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「家族」という名の支配ー『愛という名の支配』を読んでー

ある女性との出逢い

おかっぱヘアにメガネ姿。なんとも活発でパワフルな女性だと、小学生のわたしは衝撃をうけた。彼女との出逢いは、実家のリビング。ビートたけしらが出演するテレビ番組に一際存在感を放つ女性がいた。その女性を観た母は「女なのに、キーキー声でうるさい」と言い放ち、父は「目立ちたがり屋の女性議員だな」と言ったように記憶している。なんともマイナスイメージをもつ両親とは異なり、まったく違う印象を受けた。「わたしはそうは思わないけど……」。その一言が、両親に反対されそうで怖くて、どうしても言えずに、飲み込んだ。

それから数十年が経ち、私も28歳になった。女子高、女子大出身ということもあり、何度か講演会でお目にかかったり、個人的なご縁をいただく機会も多っかたりして、「田嶋陽子」というひとりの女性を徐々に知るようになった。大学進学と同時に上京し、はじめてむかえた夏。当時在寮していた女子寮の書庫に『愛という名の支配』を見つけた。かつての先輩たちが残していった本が多く所蔵されていて、ページがいくつも折られていたり、先人の想いが鉛筆で書き込まれたりしていた。はじめてあの本のページをめくったのも、ちょうどこんな暑い夏の日だった。

『愛という名の支配』という本には、田嶋陽子というひとりの女性と母、家族、そして自身との葛藤が描かれていた。まさか涙を流しながら読むことになろうとは、そのときは思ってもみなかった。彼女の脳裏から離れない過去の記憶と、母や家族との長い長い葛藤。自分を許すまでの苦難の日々。それらが自分自身の人生と重なった。映画「ベン・ハー」のガレー船、ナワル・エル・サーダウィ著『0度の女ー死刑囚フィルダス』に描かれるFGMの話、アメリカのフェミニスト、グローリア・スタイナムの言葉、A・ドウォーキン著『インターコースー性的行為の政治学』、ベティ・フリーダン『フェミニン・ミスティーク』をはじめ、引用される世界の歴史や事実の数々、女性学の研究者でもある彼女の言葉に圧倒された。

女子大生として再会した彼女たち

私が通っていた女子大学は、いわゆるフェミニストや活動家と称される人々を数多く輩出していた。どこか強気で物事をハッキリという女性が多く、議論が盛んな場としても知られていた。巷では「結婚したくない女子大ランキング1位」「合コンしたくない女子大生ランキング1位」とさえ言われていた。そんなこともお構いなしに、いつだって前向きで、学び、考え、議論し、ときには立ち止まり、人知れず涙してきた女性たちと4年間をともにした。学部生時代のわたし、ひいてはいままでのどうしようもないワタシを救ってくれたのは、田嶋陽子さんが言う"私のフェミニズム”というものだったのではないかと思う。わたしの父母は、「フェミニズム」「フェミニスト」というと「強く、鋭い言葉で批評する癇癪もちの女性がする過激な運動」などと、いまでも何の根拠もないようなデタラメを言い、わたしの女子大進学にも懐疑的だった。

果たして本当にそうなのだろうか。私は本書を何度も何度も読み返すうちに、母がこの本を読んだことあるのだろうかと考えた。母の母(わたしの祖母)もこの本を読んだことがあるのだろうか。同時代を生きたこうした女性の存在に、想いを馳せたことがあったのだろうか。どこか他人事で、無機質な父母や周囲の言葉よりも、彼女のひとりのひととして、女性としての叫びが、わたしの心に刺さった。いままで、さも自分ひとりで背負ってきたかのような余分な荷物の数々……。周りを見渡せば、わたしだけではなかったのだ。みな、何かしらの形で、無意識のうちに背負い、重荷と感じながらも声をあげず、ただただここまで歩いてきてきた。そんなわたしたちが疲れ、ふと腰をおろしたとき。そっと手を差し伸べ「実はわたしもなんだよ」と優しく笑ってくれたのが、田嶋陽子というひとだった。

「家族」という名の支配を超えて

彼女は自分自身のことを自分だけのこととして終わらせず、後世のわたしたちがどのように生き、人生を楽しんでいくことができるのか。この本に想いを託し、こうして届けてくれた。名著にであえたことに改めて感謝をしつつ、わたし自身「フェミニズム」「フェミニスト」への理解がいかに不十分なものであったかのかを痛感した。それもまた、大半がいままでの社会やメディア、家族から受けた狭い世界の断片的なもので構成されていたからかもしれない。「フェミニズム」とは、自分との闘いなのだ。どうしてもうまく折り合いをつけてこられなかった自分との。「すべて自分のせい」「女という身体に生まれたせい(だから、身内からも性的暴力を受けたんだ)」「長女のわたしがしっかりしてなかったせい(で、家族の恥をさらしてしまったのだ)」……。

本書の駒尺喜美さんの言葉を借りるのならば、「青信号と赤信号を同時に出され」てきた28年間だった。いろんな理由で自分にかけてきた呪いから目を覚まし、ちょっとでも過去やいまの自分をゆるせるような気がしたとき。しんどい自分の状況を自分に説明してやれなかった当時の自分を想い、あの書庫でわたしはたまらず、この本を抱きしめた。わたしを救ってくれたのは、泣きじゃくった顔でためらいもなく飛び込めたのは、母でも父でもなく、田嶋さんの懐だった。同時に、過去の家族を、自分をちょっぴり許せた気がした。いつか、父母のもとへ飛び込める日がくるのだろうか。

ーわたしが産まれた翌年に出版された本書、そして田嶋陽子さんに感謝と愛を込めて。

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