教育について考えてみた話
私は教育関係者ではない。不登校の3兄妹を育てている、ただの一保護者だ。そこら辺にいる、ただの母ちゃんだ。
教育について、素人から聞くことは何もない!と大多数の人がこの肩書を見て記事を閉じるかもしれない。
でも、考えてみて欲しい。この日本で教育を語らない大人が居るだろうか。あなた、専門外ですよね?という人も含めて、子育てや教育にはみんな口を出したい。「自分の頃は。」「今の学校は。」「これからの日本は」と私見を述べまくっているのではないだろうか。
ただの母ちゃんにも言わせてください。
母の模索
我が子の不登校をきっかけに、私は自分の中に破壊が起きたのを感じている。我が子たちに、“当たり前”が通用しない。“私の常識”を押し付ければ押し付けるほど、子どもたちは苦しみに悶えた。子どもが社会の中で『生きやすいように』そう教えれば教えるほど、元気を失くした。
子どもたちは、親が子を思って伝える言葉によって、考えを改め、矯正されることは無かった。
むしろ、自分の事は、どうしたって分かってもらえないんだ。と日に日に目の輝きを失っていった。
母は、自分が間違っているのか?と思い始めていた。子どもにのびのび育って欲しいと願っているのに、子どもを追いつめる。
社会の一員であって欲しいと願うあまりに、学校を強要し、「あなたの為だから!!」と引きずって登校させた。子どもはのびのび育つどころか、学校のみならず、社会に出る事すら恐怖を感じるまでに悪化した。
母には『正解』が分からなくなった。子どもに元気が無い。これは間違っている。子どもに元気がないことが正しいわけが無い。確信が持てたのはそれだけだ。
では、どうすればいい?ずっと答えを探し求めていた。
大阪市立大空小学校の初代校長
そんな時、東京大学でアーカイブ講演をします、という情報が入った。
テーマは、『その子がその子らしく育つために』
その講師が、大阪市立大空小学校の初代校長、木村泰子さんだった。
東京大学のZOOMというだけで、身がすくんだが、テーマに惹かれて勇気をだして申し込みをした。
木村先生の話は、強く心を打つものばかりだった。木村先生は、
校長の責任は、すべての子どもの学習権を保障すること
だと言った。
ここで、あなたは一般との熱量の違いに気が付いただろうか?
『すべての子』という部分だ。
木村先生の話す、数々のエピソードの中で、印象に残ったものがある。
そのエピソードを聞いて、度肝を抜かれた。私が担任なら、きっとその子に伝えていた。「本を閉じて、授業を聞いてください。」と。
グッと言葉を飲んで、職員室に持ち帰った担任もすごい。その子を「良い子やん」と言った同僚もすごい。目から鱗が落ちた。
さらにエピソードは続く。
研修で来た、特別支援の先生の認識が、世間の一般の尺度ではないだろうか。みんなの授業を“邪魔”したらいけないよ。静かにしていようね。と。
その障害児が、「あー!」と声を発した理由について、考えて言語化してあげる、なんて発想すら無い。
障害児は本当に何も分からないのか?何もできないのか?感情はないのか?
絶対に分かるし、できるし、感情もあたりまえにあるんだ。濃淡はあるにせよ。だって、人間だもの。
ショックだった。特別支援教育というものの自分の浅はかさを知った。どこかで、一線引いて、自分事とは区切っていた。自分の偽善を突きつけられた。
木村先生が話してくれた追記のエピソードがある。
大空小を卒業しても、中学校へ行くと、他の小学校の子も集まります。「なんで障害者が、教室に居るんだよ!支援級行けよ!迷惑なんだよ!!」と他小学校あがりの子に言われて、「悔しいよ!」と、卒業生が大空小に泣いて帰ってきてことがあります。どうしてかな、って考えたんですよ。
私たち、大人ですよね。子どもにそう刷り込んだのは。社会って優秀な人だけで成り立っていますかね?そんな社会が良いなら、シェルターにでも籠って、自分に都合のいい人だけ入れて暮らさなければいけない。そんなこと、できないでしょう?色んな人が居て、みんなで社会を作っていくんでしょう?学校は、社会の縮図だな、と思いますよ。
と。深く深く突き刺さった。我が子が不登校という社会の中の少数派となり、傷ついた経験が確かにある。疎外感、孤独感の闇に突き落とされた。社会の少数派の人は、きっと同じ思いを抱えているかもしれない。
木村先生は、「貧困」・「不登校」・「障害」・「能力の高さ故の生きずらさ」色んな問題のエピソードを語ってくれた。
でも、一貫して、すべての子どもの学習権を保障することを主張した。
木村先生は、
「学校に来てくれないことには、救えないんですよ。
不登校を許してしまったら、その子の学習権は保障出来ないんですよ。授業を聞いてろ!で縛ったら、その子の学習権は侵害されるんです。もう既に分かってること、聞いても全然分からん事、興味ない事、聞きたくないでしょう?
その子が悪いんじゃないんです。その子が学校に来たくない、授業聞きたくないと思わせてしまう学校が間違ってるんです。
私は、校長の責任として、“全ての子”が学校に来て、学べるようにしたいんです!」
そして木村先生は、
「そんなこと言うてもね、私一人では到底無理な話なんですよ。」と言った。
「無理やから、誰か助けてー!!って、もう校長の権威なんてかなぐり捨てて叫びました。そしたらね、助けてもらえるんですね。子どもの為に、一生懸命になってくれる仲間が、必ず見つかるんですね。」
と。
大空小学校の子どもたちに、「あなたの先生はだれ?」と聞くと、「学校の大人みんな」と答えると。先生に「あなたの受け持つ生徒はだれ?」と聞くと「大空小の全校生徒だ」と言う、というのだ。
我が子の小学校ではどうだろう?きっと担任は自分のクラスを自分の生徒と答えるのではないだろうか。
木村先生は、「先生方には異動がどうしてもある。地域から巻き込まないといけない」と言った。「先生が変われば学校も変わる、という意識では、誰も熱量が半減してしまう。子どもはずっと学校で育つのに。そこに住みつ続ける地域の応援があってこそ、学校の土壌は築ける」、と言った。
私は、母親であるのと同時に、地域の住民だ。私が学校の為に、何か応援を伝えただろうか。学校の為になることに、我が子以外の子どもたちの為に、何か貢献したことがあっただろうか?
すごく反省した。自分の事、少し頑張って我が子の事。それで完結。それ以上に視野を広げて、学校に関わったという、記憶がない。これから、私のできる事を考えよう、と思った。
文句を意見に変える!自分が作る、自分の学校。全ての人が当事者なんだ。人のせいにしない学校づくりをしていきたい。と木村先生が言った。
頭が下がった。
ゾウの足かせの話
急に話が飛んだと感じるかもしれないが、私は不登校の我が子たち、そして自分を振り返って考えたことがある。
そこで、前提として、ゾウの足かせの話をしたい。
我が子たちは、思い返せば幼少期にのびのび過ぎるほど、のびのび育って来た。自分には何でもできるぞ!自分は最高だ!そう保育園まではキラキラしていた。
そして、学校に入り、社会の規律、ルールを学んだ。親も勉強を強いた。あなたの為だから。と。
そして、不登校になった。
私は自分の子育てを呪った。幼少期に、汚れようが、危なかろうが、興味を持ったならやってみればいい!と子どもの背中を押していた自覚があった。
けれど、それが社会の常識からは突飛に見えることもあっただろう。
『他人を傷つける事と、自分を傷つける事』それは絶対にどんなことがあっても許さなかった。そこだけは絶対だった。けれどそれ以外のことは、ある程度容認してきた。
そのツケが不登校だ。と感じていた。小さい頃から、規範を教え、礼儀正しく生きられるようにしてあげたら良かった。そうしたら我が子たちは、きっと従順に学校に通って、不登校になんてなってなかったはずだ。そう、自分の育児を呪っていた。
しかし、木村先生の話をきいて、ゾウの足かせの話を知って、自分への呪いが、少し薄くなった。
我が子たちが悪いのか?本当に?親の育て方が悪かったのか?本当に?
我が子たちは、自分の為に、学校という足かせを切ったのか?と。
このゾウの足かせの話の注釈には、
『自分の可能性を決めているのは、自分自身ですよ』
と書かれていた。我が子たちは、自分の足かせを外した。
「可能性を信じて」、と言うよりは、「自分はここに居たら潰される!」という危機感から逃げ出した感覚が強い。
まったく後先なんて考えていない。親は、飼われていれば、エサに困ることもないのに!芸も覚えられるのに!とオロオロするが、子どもたちは足かせを切って不登校の世界の冒険に出た。
足かせなんていらない、子どもが自分の意思で「戻りたい」と思う学校なら素敵だな、と思う。木村先生の大空小学校のエッセンスを汲んだ学校が、地域にあれば、救われる子もきっと増える。
足かせでしばらなくても、子どもたちが喜んで集う場が学校、であって欲しい。
自分への教訓
インクルーシブってなんだろう。深い理解を自分の中に少しでもインストールできたらいいな。
足かせになっているものは何だろう?子どもの健やかな成長という本質のみを応援したい。
学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。