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戦場痕 2-1

 司法解剖をやったという医者は、夜勤明けでピンポン玉みたいに飛び出た目をしていた。挨拶がてら状況を尋ねると、警察にも百回は訊かれましたよと笑って、私たちが応接室のソファに腰かけるなり、慣れた様子ですらすらと教えてくれた。

「西暦で十八年の六月四日。通院時間になっても来ないっていうんで、家族に見に行かせたら頭を吹き飛ばしてました。銃が見つからなかったので、あのときは結構細かくやりましたね」
 窓から見える解剖室の裏手には人間ドックのCT車が停まっていた。「ディーゼル規制に引っかかったんです」とここに来るまでに医者が言っていた。スキャンのときはあそこまでストレッチャを押していくのだという。
「クスリとか絞殺だったら現場でだいたい心不全って書かれて野辺送りなんですけどね、刃物と鉄砲は分かりやすいもんですから、一応ここでバラすところまで行くわけです」

 ファイルを見せてくれたが、ザクロのようになった脊柱の組織だとか、吹き飛んだ舌とかの写真が並んでいるばかりだった。私が「弾丸は?」と言うと、医者は微笑んだ。
「二五口径です。弾の線条痕が先日のベビーピストルと同じだったそうで」
「こいつを撃った銃が、また別のやつに回ったってこと?」
「線条痕ってやつは銃の指紋って言われるくらいですから。まあ間違いないですね」
 写真の女は銃口をしゃぶりながら撃ったらしく、死に顔はきれいなものだった。皮膚を剥がしてチェックした次のページでは、血液検査について書いてあった。
「アナフラニールを始めとする抗鬱薬が五種に、デパケン、ストラテラ、まあ不安定な人間に処方するもののフルコースでした。おまけに睡眠薬もオーヴァドーズって塩梅で」
「自分で撃ったの?」
「ええ」医者はページをまためくってみせた。「入射角から自殺と判定しました。もちろん脅して撃たせた可能性はありましたが……なにぶん市販薬も大量に服用していて、血液までどろどろのゲル状になってましたから、検査してたらキリがない」
 女の脚はあざだらけだった。耳たぶは潰れていて、指も何本か奇妙な方向にねじれている……つまり、典型的なベテラン兵士だった。それも長く軍曹をやっていたようなタイプだ。

 無意識に肩を揉んでいた。私も似たようなものかもしれない。
「それで、どうなったんですか」
 大島が居心地悪そうに頬をさすって言った。
「そこで終わりです」医者はソファに座り直した。
「終わり? 何が?」
「だから、捜査の全部です。PTSDによる自殺と分かったので、遺族もひとつ上の等級の恩給を申請して受理されました。私は次のホトケさんを腑分けしに行って、この女性も煙か土か食い物のどれかになったことでしょう」
 医者は毛むくじゃらの手を合わせて、親指をぐるぐると回した。
「なにぶん一日に十五人はホトケさんが担ぎ込まれてくる時代でしたので。自殺の可能性があるなら、それで片付けてました。リソースの配分の問題です。仕方が無かった」
「その放置された銃で少なくとも二人が死んだのですが」
「ええ、私は間違ってました」医者は微笑んだままうなずいた。「だが、あの時点の私は最善を尽くし、正しかった。そこが重要なのです」

 それから資料を撮っているあいだに面会の時間が終わり、にきび面の医学生が呼びに来た。
「すまないね」と医者は私たちを見ながら言った。大島が最後の写真を撮り終えると、医学生がさっさと持ち出して行った。
 病院の受付に面会の終了を告げ、駐車場のクラウンに入るなり大島が荒い息を吐く。

「ふざけやがる」
 こいつが毒づける男だったとは意外だ。
「壊れた兵隊の待遇としては上出来だよ」
「こんな程度で納得できると?」
「そ」私は唇の端で笑った。「こんな程度で」
 大島はデジタルカメラの写真を確かめて、ぶつぶつと呟いた。フロントウィンドウの向こう側ではストレッチャが検体を載せて走っていた。ボディバッグの中身はどこかのドナーかもしれないし、はたまたどこかの変死体かもしれない。あれもさっきの女性と同じように検査されて、また私たちのような誰かがファイルのコピーをカメラで撮るのだろう。
 かくして地球は今日も回る。

 実のところ、百人死のうが千人死のうが戦場の外側は大して変わっていなかった。じつのところ世の中なんて、半分はどうでもいいことで出来ていて、残りの半分だってよくよく考えたらどうでもいいことで出来ているのだ。私の腹に新しくできた風穴だって、自分にとってすら「今のところは考慮に値する」という程度のことだ。
 大島は窓を開けて、空を見た。今日はどこを見てもしばらく雨とは無縁の快晴のはず。
「……ああくそ、世界は広いな!」
 彼は頭を引っ込ませて窓を閉じると、ギアをドライヴに入れた。

 再建された浅草寺に立ち寄って、ふたりでチェーン店の立ち食い蕎麦をすすっていると、壁に掛けられたテレビが昼のニュースを流し始めた。先日の発砲事件のことで、貧相な顔をした中年のキャスタが故人の孤独を粛々と述べていた。
「あなたも同僚には思うところがあるんですか」
 大島が七味をかけながら言った。
「ん?」
「記録、見たんです。早撃ちの名手だって。なんで銃を持たないんですか」
「ああ、昔の話ね」
 私はわざと笑って、お冷を入れ直した。
「分かんないな。今はヒトを見たとき、撃つって選択肢が浮かばなくなってる。だから、殺す意味というか、今さら身を守るために動く意味を探しても仕方ないじゃん?」
「携行許可は出てるのに?」
「別に人ひとりブチ殺すのに銃は要らないよ。ナイフ、洗剤、石だって。殺す気があれば何でも凶器にできる。で、殴るにしろ撃つにしろ動機の問題が大きいわけでさ……」
 言ううちにずきずきと脇腹が痛んだ。左手で押さえると、義手の関節が鳴った。

 毛糸玉みたいになって死んだ福江敦人を思い出した。
 彼は順応しようとしていた。私は、撃てるかも分からないのに、どこか自分の不在を感じている。ここに居場所はない、と信じたがっている。
「戦場だったら撃ってた。敵を殺す理由もあるし、味方のために殺されない理由もある」
 無理やり氷を噛み砕くうちに痛みが引いてきた。
 空になったどんぶりを前に、大島が食い終わるのを待っていると、軍人くずれの男が店に入ってきた。彼は券売機が吐き出した紙切れを店員に渡すと、窮屈そうに開襟シャツを整えながら席に着いた。ぼうっとテレビを眺めていたが、その様子も他に視線を向ける方向が無いという感じで、しきりに片手で鼻をこすっていた。
「あの人も知り合いですか」
 大島が耳打ちしてくる。こっちは食い終わったらしい。いや、と応えて私は席を立った。

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