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〈病気〉を人類学してみたらー三十路の婦人科検診で見つかった身体のネックレスと、来たる治療の将来と、代替不/可能性について

「ネックレスが見えますね」

2年ぶりに訪れた婦人科で、主治医からこう言われた。(ネックレス……?)この場に、さほど似つかわしくはないワードに、耳を疑った。生理不順や不正出血が気になってはいたものの、日々の忙しさにかまけ、怠惰も手伝い、30歳を迎えた先日、節目としてようやく久しぶりに診察に訪れた。卵巣に、ネックレスサインが見え、気になる所見だという。

「ひとまず血液検査をしてみないことには……」と、その日はひとまず血液検査をして終わった。会計待ちの待合室でスマホを取り出し、可能性として告げられた「多嚢胞性卵巣症候群」(PCOS:polycystic ovarian syndrome)の文字を打ち込む。

「PCOSとは、卵巣で男性ホルモンがたくさん作られてしまうせいで、排卵しにくくなる疾患で、女性の20〜30人に1人の割合でみられます。 排卵されない卵胞は卵巣にとどまるため、超音波検査でみると、たくさんの卵胞(嚢胞)を認めることから多嚢胞性卵巣と呼ばれます」。(参考・引用)http://www.shimane-u-obgyn.jp/patient/patient-other/133/141/149

「来生さん、近々の妊娠、考えてますか?」

1週間後、血液検査の結果がでた。検査結果から、やはり「多嚢胞性卵巣症候群」(PCOS)と診断された。続けざまに、主治医からそう聞かれ、唖然としてしまった。直近での妊娠を考えるなら、このままの場合、どうやら自然妊娠は難しいかもしれないという。望むのであれば、いわゆる不妊治療が必要になるらしい。自分に「不妊治療」の4文字が向けられる日は、もっと先のことだとばかり思っていた。わたしは、ひとまず、とくには急いでいないと答えた。

「自分のこどもがほしい」とは、これまで不思議とあまり強く思ったことがない。なのに、なぜだろう。不妊/治療の可能性を突きつけられると、どうも自分の身体に欠陥があると言われたような気がして、情けないような、名残惜しいような妙な気持ちになってくる。〈普通〉の可能性しか考えてこなかった浅はかな自分は、不可能性を秘めた存在でもあったのだと、痛感させられる。せっかくのネックレスなら、卵巣にじゃなくて、首にほしかった。とびっきりきれいなパールのとか。

ここ30年。おかげさまで健康優良児でやってきた。インフルエンザになったこともなければ、めったにひかない風邪になっても、すぐ全快するようなタイプだった。そんなわたしが、女の身体を生きているのだと、ようやく痛感させられた。こうも急に二項対立的に選択肢を提示されるとは、あのときの幼少期のピアノレッスンの先生の言葉みたいだなと、頭はやけに冷静だった。

「優、プロになりたい?それとも、もう趣味でやっていく?」

どっちつかずに、ないがしろにされることを許されず、その場での判断を促されるような場面に、わたしはめっぽう弱い。加えて、あの診察台とか、ピンクのカーテンとか、独特の婦人科の雰囲気が、わたしを一層不安にさせてくる。

「今後、妊娠を望む場合、いまは促進剤や体外受精なんかの選択肢もありますからね」

27歳で、わたしを生んだ母。当時いまのわたしと同年齢だった30歳の母には、わたしという3歳の子がいた。母のように、大きくなったら結婚して、妊娠して、出産するんだろうと、10代のわたしはなんとなく自然にそう思い描いていた。まさか30で、つまずくとは思ってもみなかった。そうじゃない選択肢を考えることになろうとは、想定外だった。方法としては、こうした代替手段も考えられるけど、わたしの身体自体は代替不可能なのだ。現実的に、いまさら、この身体を手放すこともできそうにない。

妊娠を望むにせよ、そうでないにせよ、このまま放置しておくのはあまりよろしくないということで、継続的な治療を開始することになった。服薬治療で若干の副作用はあるかもしれないと聞き、面倒くさがりのわたしには、ただただ煩わしい日々がはじまるのかと、憂鬱でしかたなかった。

「まあ、20〜30人にひとりだって言うしね」

診断の帰途、そう自分に言い聞かせて、鼓舞してみせた。かつて通った女子高の1クラス30人学級を思いだす。そう、あの教室のうちのわたしひとりが、そうなのだ。たまたまだ。確率論の問題。調べてみたら、釈由美子さんや矢沢心さんら著名人も同様の症状に悩んだ過去があるとのインタビューを、妊活サイトで見た。なにも、珍しい病気でもない。

思い入れのある見知った地元のような街が、赤の他人のように思えてくる。そっけなくて、他人事のような帰路が街頭で照らされる。さっきあがったばかりの雨が、途端にまた降り注いできた。なんだなんだ、ドラマみたいやん。でも、こんな演出がほしいのは、多分いまじゃない。

人類学における〈病気〉

人類学においては、「病気」(sickness)と一口に言っても、さまざまな側面や棲み分けがある。治療の対象となる「疾病」(disease)は、専門家の判断としての病気を意味する。医学的知識に基づいた科学的・合理的な判断が求められ、今回の主治医による診断がまさしくそうだ。症状に応じた「治療」(cure)が必要となる。

他方で、癒やしの対象となる「病い」(illness)は、患者個人の経験としての病気を意味する。「病いは気から」や「時代の病い」という言葉にもあるように。こちらには、どちらかというと「癒やし」(heal)が求められたりする。

「たいしたことなくて、よかった」

パートナーに告げると、こう言われた。そうだ、たいしたことなんて、ないのだ。けど、なぜだろう。一緒にいて、こうも不安になるのは。友人からの一言であれば素直に受け取れただろうその言葉も、ただぶっきらぼうに差し出された音にしか感じられなかった。そのとき、恋人に望む言葉では、なかったようだ。悪意なく、ただただ安堵から発せられたその言葉に、想像以上にショックを受けた自分に更にショックを受けて、ちょっと笑えてきもした。

べつに、たいしたことにして同情してほしかったわけでもないし、大げさにするつもりも、ない。かわいそうなヒロインでも、労ってほしいかまってちゃんでも、ない。ただ、どことなくその理性的で無駄がない、そつがないスマートな物言いが、そのときのわたしには寂しかった。(なんて、わがままなやつ)。

ただ、自分の身体は、自分の預かり知らぬところで、略語の響きだけはかっこいいよくわからん病名を付与されたことで、どことなくむずがゆいような、手放したくなるような邪魔なものにすら感じられてくる。自分の一部だけど、そうじゃないような、そんなこじらせた煩わしさを引き連れてきたわたしに、おそらく眼前のパートナーは、想いを馳せるには至らない。たいしたことないんだけど、大したことなんだよ。大したことなんだけど、たいしたことないんだよ。ああ、心までこじらせている。

病気は、必ずしも身体だけの問題ではくくれない。医師の合理的判断による診断のもと名付けられた「疾病」に対する「治療」方針説明の直後だからこそ、パートナーには、「病い」に対する「癒やし」としての存在であってほしかったのかもしれない。やや脱線するけど、こうした心の隙間にフィットしやすい側面をもつのが、ときとしてスピリチュアルでもあり、現に親和性が高いのではないかと、橋迫瑞穂さんの『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』(光文社新書、2021年)を読み、いまのわたしには一層理解できるように思えた。日々書店に立っている肌感でも、不妊治療とスピリチュアル・ヒーリング関連書籍の併買率は高いように感じる。

代替不可能性を引き受ける

こうした身体の変化というものを、考えているようで考えてこなかった30年を思う。いつだって他人事で、現実味がなかったのに、ある日、こうして、いやでも対峙させられる。望まざろうと、女の身体を生きてかなきゃならん以上、しょうがない。腹をくくって、そう思えるまでにはまだ時間がかかりそうだけど、ぼちぼち付き合っていけたらいいのだと思う。

煩わしくて、面倒くさくて、案外繊細だったこの身体を生きていくのだ。誰かに肩代わりしてもらうこともできないのだから。わたしが、引受けなければならないものだから。ただ、この性/生を自分ひとりで飼い馴らすには、身体がしんどいとき。手分けして想いを馳せてくれたり、ちょっとでも肩代わりしてくれたりするような、そんな瞬間があると、ひとは救われることもあるだろうと思う。

誰かのそんなとき、ただただ、まずは相手を抱きしめられるような、瞬間的にでも癒せるような自分でありたいと、今度はどこかの誰かを思った。それは、わたしが知る書店のお客さんかもしれないし、後輩や先輩かもしれないし、まだ出逢わぬ誰かかもしれないし、ひょっとすると、もっと近しい親友かもしれない。みんな、こうした日のことを、わたしには言っていないだけかもしれないその可能性を、思った。

いつかのそんなときに備えて、こんな瞬間がわたしに訪れたのだとしたら。きっと今日のことは、あまり思い出そうとしない限り、この生々しい感じははやく手放したくて、放って脳裏の四隅に追いやってしまいそうな予感もするから、こうして書き留めながら、ひとまずは忘れないようにしておきたい。

「治療」にくくられるような医療行為はある種代替可能でも、「癒やし」は代替不可能性を秘めている。わたしだったら、「大したことなくて、よかった」というよりも、むしろ、まずは思いっきりハグしたい。そんなときに少しでも癒やしと、支えとなれるようなわたしの〈身体〉の構えだけは、どんなときだって手放さずにいようと思うのだ。

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