【第6回】平城の西ノ京
執筆:桂田 菊嗣
大阪急性期・総合医療センター名誉院長
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平城京の右京つまり朱雀大路(中央大通り)の西隣りにあたるこの地は古くから西ノ京と呼ばれている。その地に唐招提寺と薬師寺という大伽藍がある。旧奈良市街からみると僻地のようだが、東大寺や興福寺が外京に当たるのに対してむしろ古都の中心に近い。近鉄橿原線西ノ京駅で降りるとすぐであるが、西大寺駅から西大寺、喜光寺、垂仁稜などをたどる歴史の道を歩くのも良い。
唐招提寺は、何回もの遭難ののちに天皇たちに授戒を行うために来日した唐の僧鑑真が開いたと伝わる。はからずも井上靖の『天平の甍』を思い起こす。七堂伽藍が整然と配置され、奈良朝寺院の精華が完璧に残っていて天平文化の結晶とも言える。東大寺と違って私寺なのにこれだけの事業には国の工房が関与したのに違いない。
南大門を入ると正面に奈良時代唯一の荘厳な金堂がある。古色蒼然とした荘重な金堂の正面と相対すると一瞬襟を正す思いがする。奈良時代の建築物は他に殆ど現存しないから「天平の甍」とはまさしくこの金堂に他ならない。
金堂中央の本尊廬舎那仏(るしゃなぶつ)は量感のある威容を誇る。廬舎那仏は華厳経の中心にある尊格で、仏教の教えそのものであり、お釈迦様でさえその化身と言われている。全体に写実的で肉付き良くふくよかな頬など天平の特徴を見る。制作年代は東大寺廬舎那仏(「大仏さん」)にやや遅れ大きさでもかなわないが、違いは脱乾漆像であり、光背に千体近い釈迦如来たち(化佛)がひしめいていることである。なお鎌倉の大佛も大きいが、あちらは阿弥陀仏ではるか後世のものである。脇侍の長躯の千手観音の迫力にも圧倒されるほか、林立する仏像群には唐の息吹を感じ清新の気宇に満ちている。堂内空間には静謐な精神性が溢れているような気がする。
唐招提寺:金堂:瓦が波のようにうねる堂々とした大屋根のもと、8本の円柱が金堂の重苦しさをやわらげている。円柱はエンタシスと呼ばれる中央部に膨らみを持たせていて、ギリシャ風である。縦横の長さが黄金比になっているのは、ギリシャのパルテノン神殿やエジプトのピラミッドと同じである。「おほてらのまろきはしらのつきかげを つちにふみつつものをこそおもへ」、会津八一は金堂の柱を「まろき」と表現した
御影堂(いまは一時新宝蔵に移設)に鑑真(がんじん)和上坐像がある。先日訪れたときはもと像のあった開山堂に「おみがわり」を見ることができたが残念ながら未だ本物にはお目見えし得ていない。
鑑真和上坐像:脱活乾漆の結跏趺坐の像である。鑑真の平素の修行の姿でもあり、また座禅したまま入寂したとされる臨終の姿を弟子が写したとも言われる。過度に理想化されずに真実味がある。眼を閉じている姿は肖像彫刻にはあまり見られない。「とこしへにねむりておはせおおてらの いまのすがたにうちなかむよは」は八一が鑑真像に呼びかけたうたである。芭蕉は「若葉して御目の雫ぬぐはばや」と、この和上像を前にした時の風懐を詠んだ。芭蕉の句のなかでも私のお気に入りの一句である。
日本最古の、天平を代表する肖像彫刻と言ってよいであろう
奈良時代建立の経蔵と宝蔵が並んでいて、正倉院と同じ校倉(あぜくら)造の建物で貴重である。鼓楼には鑑真がわざわざ唐から持ち帰った仏舎利を入れるペルシャ製のガラス容器が厨子に納められている。
唐招提寺:経蔵と宝蔵:境内に並び立つ高床式で校倉造の、寺では最も古い建物である。断面三角の木材を井桁に組み上げて壁としているもので、倉庫として室内環境を保つために工夫したのであろう、当時の人たちの苦心に思いをいたす。東大寺正倉院とともに校倉造の奈良時代の価値ある遺構である
唐招提寺:鼓楼:頼朝の寄進というから唐招提寺には珍しい鎌倉建築であるが、品のよい端正な美しい建物でその前で思わず立ち止まった。年中行事の「うちわまき」ではこの2階からハート形のうちわがまかれる
境内を歩くとまるで天平の空気が漂っているような雰囲気である。ここに「蒼玄の奈良」の象徴を見た。折からいたるところに萩が咲き乱れていた。鑑真の時代にもきっと咲いていたことであろう。奈良時代に編纂された万葉集に最も多く詠まれている花は萩だからである。萩は秋の七草の筆頭でもある。
「萩の花尾花葛花罌麦(なでしこ)の花 女郎花(おみなえし)また藤袴朝貌(あさがお)の花(万葉集、山上憶良)」
すぐ近くに薬師寺がある。天武天皇が皇后(持統天皇)の眼病治癒を祈願して飛鳥(藤原京)に建立され、奈良時代にこの地に移されたとされる。殆どの伽藍が焼失したままになっていたが、悲願の金堂が何百年の空白をへて昭和51年に再建され、いま朱色も鮮やかに万古不易の輝きを取り戻している。木造ではあるが本尊を守るために内陣は不燃性のコンクリート造りで見上げるばかりの威容である。
薬師寺金堂:再建された昭和の金堂であるが、境内の中央に壮麗な偉観を見せている。入母屋の屋根を持つ二層の建物で薬師寺特有の裳腰を各層にあしらい、その大きさまで創建時の建築様式が再現されている。裳腰は法隆寺金堂や東大寺大仏殿にも見られる。その後方に最近再建された大講堂の一部が覗く
本尊の薬師三尊は創建時のままの白鳳美術の最高峰と言われる。徹底した写実性が感じられる点は、あまり制作時期が違わないはずの法隆寺の薬師如来が北魏様式で精神性が重視されていたのと異にする。身体各部の比率が人間と似ていて、佛の形を借りて人体の美しさを表現しているようにも見える。渡来人でない「やまと」の仏師が関与したのであろうか。銅造の黒光りした堂々とした体躯の中に優しさや気品があり、威厳さと無限の慈悲を感じる。台座にはギリシャ、ペルシャ、インド、中国由来の文様が彫られていて、シルクロードの終着点であることを頷かせる。
薬師三尊:大きな丈六の銅造の薬師如来は白鳳時代の仏教芸術の最高傑作である。唐の影響を受けつつ日本独自の仏像様式がここに完成した。法隆寺の薬師如来と比べてみるとよい。当初は鍍金で金色に輝いていたという。左右の日光月光はくびれた腰をひねっていて流れるような美しさがある。度重なる火災で薬師寺の堂宇は殆ど消失したなかで、3mは超えるような大きな銅造の彫像がよくも避難できたものである
境内には中門、金堂、講堂が縦に並び、金堂の東西に塔が立つという特有の薬師寺型伽藍配置をとる。東塔は薬師寺にあって天平建築の唯一の遺品であり、創建時の姿をそのまま残す。三重塔なのに裳腰(もこし)があって6重のように見える他に類のない仏塔である。屋根の大小が織りなすリズミカルなバランスは「凍れる音楽」と表現された。下からはよく見えないが、てっぺんの水煙には透かし彫りの飛天が舞う(実物は保管され現在のは模造品である)。価値ある美術品の保存の重要性はいうまでもないが、本来あるべきとことにあるのが望ましい。「すゐゑんのあまつをとめがころもでのひまにもすめるあきのそらかな」と会津八一が詠んだ。「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲」(佐々木信綱)」といううたもある。
薬師寺東塔:10年近くかかった解体修理が終わって最近ふたたび創建時の姿を見ることが出来るようになった。三重塔なのに各層に裳腰を持つので塔の輪郭線は異様に変化する。屋根の大小がおりなすバランスがとても良い。まさに天平の名塔である。西塔が1981年に再建されたので東西両塔が揃うことになった
大池から:薬師寺の西側にある大池からの眺めである。薬師寺の両塔とその向こうに大仏殿の屋根や興福寺の塔を、さらに春日山や若草山を遠望できる
境内から一歩外へ出た途端に神聖な気分から解放され、まるで別世界のようなのどかな田園風景が広がっていた。
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「天平の美を訪ねる」のシリーズは今回でひとまず終える。
遣唐使を通じて輸入された唐の影響を色濃く残しながら、日本人固有の美的感覚が融合した天平美術は日本文化の夜明けでもあった。(天平の宝と言えば東大寺法華堂や興福寺国宝館に収められている仏像彫刻を真っ先に挙げるべきかとも思う。ただこれらは私の画帳にないために本シリーズで欠けているのが遺憾である)
「世間(よのなか)を常なきものと今ぞ知る奈良の都のうつろふ見れば(万葉集、読みびと知らず)」
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【著者プロフィール】
救命救急医療の実践のかたわら、三次救急医療機関(のちの救命救急センター)の確立とわが国の救急医療体制(一次・二次・三次の機能分担)成立への模索、同時にプレホスピタルケア(いうならば病院前の救急体制)の拡充のための救急隊員教育の体系作り、その延長上での救急救命士教育へのかかわり
【経歴】
昭和35年 大阪大学医学部を卒業
昭和37年 インターンの後、大阪大学医学部附属病院第二外科にて研鑽を 積む
昭和42年 同病院特殊救急部創設に参加(救命救急医学の研究・診療に従事)
昭和49年 大阪府立病院部長に就任(全国初の救命救急センターを設立、重篤な救急患者の診療にあたるとともに、救急医療体制の整備、全国救急隊員教育の拡充等に貢献)
平成11年 同病院病院長に就任
平成14年 大阪府北大阪赤十字血液センター所長に就任
現在は、大阪府北大阪赤十字血液センター検診業務、救急救命士養成教育、老人介護保健施設管理などに従事
2020年に発刊された『救急救命士標準テキスト第10版』の編集顧問を務める
近著:救急救命士国家試験問題集ではなく、救急救命士という職業人のためにつくられた、今までにない”新しい”問題解説集
へるす出版 『救急救命士実践力アップ119』
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