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驟雨きて遺構でしのぐうさぎかな

※下の句を「うさぎたち」から「うさぎかな」に改めました。大久野島の毒ガス遺構の話であることをはっきりさせるために、うさぎがいっぱいいる方がいいかと思い、「うさぎたち」にしていましたが、遺構、うさぎでわかる人にはちゃんとわかる。むしろ、今平和を感じさせてくれるうさぎに切れ字をつけることで、反省の念も強く出せたかと思います。俳句はわずかなツメが本当に難しいですね。

広島県の大久野島はかつては地図上から消された島であった。そこに毒ガスの製造工場および貯蔵施設があったためである。

戦後、GHQをはじめイギリスや元日本陸軍の兵たちが毒ガスの廃棄処理にあたったが、その過程でも幾人もの犠牲者が出たという。

戦争のむごさ、おろかさを象徴する施設であり、同様のあやまちを繰り返さぬためにも、戦前から戦後処理に渡る島の歴史は、忘却にまかせてよいものではない。

広島という都市は原爆で大きな被害を負った。あのような大量殺戮兵器が繰り返し使われることがあってはならないことも事実だが、原爆遺構にこだわりすぎるあまり、ほかの悲劇をマスキングしてはいないか。

西日本豪雨では、大久野島の火薬庫などの遺構も土砂災害にあったが、「文化財指定されていないから」の理由で復旧はおろか、保存のための処理も行う気はないらしい(2019年環境省発表より)

文化財指定することは、日本も敵国に反撃する気があったことを認めることに繋がりかねない。そんな気はなかった、一方的に原爆の被害にあっただけだとでも言い張るつもりだろうか。

事の大小を比べれば原爆被害の方がはるかに大きい。しかし、第二次大戦という大きな悲劇の真実を、勝者の特権で隠蔽したり、大惨事を盾に隠し通すことなく、互いの過ちをつまびらかにすることが、原爆の碑に刻まれた言葉を実現できる手段でないかと思う。主語のない日本語らしい一文だが、人類ひとりひとりが我が事と自覚する謙虚さが、不可欠だとわたしは思う。

何かから始めるかは議論の尽きないことだろうが、いかにも平和なウサギの島の悲劇についてだけでも、考えてみたい。

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カバー写真: rinkotoさんによる写真ACからの写真


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