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ちょっとだけ、変わったこと。

10年前の自分は、
『社会とはこうあるべき以外、他にない』
という極端に狭められた価値観だった。

目に見えないことやものに関係すること
それは、自分自身の本当の気持ちも含めて
粗末に扱うようなものだったと思う

ただ、その時の自分は
それしか答えがないんだと思っていた。

枠組みの中で苦しみ、もがいて
その中でできることを精一杯に
できる限り、やっていたと思う

結果として、自分も人も
傷つけることになってしまった。

今となっては、
『こうあるべき』という枠組みの外側にある
あらゆる可能性の芽を、
ひとつひとつ大切にしたいと思えている。

思い込みを手放す、流れに身を任せる、
玉ねぎの皮を一枚一枚むきながら
芯にどんどん近づいていっている

目に見えない世界を学ぶ必要性は
目に見えない世界を粗末に扱った結果
私の前に現れてくれた
学べば学ぶほどしっくりくる感覚だった

生まれる前に決めてきたこと
たましいさんがやりたいよ!と
ワクワクしていた気持ち

紆余曲折しながら
地球を生きて、体験して
感情を味わって
嬉しいことも辛いことも含めて
あとから眺めると全部繋がる

この感覚が
星よみとの出会いでより濃くなった気がする

タイトルに戻るけれど
「ちょっとだけ変わった」と
謙遜してしまうのは、心のどこかで
いつだって誰かと比較してしまう自分が
いまだに存在するからなのかも知れない

小さな時から優秀で変わっている姉と
平凡で何もない私という

いつかどこかでラベル付けした自分が
時折顔を出してくる。
まだまだ癒しきれていない部分なのか.

先日、祖父が亡くなったこともあり
親戚が大人数集まった

大地主の家。
どこの大学、何して働いている、結婚したのか
子どもはいるのか、いないのか・・・

その時に姉の話になった
私の母は、
姉はすごいけど、
この子は普通で平凡で何も・・・

と笑いながら紹介していた

きっと10年前の私がそれを言われていたら
ものすごく怒りをあらわにしただろうし
母親のことを責めていたのかな


ちょっとだけ価値観が変わった私は
そういうふうに説明した母親を
遠くから否定も肯定もなしに
ただ眺めている感覚だった。

と同時に、
『自らラベル付けして
自らラベル付けした通りの人生を
歩んでいるにすぎないもんなぁ』

『本当は私も
何か自分の才能を使って
表に出ていくようなことがしたいって
思っているんだなぁ』

本音が自然と見えた感覚になった

そんな私を今振り返ってみたら
やっぱり、自分自身の変化って
ちょっとだけではないなと気づいた。

自分の中ではとてもとてもとても
確かに、大きく変わっていることなんだから

謙遜しなくていい
自分にはいつだって正直であろう。
誰かと比べた自分なんて、自分ではない
そもそもみんなひとつでありみんな違う。

もしかしたら謙遜してみせているのも
ただ『平凡で何もない自分』を演出して
才能開花して輝きながら
本当の自分で生きていることを
盛りに盛るためなのかもしれない笑

というのは冗談。笑

心の声に耳を澄ませて過ごすって
大事なんだなーを実感するchariでした

今日もお付き合いいただきありがとうございました(^^)

chari




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