「不良娘」と父に言わせてしまった日

私は父のことが大好き。

全然連絡も取らないし、心配ばかりかけるし、よく怒られているのだけど、私は父が好きだし、父も私のことが大好きだと思う。

喧嘩もよくしたと思う。内容は全然覚えていないけど、小さな喧嘩はたくさんあった。ただ、大学生のときに一つだけ、忘れられない喧嘩をしたことがある。

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私は上に姉が二人いる三姉妹の末っ子。長女は専門中退だし次女は定時制高校上がりで妙に大人な大学生だったので、私が初めての大学生らしい大学生だった。

2年生となるとさすがに落ち着いたが、1年生のうちは友達ともよく遊んだし、サークル活動にも積極的に参加していたし、恋愛もしていたので、サークルの練習や飲み会などで帰りが遅くなったり朝帰りになったりすることもしばしばあった。

「今日も遅くなるのか」

父から小言を言われることが増えた。最初は素直に周りにも帰宅する旨を伝えてなるべく早めに帰宅するようにした。しかし、次は友人ら周りから、過保護すぎやしないかという声があがるようになった。

遅くなるのも確かに避けたい、ただ周りから付き合いが悪いと思われるのも嫌だった。

ただでさえ家が遠く、終電の時間もはやいため、断る誘いが多いのに、これ以上断ると居場所がなくなる。

そう思うとどうしても遊びを優先してしまっていた。

そして、ある日ついに父の怒りが爆発した。

「いい加減にしろ、不良娘」

そうメッセージが届いたのは大学1年生の冬、今日も遅くなると連絡を入れたときだった。

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心に刺さった。

私は姉とは違ってただ普通の大学生みたいに過ごしたいだけなのになんでわかってくれないのか、という怒りと同時に、

これまで心の片隅にあった、誰かが嫌な思いをしてまで友人と遊ぶ必要はないのではという思いが確かなものとなり、あぁこれでやっと素直に帰れる、という安堵があった。

それからは自分の主張ができるようになった。きっちり自分の意思を明言したからか、ほとんどの人が理解を示してくれていたと思う。

一方、サークルの同期とは疎遠になっていった。バンドサークルは基本的に練習は遅い時間帯か深夜が多く、またその後も遊ぶことを目的としている同期が多かったため、次第にバンドを一緒に組む人が減っていった。

その点、先輩からバンドに誘われることが増え、その先輩方は快く事情を考慮してくれた。実力や練習の面で信頼してくれていたのが伝わってきて嬉しく思った。

疎遠になっていく人がいるのはそれでいいと思えた。尊重してくれる人がたくさんいる、信頼してくれている人がいる。そんな人が周りに少しだけいれば、自分を主張することも怖くない。

それに、大切にしてくれている人たちのことをもっと大切にしたい。大切にするためにできることをするという指針ができたのもとても大きい。

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この父の一言のおかげでいろんなものを得たと思う。

父は母が亡くなってからどう育てていくべきか悩んでいたのだと思うが、あの時に見放さず叱ってくれたことにとても感謝している。

おとんよ、不良娘はいま、未熟ながらも父とその他周りの大切な人のために、自分ができることを考えて日々過ごしています。実家を離れて3年が経ちますが、大好きなあなたにいつでも胸を張って会えるように。

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