくなくて文系の道に進んだ私にとってげんなりするものだった(私だけではなく、学科の人のほとんどがげんなりしていた)。 その授業の唯一のいいところは、配布されるレジュメの所々に犬の写真が散りばめられていること。 シェットランドシープドッグだったかと思うが、これがめちゃくちゃ可愛い。 ほんとに可愛い。もふりまわしたいくらい可愛い。 犬の名前を聞

          アルファロメオ犬

          自分で動けってなんだ。

          《5月某日》 「暇なんです、私」 彼女はそう言って、ジョッキに注がれたビールをちびちびと飲んだ。炭酸を飲むのが下手らしく、注文してから20分経った今でもジョッキにはビールが半分以上残っている。あぁ、キンキンのビールがどんどんぬるくなっていくなぁ…と思いながらも彼女の次の言葉を待つ。 「いわゆる社内ニートってやつなんです。研修なんてろくになくて、最初の1ヶ月は『これ勉強しておいて。終わったら声かけて』って言われて放置ですよ。1ヶ月間ずっとデスクで勉強だけ。」 「なるほど

          自分で動けってなんだ。

          「不良娘」と父に言わせてしまった日

          私は父のことが大好き。 全然連絡も取らないし、心配ばかりかけるし、よく怒られているのだけど、私は父が好きだし、父も私のことが大好きだと思う。 喧嘩もよくしたと思う。内容は全然覚えていないけど、小さな喧嘩はたくさんあった。ただ、大学生のときに一つだけ、忘れられない喧嘩をしたことがある。 *** 私は上に姉が二人いる三姉妹の末っ子。長女は専門中退だし次女は定時制高校上がりで妙に大人な大学生だったので、私が初めての大学生らしい大学生だった。 2年生となるとさすがに落ち着い

          「不良娘」と父に言わせてしまった日

          学んだことの話をしよう。

          面白い思い出話が出てこないので、私が大学で学んでいたことの紹介をしようと思う(つまらないかもしれないけれど、今の私の生き方に繋がるので)。 普段はアホだし短絡的だし馬鹿な発言しかしていないが、こうみえても大学生時代は優秀な方だった。仕事面で頭の回転や理解力、思考力を褒められるのはきっとその時の成果だと思っている(これは言い訳だが、仕事以外よ人間関係においては物事を深く考えないほうが(私の場合は)円滑に進むことが多いので、あまり思考(発言)せずに過ごしている)。 私が大学で

          学んだことの話をしよう。

          ぶりっこ魔女は愚か者

          私の中学では3年生は文化祭でクラス劇を行うことになっていた。 いくつかの演目が学校によって用意され、クラスの代表がくじ引きで演目を決めるとか、そういった決め方だったような気がする。 私の所属するクラスはくじ引きの結果、“ジグソー”という演劇をすることになった。 細かい内容はまったく覚えていないけれど、まぁざっくり言うと、 少女AとBがジグソーパズルを完成させると、そこに描かれていた悪魔が「なんでも願いを叶えよう」と、少女らの前に現れた。そこに同業の魔女も現れて、少女た

          ぶりっこ魔女は愚か者

          時差のある仲間たち

          大学時代の友人はそれぞれマイペースな人たちだった。 同じ学科で私を含めて4人。 友人Mは県外から通学していることもあり、家を出発する時間がとても早い。 まっすぐ大学に行くと早く着きすぎてしまうからか、はたまた乗り換え駅がちょうど栄えている所だからか、寄り道をしては結局ギリギリに教室に着く。 寄り道をするのには流行りものが好きなのも影響しているのだと思う。狭い福岡の繁華街で彼女はいろんな流行りのお店を知っていて感心する。 友人Sは不便すぎずない距離に実家があった。

          時差のある仲間たち

          夢に向かって

          長続きしないものの代表格、日記。 会社で書いているような他人への報告を目的とした日報と違って、自由にその日の出来事や感情を書く日記は、その自由さ故に、自分に甘えて長続きしない。 日誌、個人に属するも振り返りを目的としているだけあって、日記よりは続く。けれども、やはり自分に甘えて書かなくなることもしばしば。 私が通っていた高校には、そんな日記と日誌と日報を兼ね備えているものがあった。 夢に向かって。通称、“ゆめむ”。 夢に向かって、日々の記録を残す。あまりにもそのまま

          夢に向かって

          度胸のはなし。

          社会人になってから、「度胸がある」と言われることが増えた。 前に立って堂々と話したり、目上の人にも臆しなかったりするからだろうか。 そういう時は大抵、「高校生くらいからバンドでステージに立つことが多かったからですかねー?」と答えるのだけど、 (そういえば、ステージに立つようになったきっかけってなんだったっけ…?) と思ったので思い返してみようと思う。 --------------- 初舞台となったのは、中学校の文化祭。 文化祭で自由発表という演目が設けられいた。

          度胸のはなし。

          自分原動力

          私は昔から物事を続けることが苦手だ。 幼稚園を中退するところから始まり、水泳、進研ゼミ、部活、弓道、サークルと、長続きしたものがほとんどない(今に至っては仕事も、である)。 理由は様々で、怒られたからだの、向いてないだの、仲間割れだの。 まぁだいたい嫌なことがあって辞めた。 そんな私が唯一ずっと続けているものが音楽だ。吹奏楽部もバンドサークルも辞めていることはここでは触れないことにする。 家には昔からピアノがあった。 確か、長女がピアノを習っていたのだと思う。

          自分原動力

          学生最後の夏。

          ※7月のハッシュタグ #待ち遠しい より。 この時期になると、学生の口からは夏休みが待ち遠しいという声がちらほら出てくる。 そんな夏休みの前に立ちはだかるのは試験の2文字。そのためもあってか、夏休みへの学生の期待度はとても高い。 例に漏れず、私も夏休みを待ち遠しく思う1人だった。 私が通う大学は7月末から8月始めにかけて試験が実施される。 そのため7月に入ると途端に学内の人口密度が高くなり、いつもガラ空きの教室は席がなくなるほどで、コピー機の前には長蛇の列ができ、授業

          学生最後の夏。