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戦場痕 2-4

 大島とは駅前で別れた。自宅に戻ってひと風呂浴びるらしい。
 私は駅前のパブで一杯ひっかけることにした。
 路上駐車したクルマを見てマスターは嫌な顔をしたが、私が義手を見せてやると、しぶしぶビールを出してくれた。
「パクられてもウチの名前は出すなよ」
「その程度の義理はあるよ」
 大島が戻ってくる前に、もうひとり訪ねることにした。
 殺しのことなら詳しいやつがいる。
 電話を入れる前に、ひと息つく。顔の見えない会話は、どうしても部隊間の通信を思い出してしまう。

 戦争は強い目的性を持つ。
 この場合の目的というのは、前線の兵士にとって……航空機で蒔き、砲兵で耕し、歩兵で刈り取るという収穫作業だ。政治家にとっては相手の首脳にサインさせること。国民にとっては、新聞かテレビから「終わりました」という言質を取ること。
 あの戦争は平時とは異なる繋がりを作った。そして戦争が終わり、私たちはひっくり返した磁石みたいに離れて行った。

 あの日々を忘れたわけじゃない。
 彼らが私に与えた下士官という退役時の階級、徴員された少年兵という悲劇的な経歴、そして他人を不快にさせない程度に整った顔のおかげで、いつでも通用する「物語」を持てた。

 戦後数年を、私たちは被害者として過ごした。次の十二年は国境不確定地域の侵略者として働き、今は戦場という枠から外れて、急速に変わるこの世界を少し外側から眺めている。

 古い偕行社にメモされた連絡先に電話を入れると、前と同じ綱島の商店街の住所を教えられた。
「あたしだけど、ちょっと寄っていい?」
 インターホンでぼろアパルトマンの二階の角部屋を呼び出す。まもなく返事も無しにエントランスの自動ドアが開いた。
 あの男は部屋の前で待っていた。服はぼろぼろのシャツとカーゴパンツに、派手なライトブルーのハンティングジャケット。私の顔を見て、「変わんねえな」と呟いてドアを開ける。
「入れよ。どうせ長くなるんだろ」
「分かってるじゃん」

 ごちゃつくのが嫌いな彼らしく、リビングルームの調度品はガンロッカーとテレビ、本棚と寝袋がそれぞれひとつっきりだった。壁際のスペースには整備中のアリサカ銃とミロクの散弾銃が並んで寄りかかっていて、ふたつの銃口を渡すようにハンチング帽が引っかけてあった。
「三八式の弾なんてあるの?」
 と言いながらいつもの場所からドリップコーヒーを取り出して、ふたつのマグカップにセットする。この人は単純だから、私もすっかり食器の配置を覚えてしまった。

「六・五ミリならスウェーデンが出してる。すぐケースがぷっくり膨れるきらいがあるが、悪くない」
「こないだレミントンが出したショットガンはどうだった」
「防寒手袋だと右手が窮屈だった」彼はどっかりと床に腰を下ろして、アイコスをくわえた。「それにレールならモスバーグにも付く。しばらく様子見だな」
 私がマグカップを持っていくと、彼は軽く頭を下げてひとつ取った。
 彼が言うに、シカは逃げるがイノシシは向かってくるらしい。イノシシどもは根っからの兵隊だ、と冗談みたいによく言っていた。罠で動きを止めないと俺が死ぬ、と。

 冷蔵庫には枝肉から削いだ牡丹肉が小分けになって入っていた。要るか? と彼が言うので、お任せしますと返したら粕漬けにしたやつを野菜と一緒に焼いてくれた。
「器用なもの食べてるじゃんか」
「来客用だ」彼はにやりと笑った。「いい歳こいて、レトルトカレーひとつこさえるのにも苦労しているやつが知り合いにいるんでね」
「その人に頼めば晩飯にぴったりのボルドーが付くかもよ」
「アイニクだが借りは作らんことにしている。人生がややこしくなる原因だ」
 彼は紙皿から肉をつまんで言った。
 食事が終わってゴミをまとめて包んで捨ててから、彼はテレビを点けた。ニュースではちょうど港での事件をやっていて、テロップにはバラバラ殺人事件と書いてあった。

「シゲさんから聞いたよ。警察に協力してるんだってな」
 彼は取り出したアリサカにグリースを差しながら言った。テレビで素人のコメンテータたちがめいめいに鳴き声を立てるのがいいBGMになっていた。
「ただのお飾りだよ。連中、『正義側のRAM』が欲しいんでしょ」
「まあな」彼は鼻を鳴らし、「相対的に犯人は『悪いRAM』で、自分のストレスで狂った野郎だ。別に画面の前のみなさまには関係ないから忘れてくださいってな。で、報酬は?」
「悪くなかった」
 私は控えめに言った。「馬賊を撃ち殺すよりは安いけど」
「ああ、やつらにも人権ってやつが認められたんだっけか」
「戸籍と住民票ね?」
「自分の名前も書けねえ連中が、今さら日本人ヅラしたところで生きてけるのかねえ」
 と、彼は黒々とした銃身をウェスで磨きながらぼやく。

「そりゃ政府も多少はバラ撒いたさ。でも肉ばっかりやったところで、シメ方も知らねえやつはいつになっても自活できん。人文系の連中を無人島に放り出すようなもんだ」
 そこまで言って、彼は笑う私に気が付いて「なんだよ」と口を尖らせた。
「ん、相変わらず学問モドキが大好きなんだなって」
「俺はそこいらの連中よりは大衆派なだけだぞ?」
「キミの言う大衆って、更新世とかの地層(レベル)じゃない?」
「おまえには悪いが、俺はご立派なホモサピエンスだ。仕事でときどき千葉県(チバニアン)には行くがな」
 彼は口をへの字に曲げて笑いながら、最後に照準器を畳んだ。
 戦場にいたときは知らなかったが、この人は、こういう分かりにくいギャグが好きらしい。

 食後のやり取りを終えて、私はシャワーを浴びたあとで資料を取り出した。古い義手のせいでページをめくるのに苦労していたら、彼がやって来て床に並べてくれた。
「平塚か」
 彼はリストをめくって顔をしかめた。「ああ、福江の野郎か。二〇万円ほど貸しがあった」
「殺したやつも自殺したよ。あたしを撃って」
「最期までツイてねえな、こいつ。退役したときは砲弾症でガタガタだったぞ」
「所属は?」
「普通科だな……俺たちの時代でいう歩兵連隊だ。第一中隊の下っ端だった」
「本部付は知らないなあ」
 私は捜索連隊。偵察任務のたび使い潰されるやつだ。
「おまえな、もうちょっと知り合いを大事にしろよ」
 彼は苦笑しながら他のリストに目を通していった。
 バラバラにされた福江の写真を見たときだけ、彼は「ほう」と言った。これが頭を吹き飛ばされた子供でも彼は「ほう」と言っただろうし、ギーガーのエイリアンでも「ほう」と言っただろう。

「たしかに軍人だな。正規の訓練を受けたやり口だ」
「どちらも殺したあと何十回も刺してる。表も裏も満遍なくね」
「じゃあ恨みつらみじゃねえな。殺した相手をお好み焼きみたいに何度もひっくり返すのは頭の冷えた野郎がやることだ。二回目なんて悠長に手足をギコギコやってやがる」
「……ねえ」
 私はタオルを首にかけ直して言った。「これ、ふたりでやってない?」

 彼がまばたきをする。そっと、私は写真に写った黒い銃創をなぞった。
「身体はめたくそに刺してるけどさ、切り落とした手足にはノータッチ。胴体を隠す段になって、急に思い出したみたいに刺し始めてる」
「捜査の撹乱ってやつか?」
「撃った野郎は職業人(スマート)だった。本気の殺しには密室も凝ったトリックも要らないって知ってる」
 彼はなるほどな、と言って食後のつまみを取りに行った。
 その後はふたりでビールを空けて、バカみたいに騒いでいるうちに夜が明けた。
 彼と別れてから、私は駐車場に行く前にコンビニでエナジードリンクを買った。千円札で支払って、釣り銭はレジ横の募金箱にぶち込んだ。名前も知らない国の子供たちに井戸を掘ってやるらしい。肉を与えるよりはよっぽど明日のためになると思った。

 適当に手に取った週刊誌には、RAMが撃たれたニュースが載っていた。
 腹に風穴を空けられた女と、先日殺された福江敦人を結びつけるやつはいないだろう。もう、今の世界は繋がりを見つけなくても生きられるのだから。


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