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戦場痕 1-1


あらすじ

今じゃない時代、ここじゃない世界、東京。
先の戦争で傷痍軍人となった「私」は、退役軍人が殺された事件の調査に協力している。平和な時代に不要となり、壊れていく仲間たち。今回の事件も耐え切れなくなった元軍人によるものだった。
「私」をカウンセリングする医者は、そうした壊れた軍人たちに銃を貸している。そんな現状に疑問を抱きつつ、ただ毎日を消費する「私」。しかし目の前でひとりずつ銃を撃つ仲間たちを目の当たりにして、「私」はふたたび銃を握る覚悟を決めるのだった・・・。

各話リスト

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1-1.

 出版社の打ち合わせから戻ると、留守電が入っているのに気が付いた。
「あの医者、拳銃を渡していた。本当だ。俺、殺されちまう」

 福江敦人(ふくえ あつひと)の酒とクスリでぐらついた声が、何度も私の名前を呼ぶ。録音時間の二十秒をまるまる使った元一等兵の鳴き声をBGMに、私は布団に潜り込んだ。
 彼がシリアスなのは分かっていたが、かけ直す必要は感じなかった。私は疲れていたし、福江には恐らく休養が必要だった。明日は土曜日だ。きっと二度目の電話があって、いつもの居酒屋で飲むことになるだろう。
 もう七年になる。
 七年。お偉方どうしがペラ紙にサインを終えて、そうして硝煙が晴れてからずっと、こんな痛みを伴う空虚だけが残っている。

 翌朝になって、クロキリをパックからスキットルに注ぎ足していると大島から呼び出しがあった。「酒が入ってる」と携帯電話に向かって言うと、僕が送りますよと返された。断るための文句を考えながら溢れたクロキリをすすり、着たきりだった服を替えて間もなく、雨汚れで縞模様になったクラウンがアパートの前に停まり、クラクションを短く鳴らしてきた。
 今日の彼は開襟シャツと黒のスラックス。職場に寄ったついでという風で、ガイコツみたいな顔をへらへらと笑みの形に造っていた。

「休日にすみませんね」
 相変わらず内地生まれらしく、白杖みたいに細い男だった。ストレスがかかると浮き出た頬骨をなぞる癖があって、私と会うときはいつも頬をさすっている。
「今日もよろしく」と私が言うと、彼は彫像みたいな笑みのまま助手席のドアを開けた。

 今回の現場というのは港の倉庫だった。
 搬入口の前にはベルトに差した弾のように警官が並んでいる。中に入って大島が人払いをすると、あとには血まみれの冷蔵庫だけが残った。開いた扉の中は、胴体のあった位置が血だまりになっていた。中身……ホトケの頭もさっき写真で見たが、肉がほつれてピンク色の毛糸玉みたいだった。ずたずたに裂かれて冷凍室にブチ込まれていたそうだ。
 コンクリートの床では垂れたまま乾いた血がぱりぱりと割れていた。一歩下がって地面にひたいを当てる。まだ巡査たちのソールの熱が残っていた。ほう、と息を吐く。吹かれた砂粒が目の前の地面をころころと転がっていった。
「いかがでしょうか」
 と大島が欠伸を噛み殺して言う。
 私が黙っているのを聞こえなかったと思ったのか、彼は「いかがですか」と繰り返した。
「ん……間違いない。RAMがやってる」
 私が立ち上がると、彼はざっと足を引いた。私が見つめ返すと、気まずそうに微笑みかけてくる。
「すみません。少し驚いてしまって……」
「きみ、ネコを飼ったことはある?」
「は?」
「懐かれない人は、だいたいすぐ動いちゃうんだよ」
 私は愛用のサファリジャケットのポケットに手を入れた。「彼らを撫ぜるときはまず手のひらを見せるんだ。やることを事前に教えてやれば、驚かれることはない……」
「えっと」大島がまばたきをする。
「だから、今のはごめんねって話。あたしも気を付けることにする」
 私は冷蔵庫の扉を閉めた。むせかえる血臭に混じって、洗浄されたばかりの樹脂のにおいが鼻を衝いた。床で死体をバラしたらしく、隣の冷蔵庫にまで血が飛んでいた。

「見つけたのは港湾職員?」
 倉庫から出るあいだに、似たようなデザインの冷蔵庫の前を百回は通過した。キャンベル缶みたいに並ぶこいつらが出荷を待っているあいだに、親切などっかの誰かがしこたま新鮮な肉を食わせてやった、というわけだ。
「はい。業者が異臭に気が付いてチェックしたら、中に男のダルマがひとつ」
「手足は?」
 私はスキットルを取り出した。ここは臭すぎる。体内の消毒が必要だ。
「別の冷蔵庫に入っていたそうです。そちらは腐敗が少なかったそうですが……」
「ん、手には腐るような腸も肝臓も無いしね」
 港ではクレーンがコンテナを下ろすところだった。脇につけた作業車がのろのろと動いていて、監督が黄色のヘルメットをかぶって怒鳴っている。どうせ彼らには対岸の火事なのだろう。
 スキットルの蓋を締めて、埠頭に停めていたクラウンの助手席に私が入ると、大島も運転席に着いた。
「まったく血生臭いな……」
 と言って、大島はスーツの胸ポケットに手を突っ込んだ。最近では珍しいピースを唇にはさみ、火をつける。濃厚なタールの紫煙が開けた窓からもくもくと出て行った。
「タバコ、喫ったんだ?」
 ええ、と大島がうなずく。
「きょうび手も視界も塞がない趣味はこいつくらいですから」
「向こうじゃ誉(ほまれ)ばっかり。丹建(タンケン)を喫ってるのもいた。漢方のやつ。知ってる?」
「いえ。今そのお方は?」
「整備工が撃ち殺したよ。向こうのスパイだった」
 大島は顔をひきつらせて、ピースを物騒そうにつまんだあと、またくわえ直した。
 アクセルが踏み込まれ、景色がゆっくりと流れていく。環状道路に上がっていくとき、ビルから生えた紅白のクレーンが防音壁の隙間に見えた。

 私が知っている関東平野は砂とモルタル製の墓標だった。
 新聞の中だけと信じていた戦争は、ふた月足らずで日常に押し寄せてきた。第何次かの反攻作戦で私は四角い塹壕に叩き落され、ネズミの声を聞きながら、雨水でふやけた死体の隣で眠ることになった。あの死体たちも今は高層ビルに踏みしだかれて窒息している。
 戦後復興局の事務所は、今でも第二庁舎に間借りさせてもらっているそうだ。
 重たいトランクを持つ大島に代わってエレベータのボタンを押すと、彼は「慣れてますね」と言ってきた。「査問委員会には何度かお世話になったから」と私は言った。

 手狭な事務所に着くと、彼はどっかりとトランクを投げ出した。ファイルを整理する彼を横目に、私も割り当てられたデスクに着席して、そこらにあったボールペンを握った。
 少し肘に力を入れると、形状記憶ジェルの持ち手に指の跡がついた。ぐんにゃりと形を取り戻すジェルを見つめながら、私もやるなら死体の首を落としたな、と思った。
 死体はうめくものだ。内臓が腐ると、ガスが喉を通ったときに音が鳴る。戦死したやつらを防弾壁代わりに積み上げているときも、「ああ」という声がよく聞こえたものだった。
 バレたくなければ死体の首は落とさなければならない。

 「どうしてRAMだと?」
 出納帳と登記謄本の写しをさばきながら、大島が尋ねてきた。
「あの死体、ピストルで仕留められていた」
 私はペン先でデスクをつついて言った。デスクに置かれたポスタには地雷処理班の連絡先が書いてあった。国境が引き直された今、復興局の事務室は小声でも通るくらい静かだ。
「ナイフでめった刺しだったじゃないですか」
「切断面とは別に、首すじに焼けてるところがあったでしょ。あれだけ頸椎C2のすぐ上を撃ってた。曲げるところだから脊髄が露出してて、慣れたら顎下や心臓を狙うより楽に殺せる」
「そうなんですか?」
「手足は綺麗だったはずだよ。初めの一発で死んだから、防御創が無いってわけ」
 資料をめくる音が響き、大島が息を漏らす。
「流石ですね」
 そりゃ自分もやるからね、と声に出さずに呟いた。
 生き残った私に遺(のこ)ったのは、義手になった両腕と、週三回の透析。
 残虐な事件だから元軍人(パープル)がやったに違いない――だから私が参考人として選ばれた。
 これまでに三社の取材を受けた。今も外にはテレビ局が待っているはず。
 なんとなしに抽斗をまさぐって、二枚つづりのドッグタグを取り出した。丁寧に削った国軍の正規品とは違って、縁がぎざぎざになったひどい安物だ。ここに記載された残存兵器収集動員官(RAM)、というのが七年前までの私の職業。
「……福江だった」
「はい?」
 何でもない、と言って私はドッグタグを首に巻いた。ノルマをこなせば今日の業務は終わりだ。たとえ、旧友が無惨に殺されたとしても。


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