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戦場痕 2-2

 夜になってアパートに戻ると、放置していた携帯電話に留守電がひとつ入っていた。大島の細い声が独自の調査結果を報告するのを聞きながら、パックに残っていたクロキリを湯呑みに注いだ。

 エチルアルコールで顔を赤く変えながら、銃を持つ自分を想像した。
 外ではパトカーのサイレンが鳴り響いていた。族車を追いかけているらしく、聞いているうちにドップラー効果ですぐに音程が変わっていった。空襲警報よりも音が高いから、神経が昂る感覚はなかった。だが、酒を入れるペースは速くなった。

 ときどき、他人が出す音がひどく耳ざわりになる。
 金属音や爆音でなくてもそうだ。衣擦れ、足音、あるいは無音でさえ。接点の無い誰かが「そこ」にいて、自分が不在のあいだも関係なく世界が回っていると一瞬でも感じると、途端に冷静でいられなくなる。
 銃と相手があれば、殺すという選択肢ができる。
 私、銃。あるいは敵と殺意。

 シャワーを浴びながら、床にへたり込んだ。
 尻に冷たいタイルが張り付き、髪から垂れた湯が乳房のあいだを伝って腹へと流れていく。出しっぱなしにした水流が膚(はだえ)を包み、世界から私のかたちを切り出す。
「あなたはどうしたいの」
 風呂上りに診療所に電話をかけると、三沢も起きていたらしく、すぐにつながった。
「あなたがたを救いたいのですよ」
「みんなにベビーピストルを渡したでしょ。きっかけが無ければ死ななかったのに」
 言葉を選ぶような間があった。三沢の吐息がノイズとなって伝わる。
「……良くありたいと思うのは、人間なら誰しも同じでしょう」
「ええ」私は片手で湯呑みを回した。「戦争はそうした『善人』に切れ込みを入れる。殺したやつ、殺させたやつ。ひとり挟むかふたり挟むかという違いだけで、あらゆる人間が悪人へと変わる。あたしの悪行については、あなたにすべて話したつもりだった」
「たいていの患者は、真実を語ることを必殺のサインだと考えるものです。たかが手順を自発的な行動と勘違いして、まるでキャンプの新兵のようだ」
「あたしたちは見返りに治療を求めたんだけど」
「いいえ。あなた方が本当に求めているのは罪に対する罰なのですよ」
 手元が狂って湯呑みが転がる。飲みかけの焼酎が床に広がった。
「あらゆる罪はあがなわれるべきです。刑務所や絞首台と同じように、悪意に免罪される機会が与えられるからこそ、人は立ち戻れる。我々が出したお薬は飲まれましたか?」
「いや、まだ……」
「きっと効かなくなる日が来るでしょう。そのときは、もっと強いものが必要になります」

 真っ黒になった画面から、ツーツーと電子音が響く。
 息をつくと携帯が床に落ちた。フローリングの上で対戦車地雷みたいに黒光りするプラスチックのカバーを見ているうちに、何か衝動的なものが湧き上がってきた。
 私は、罰が欲しいのか。
 人差し指でピストルを作って、舌に乗せる。ぐ、と喉奥に突き入れて止まったところで、そいつの先端から小人みたいな二五口径の弾丸が発射されるところを想像してみた。
 きっと、トリガは軽かった。
 ご大層な脳を乗っけていても、しょせん人間を生かしているのは細い脳幹だけだ。咽喉の奥には剥き出しの頸椎C2があり、撃ち出した銃弾はダルマ落としのように骨を突き落とす。パスタのような神経束がばらばらとほつれて首すじから飛び出し、弾との摩擦熱で焼け落ちたときには、痛みすらほとんど残っていない。

 血がよどむまで薬を飲んでもぼんやりとした不安から逃げられず、やがて一人取り残された自分に気が付き――そのときまで私が生きているヴィジョンは思い描けなかった。
 指に付いたよだれを舐めとり、放置していた湯呑みを立て直す。
 今日も、私は死ななかった。明日も、救われることはない。

 石見に鑑定結果を聞く前に、シューティングレンジに寄ることにした。
 受付をしていた男は事務的に弾と銃を裏から持ってきて、カウンターの柵越しに書類を突き出してきた。私が義手でのたうつようなサインを入れたとき、彼は片方の眉を上げた。
「何か?」私はペンを置いた。
「ずいぶん日焼けしてますね。映画だと、あなた役の女優は色白だった」
「学生時代はまだマトモに白かったの。カスール撃てるやつはある?」
 最寄りのシューティングレンジは屋内式だった。ボックスに入ってカスール弾を並べていると、隣のボックスに入る足音があった。慎重に銃のシリンダを振り出す音が響く。
 スイングアウト式。ニューナンブだ。となると公務員か。

「監視ってやつかな」
 わざと大きな声をかけると、大島の大げさな鼻を鳴らす音が返ってきた。
「あなたは予定を守るタチではないもので」
「ずいぶんと信頼されちゃったなあ」私は笑って、貸し出されたフリーダムの撃鉄をハーフコックにした。「そろそろ撃てるようにするつもりだった。キミ、実射経験は?」
「官給品を数回ってとこです。そこらの警官と同じですよ」
「じゃあ六発だけ付き合って。いいっしょ?」
 弾を詰め終えたので、イヤーマフとグラスを着ける。マンターゲットの位置は二十五メートル。白い顔に照準を合わせて撃つと、きれいな穴が空いた。

 大島が口笛を吹いて、スピードローダを突き刺す。
 ギリギリと音を立ててニューナンブの弾倉がフレームに収まり、破裂音と一緒にマンターゲットの肩口が吹き飛ぶ。さらに二発撃っていたが、どちらも的をかすめる程度だった。
「上級はやっぱりダメですね」
 彼は仕切り板越しに苦笑して言った。
「僕は徴員されなくて良かったです。これじゃ初めての戦闘で殺されちまう」
「それ、肩で狙ってるから姿勢がおかしくなってる」
 私はフルコックにしたフリーダムをぶら下げた。正面にターゲットを見据えて、足を揃える。左手の親指をハンマに置き、ひと息入れて、右手をスナップする。ざっと左手首を巻きながらトリガを絞ると、ほぼ同時に飛び出した弾がマンターゲットの顔面を粉砕した。
 今度は口笛が鳴らなかった。

 ローディングゲートを開けると、熱気が揺らぎながら立ち昇った。タブボタンを押すたび吐き出される薬莢が、床を転がって私のブーツのつま先に当たって止まる。
「大事なのは足の向き。ね?」
 私はグラスを外して、トイレに向かった。
 今回もトリガは軽かった。鏡を見ると、驚いたような顔の私が見つめ返してきた。変われた? そう見える? 
 分かんないよ。鏡なんて、右と左すら間違えてるんだから。

 戻ってくると大島はまだ撃っていた。後ろのベンチに座ってみると、彼の姿勢のいい撃ち方がよく分かった。ボウガンでも撃つように眉間に照門を近付けて、グリップを両手で抱いている。肩を突き出す軍隊上がりとは違う、ちゃんとした警察の撃ち方だ。
「くそ」と彼は呟いて、空っぽになったニューナンブを置いた。
 彼のマンターゲットは満遍なく蜂の巣になっていた。

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