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新学期の変化とマネジメント

新学期が始まった。昨年より不登校の3兄妹。
たこは中学に入学した。ぴこは4年生。ちぃは2年生になった。

昨年の3学期、「子どもたちが精神を破壊して、自尊感情を保てないのならば、学校に登校するというのは選択肢の一つとして捉えればいい。自分を壊しまで行くところではない。」と母としても腹落ちさせたつもりだった。

しかし、スタートダッシュの新学期。やはり気持ちが揺れる。
学校に行って新たな学年、環境を覗いておいで、という気持ちが強まる。

母よりも夫が、その思いに苦しみあぐねていた。

たこの中学入学

たこは、入学式当日、なかなか中学に対して、気持ちを前向きに進めることができなかった。

6年生の3学期同様、ダラダラとホットカーペットに張り付いて動かない。
母と夫は、スーツに身を包み、たこの起動を待った。

母はたこに問いを出した。
「あなたの達成させたい目標は何?」
たこは、しばらく考えていた。

母は、入学式に提出しなければいけない書類があることをたこに告げた。
200人近い生徒が今日書類を提出する。不備や漏れの確認は先生にとって余計な仕事になってしまう。締め切りを破るということは、相手の労力と時間を奪うことになる。
たこに、追加提出した分の先生の時間単価をお支払いすることができるのならば、書類の提出はあなたのタイミングで行きなさい。と話した。

たこは、「自分の感情で人に迷惑を掛けるのは良くないね。書類は提出するよ。」と結論を出した。

たこは書類を持って、ズボンとTシャツで立ち上がった。

夫は呆れていた。制服を着ないのか?と。指定されたものをどうして放棄するんだ?と。たこは夫に責められ、意気消沈してしまった。

母の中で目的は、「たこが学校へ行き、きちんと書類を提出するという義理を果たすこと」だった。制服の論点は二の次で良かった。たこのモチベーション、行動パターン、思考パターンから推察すると、『制服を着て学校に行く』という段階に現時点立っていない事は見てとれた。

しかし夫は、「制服を着ないで学校に行くのは変だよ。靴下は必ず白のハイソックスって書いてある。ベルトも革の指定があるよ、守ろう。」とたこの説得を試みた。

案の定たこは、「行かない」を選択する。

やってくれる。と母はまた振り出しだ、と夫を見つめる。
『当たり前』『常識』『普通』を12年間日本で生きてきたたこが、分かっていない訳がないだろう、と。本人が分かっている上で私服を選択している。
「義理は果たそう」と奮起している。

「制服を着ることが目的か」「学校に行って義理を果たすのが目的か」
たこは、夫に「制服を着て欲しいなら、着るよ。そして学校は休む。」と言った。
夫は「もう知らん。好きにしろ」と折れた。

たこは私服で入学式が行われている学校に両親と共に向かった。
グラウンドでクラス発表を確認し、仲良し男子が5人ほど同じクラスだという事に、ふーん、と一言。何食わぬ顔で入学式受付へ向かった。

受付に並ぶ先生は私服のたこを見て困惑していた。
受付で「3組のたこです。」と告げると、式辞が手渡された。
「ありがとうございます。」と丁寧に御礼を言い頭を下げ、たこは身体を反転させた。先生たちは再び困惑し、「式に出ませんか?」
とたこに尋ねたが、たこは、「ありがとうございます。帰ります。」と返した。

桜が満開に咲き、河川敷には菜の花が咲いている。
たこは達成感とともに、降り注ぐ春の日差しを受けて目を細めていた。

母は、たこが自分の課題を決めて、それを達成したことが誇らしいと思った。
夫は、たこの感覚に呆れていた。

見方は人それぞれあるし、信念や正義のようなものも、人それぞれだ。
たこにはたこの価値観があることを、長い不登校生活に寄り添う中で、母は感じていたし、それは親が変えられる類のものでは無いことも分かりかけている。

たこが、制服を着なかった事、入学式に出なかったこと、それを本人がどう捉えているかが、重要であって、周りが一喜一憂するものではない。

少なくともたこは、「(書類の面で)先生に迷惑はかけずに済んだ。義理は果たした。」と思っているようだった。
そして、「ちゃんと自分で学校に行って、自分の目標は達成した。」と感じていた。
たこが、自分を卑下せず、挑戦した自分を誇っていることが、今のたこには大切な経験なのだと、母は思っている。

たこの授業初日

中学校が始まって、2日目。たこに今日の予定はどのように考えているのかを聞くと、
意外にも「学校行くよ。教科書をもらって、友達に会おうかな。」と言った。

昨日、担任から電話を貰っていた。教科書配布があること、友達が会いたがっていること、担任としても、顔を合わせたいと思っていることなどを告げられていた。

たこは、またもやズボンとTシャツで学校へ向った。
Tシャツには”やる気スイッチ故障中”と印字されていた。

昇降口で、通りすがりの先生に挨拶をする。たこは先生に「制服は?」と聞かれていた。そりゃそうだ。何食わぬ顔で靴を脱ぎ、先生をシカトしようとするたこに、「きちんと答えなさい。」と母が促すと、「着てきませんでした。」と見れば分かることを伝えるたこ。

これだから、寡黙男子は世話が焼ける。”どうして着て来なかったのか?”WHY?を問われているのだぞ。
「制服の用意はしてあるのですが、”学校へ来ること”を第一の目的に据えたようです。制服が必要であると本人が納得すれば、着てくると思います。」
と、先生の視線を受けて母が答えてしまう。

やってしまった。もう中学生のたこに、母親がしゃしゃってズカズカと踏み込んではいけない。報告一つにしても、本人に練習させて良い年齢だと考えていたのに。あまりに頼りない。これは、母の過保護体質の問題だと自覚している。

たこはとは昇降口で別れた。「行ってらっしゃい。」と見送った。たこは先生について校舎に入って行った。

しばらくして、母の待つ車に、学年主任の先生が来た。
挨拶をすると、たこは別室で待機中。担任が対応出来る時間まで待たされているということだった。

なぜだろう?と思った。
たこは、「教科書をもらう。」「友達に会う」「担任に会いたいと言われたから来た。」それは、たこが教室に行けば済む話のように思えた。

小一時間待って、担任の身が空いたので、と、たこは個別対応され、教科書を受け取った。たこに「友だちに会えた?」と母が聞くと、たこは首を振った。
「どうして?」と聞くと、それには担任が答えた。

制服では無いので、教室には入れませんでした。それが決まりです。


帰りの車の中で、たこは言った。
「制服って誰の為にあるの?誰が得をするの?制服を着ないことで、誰かに迷惑をかけてしまうのかな?」

母は、それに答えることが出来なかった。
母は、学校は子どもの為にあり、教育を受けるための機関だという思いが強い。子どもが学校に行ったのであれば、教育を受ける権利が当然にあるだろうと思っていた。

『制服を着ていないから』という理由で、教室に入れないとは思いもしなかった。そんなくだらないことで、教育を受ける権利を剥奪されるとは、と唖然としていた。そして、「先生に聞いてみたら?」と返した。

たこは言った。
「担任に聞いてもしょうがないよ。権限がないもの。校長と話してみようかな。」

へぇ。自分で動いて、改革しようとする気になったか。と親バカながら感心してしまう。たこの気持ちを挫くつもりは無いが、大人として経験してきたことを伝えた。

「校長と話すのはすごく良いことだし、一番効率がいいね。その時には、アポイントメントを取るんだよ。相手にも都合や時間があるからね。事前に打診して、予定を合わせてごらん。」

大人と予定を合わせる時には、友達同士のやりとりとは事情が変わること。そして、自分の時間も有限であることを告げた。

「ママは、中学のしおりを読んだけど、靴下の色の指定やら、ネットの契約書やら、生徒の心得やら、あなたが疑問に思うだろうことはいくつもあった。全部につっかかってたら、時間と労力取られすぎて、本来やりたいことが出来なくなってしまうから、そこは考えなさいね。」

ほとんどの中学生は、『決まり』なんてものを気にも止めず、『そういうもん』として日々を過ごしているのだろうと思う。一部に疑問を持つ子がいても、費用対効果を考えて、黙って従っている方が得策だと声を上げないのだろう。
たこはきっと、「そんなにめんどくさいなら、学校は行かなくていいや。」思ってしまうのではないか。

両親としては、経験もしないで、何かを得られるかもしれないチャンスを、みすみす逃すのは勿体無いだろう、と思っている。せめて、見て、知って、必要か不要か判断しても遅くないのではないか、とたこには話している。

学校側の思いを確認したら、「たこ君には学校に来て学んでほしい」と親と相違がないことが分かった。では、そのために大人ができることをたこを中心に考えていけばよいだろうと思う。

たこは、すぐ「じゃ、いいや。」と物事を投げ出すところがある。なるべく省エネな方へ身を置いて流れているように見えてしまう。
『怠けている』とか、『考えてない』とか、時には『飄々としている』と表現されることもあるが、まぁ、人の評価は見方によって変わるものだ。気にしても仕方がない。

その時に、たこが「どうせ俺なんて。」と考えて発言しているのか、「俺には不要である」と判断しているのか、それで今後の方向性がだいぶ変わって来ると思う。

まぁ親としては、「不要である」と判断した根拠が、思い込みなのか、多角的かつ俯瞰して出した結論なのか、根拠を問いたいが、12歳のたこにそれを証明させるには、まだまだ練習が必要だ。

そこは、たこと対話を重ねる中で、擦り合わせて行く必要があるだろうと思っているし、その根気と忍耐の作業が親のできることなのではないかと思っている。

◇ ◇ ◇

口数の少ないたこに、いつも話すことがある。
「思いがあるなら、伝えなさい。黙ってても理解してもらえない。
相手にしっかり敬意を持って、感謝の気持ちを忘れずに、丁寧に対応すれば必ず伝わるから。」と。

喋るのも書くのも、表出が本当に下手くそなたこ。
母は、アウトプットの少ないたこのことを、「こいつ何も考えてないな。」と誤解していた。しかし、たこは考えていた。最近になってやっと、成長とスキルの向上と共に伝わるようになってきた。

もう12歳ではあるが、まだ12歳。
沢山経験して、沢山失敗すれば良い。母はたこを信じて見守るのみだ。

自分への教訓

  • 本来の目的をしっかり捉えて、達成させる最善策を取る。オプションが目的達成の障壁になる場合は、その都度考えていく。

  • 12歳の息子は、大人への過渡期。サポートしながらも、母が出過ぎないようにすること。

  • 社会の理不尽、同調圧力、くだらないこと、自分の力の範囲で変えられないことを学ぶのも、人生経験。








学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。