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自分で動けってなんだ。

《5月某日》

「暇なんです、私」

彼女はそう言って、ジョッキに注がれたビールをちびちびと飲んだ。炭酸を飲むのが下手らしく、注文してから20分経った今でもジョッキにはビールが半分以上残っている。あぁ、キンキンのビールがどんどんぬるくなっていくなぁ…と思いながらも彼女の次の言葉を待つ。

「いわゆる社内ニートってやつなんです。研修なんてろくになくて、最初の1ヶ月は『これ勉強しておいて。終わったら声かけて』って言われて放置ですよ。1ヶ月間ずっとデスクで勉強だけ。」

「なるほどね。でもまだ2ヶ月も経ってないし、これからなんじゃない?」

「うーん…だといいんですけどね。」


《8月某日》

「その後、調子はどう?」

「実務もしてますよ今は。でも振られる業務は多くないし、業務に対するフィードバックもない。何をどうすればいいかもわからないし、結局暇な時間が多くて。勉強することも段々なくなってきちゃいました…」

「そうかぁ。先輩や上司には相談しているの?」

「してます。それでも先輩にはやることがないって言われるし、部長もその時だけ仕事任せてくれたら放置ですよ。」

「なんでだろうね。」

「さぁ。でも部署内で分業が進んでて、それを壊したくないんだなとは思ってて。本当に他の人が何をしてるのかわからないんですよ。人も足りてるみたいですし、私ってなんで採用されたんだろ…」


《12月某日》

“会社、辞めようと思って”

そうか彼女から連絡が着たのは街がクリスマスモードに入って賑わいだしたころだった。

話を聞くために選んだお店は鍋料理の店だ。熱々のお鍋と一緒に飲むビールは寒くても美味しい。

「会社、辞めるんだって?」

「はい。不安になったんですよ。やることがなければスキルも磨かれないし、給料だって上がらない。転職市場だって、年を重ねるにつれて経験を求めるじゃないですか。それなら、第二新卒って言われるうちに。」

「なるほど。でもすぐに会社を辞めることのリスクもあるんじゃない?ほら、日本ではとりあえず三年って言われてるし。」

「とりあえず三年なんてどうだっていいんですよ。安定した時代はとっくに終わってるし、今の時代スピード重視です。自分にとって悪いと思った環境にずっと居続けるなんて。会社に不満があるなら、会社を変えるか自分を変えるか、自分の職を変えるかなんですよ。」

「まぁ、そうね、実績や信頼がなければ会社を変えることは確かに難しいわ。」

「ましてや、ですよ?こちとら実績や信頼を積めるほどの業務や動き方をまったく知らないんですよ。新人なりに動きたくても放置じゃ、すぐに身動きが取れなくなっちゃう。だから、辞めるんです。」

私思うことがあって、と彼女は続けた。

「よく自分から動け、だとか積極的に仕事を取りにいけとか言うじゃないですか。でもそれって自分が獲得しうる情報の中でしか動けないと思うんです。たとえば、会社概要や周りの業務のこと、会社や社会の仕組みとか、なんでもいいけど知れば知るほど動ける幅が広がる。でも、何も知る由がなければ、知識を得られる量は外部の人と変わらないんですよ。」

「自分なりにきちんと考えての決断なのね。納得のいく決断ができたのなら応援する。」

「あの、最後にひとつだけ聞きたいことあって…私、二年後うまく社会人になれてる?」

「それは、二年後の楽しみに。その時にあなたが必要とするなら、また会いにくるわ。」


***

あれから一年と半年が経った。

二個目の職場は教育体制はしっかりしていないものの、日々自分なりに動けるようになり、今では暇もなく働いている。

先輩たちが働く上での動き方や考え方を教えてくれたのがとても大きい。

前まではゆっくり仕事をして暇にならないようにしていたのに、今ではいかに効率よく業務をこなして定時で帰るかなんてことを考えている。

立派な社会人、とまではいかないかもしれないけれど、少なくともちゃんと社会人の仲間入りはできたかな。

思い返すと、昔の私は甘かった。

自分でも動いてるつもりだったし、周りにも相談していたつもりだったけれど、どこか他人に頼りすぎていた。

言い訳も多かったとように思うし。

新人のうちはなんでも聞ける。それは業務のことだけではない。周りには自分よりも長く働いている人たちがたくさんいるのだから、私はあの時、仕事をくださいだけじゃなくて動き方や考え方を教えてもらえばよかったのだ。

自分で動くって仕事のことだけじゃなかったんだ。

まぁ、過去になんか戻れないし、今気づいても仕方ないのだから、この事はこれから入ってくる後輩に教えていくとして、

とりあえず、半年後の私との約束はどうやら先延ばしになりそうだ。

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