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戦場痕 2-3

 私が自販機からコーヒーを買っていくと、大島は受け取るなり仏頂面でベンチに腰かけた。
「てんでダメでした」
「ん、良い線行ってたよ。サボらなきゃすぐ上達する」
「でもあなたの時代と違って、今は射撃も趣味なんですよ」
 私がわざと選んでやったブラックコーヒーに、彼はさらに渋い顔になった。

「撃てなくても死にはしないんだ。こっから上手くなるには理由が無さ過ぎる」
 私にコーヒーを突き返すと、彼は代金の支払いに行った。私はひと口だけ減ったコーヒーの缶をすすりながら、ちらりと置きっぱなしにしていたフリーダムを見た。

 私が初めて撃ったのは十六歳のときで、相手はアジア系の男だった。
 夜の歩哨に立っていると乾いた銃声がして、すぐ隣の柵にチンと青火が散った。横で班の兵長が撃ち返すので、私も夢中で同じ向きにライフルを撃ちまくった。弾が切れたときには向こうからの銃声も途切れていて、翌朝、見に行くと右手のもげた男が倒れていた。

 いつもそんな感じだった。
 戦いは漠然と敵の頭部のある位置に撃って、なんとなく当たって、私じゃない誰かの死体をひとつこさえるというだけだった。たぶん相手も同じだったはずだ。お互いにコインを投げ合って、私の方が少しばかりラッキーだったという以上のことはなかった。

 シューティングレンジを出て、私がGクラスの運転席で義手のテンションを直すあいだ、大島は火を点けていないピースをくわえたまま、ずっと窓の外を見ていた。
「運転、あなたがやってみる?」
 と言って、柔らかくした両手を曲げる。大島は煙を吐くようにため息をついた。
「シフトチェンジは左手でやりたいって趣味なので」
「そ」
 私がエアコンを強くすると、彼もやっと頭を引っ込めた。のろのろと首都高へと上がるあいだに、彼は湿気たピースを手提げのトランクに放り込み、私はオーディオから流すアルバムをミスター・ビッグから中古店で適当に買ったレッパラに替えた。
「あなたも殺すなら滅多刺しにするんですか」
 短いシャウトとともに四曲目が始まったとき、大島がトランクを抱えたまま言った。
「なんで?」私は手のひらでリズムを取った。
「あなたの方がRAMに詳しい」と彼は呟くように、「で、やっぱり理由があったら同じことをするんですか」
「あたしは分別を持ってるつもりだよ」
「元軍医にカウンセリングを受けていると聞きました」
 へえ、と返す。大島はリクライニングを少し下げて、爪を噛んだ。
「たまに、昔のあなたが見えるんです。目を合わせると、いつも私を撃ち殺したそうにしている。でも、ああいうのが本来のあなただったんでしょう?」
「昔はね。今は平和なんだよ」
「平和なんて、しょせん次の戦争までの騙し合いでしょうが」
 大島を見ると、噛み千切った爪を手のひらに吐き出すところだった。

「それ、本音?」私は尋ねた。
「さてね。でも僕としては、あなたには使い道があると思ってます」
「都合のいい話……」
「僕だって身体検査前に醤油を飲み干したクチです。使えるものはすべて使いますよ」
 開けた窓から大島が爪を捨てる。飛び込んできた熱気が顔を撫ぜたとき、自分が笑っていることに気が付いた。左手を頬に当てると、つり上がった唇に義手が引っかかった。
「使い道、ね」

 なんだか懐かしく感じる言葉だった。昔の私はちゃんと身体を「使えた」のに、今は私と関係のないところで回る世界に、上手く乗ることもできずもみくちゃにされている。
 ――この人には、まだ私が有能に見えるんだな。
 そう思った途端、胸のあたりで何かが燃える感覚があった。焼け付くほど喉が痛くなり、何度か空咳をうった。そうしながら、この感覚を不快に思わない自分に気付いた。

 この男は死を身近に思う程度の感性を持っている。
 平和な時代で、死は自分の事にはなり得ないのに。
 テレビを点ければ連日たかが他人の死体のことで騒ぎ回し、元・娘や元・息子の不在に泣く他人の醜い顔が視聴率のために繰り返し放映されている。
 戦争が遠のき、私たちという娯楽はすっかり過去の遺物になってしまった。
 たぶん、私はずっと怒っているのだろうと思う。生の感情を表現することのくだらなさを知っているから、ただ出力しないだけで。

 ときどき、ひどく私がおばあちゃんになった気分になる。私が戦地で防弾壁の代わりに死体を積み上げるあいだ、テレビから戦場を覗く彼らは何もしなくても死ななかったし、砲弾の破片でずる剥けになった自分の死体を想像することもなかった。

 ずる剥け――そこまで考えて、あごに手を当てる。
 何かがおかしい。
 ずっと見落としていることがある。
「どうされましたか」
 隣で欠伸をする大島に、なんでもないと返して空調の風量を少し落とす。 
 どうやら、私にも首を突っ込む理由ができたらしい。


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