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戦場痕 1-3

 次に目が醒めたときには、ICUのベッドの上だった。
 カーテン越しにどこかの家族が話し合う声や、廊下で看護師がストレッチャを転がす音が聞こえた。隣のベッドには老人が寝ているらしく、家族が呼びかける声が聞こえる。
 逆側に目を向けると大島がパイプ椅子に座っていて、少し分厚くなったファイルを億劫そうにめくっていた。

「おはよう」
 と私が言うと、彼はファイルを取り落とした。
「あ、失礼……」
「きみは見舞いに来ないタイプだと思ってた」
「それも一瞬だけ考えたのですが」
 大島はばらばらになったA4用紙を抱えて、息をつく。「僕が見てないところでまた動かれると、それはそれで面倒ごとが増えるもので。RAM同士で揉め事ですか」
「ベビーピストルだった。あれってショボくてさ……」
「馬賊くずれですか? それとも工作員?」
「いや、RAMで合ってる。小口径の扱いに慣れてなかった」
 大島が眉を上げた。やっと私が福江と知り合いだったことに気付いてくれたらしい。
 そっと、指で唇に触れる。だいたい撃たれたあとは脂と血でべったりとしているものだったが、今回はきれいに清められていた。渇きを紙コップの水で潤しながら、撃ってきた男の能面みたいな無表情を思い出そうとした。

 あの男も、三沢のところでカウンセリングを受けていた患者だ。彼の処方箋は拳銃だったらしい。
「あなたは赤くないんですね、血」
 大島はファイルをトランクに突っ込んで言った。病衣をめくると、腹の包帯にピンクの染みができていた。ずいぶん荒っぽく縫われていて、動くだけで皮膚が引きつった。
「ん、キール・ブラッド。赤い血に白いプラスチックを混ぜるから……」
「医者がびっくりしてましたよ。腹の中が規格違いの人工臓器ばっかりでほとんど廃車みたいなもんだって。そんなに下士官くずれって余裕がないんですか」
「手術した場所は整備工場のガレージだった」
 私はコップをベッドサイドテーブルに戻して、目を閉じた。「パーツが足りなくて、裏に捨てられてる死体から抜いた人工臓器を詰めたって聞いてる」
「学徒兵だからですか?」
「生き残ったからだよ。あたしだけ。幸運だったの」
 唯一の病院は爆撃されて土台しか残ってなかった。どうにか逃れた看護師が持っていた免疫抑制剤もすべて私に使われた。あのときはみんな必死だった。
「ほんと、幸運だったんだ」
 義手を持ち上げる。
 シリコンの外皮に熱は無く、フレームの動きは不自然にぎこちない。

 大島は黙っていたが、おもむろに席を立ち、しばらくすると私の服をジップロックに詰めて戻ってきた。ジャケットが汗をよく吸っていて、持つと重さで肘がシーツに沈んだ。
「自前の銃じゃありませんでした。誰かが渡したみたいです」
 大島は頬骨をなぞりながら言った。
「だろうね」
「あなたの経験が必要です。次の事件が起きる前に」
「ん、あたしを撃った野郎の所属は?」
「第一中隊の一等兵でした。今は墨田区にあるバラックで暮らしてたって話ですが……」
 日雇い暮らしだ。さぞ福江が羨ましかっただろう。
「ちょっと一ヶ所、寄りたい。今から退院できるかな」
「医者なら説得しますが、大丈夫なんですか」
 私は唇を曲げて、腹をさすった。「私が動いた方が向こうもボロを出す。でしょ?」

 久しぶりに見たあの男は水色のヘルメットを被っていた。
 名前は変わっていたが、固太りした身体とごましお頭は相変わらず。配管工みたいなオーヴァオールの上に土産物屋で売ってるような安物のミリタリジャケットを羽織っていた。
 アポを入れたときから不機嫌そうな声だったが、事務所に近寄る私を見るといよいよ露骨に嫌そうな顔に変わった。
「元WACが来るってんでめかし込んじまったが」とスチール製の長机をひっぱたく。「あんただと分かってたら塩を用意してた。ずいぶん元気にしてるじゃないか」
「一挺、見てもらいたいの」
 机のプレートには石見正二(いわみ しょうじ)と彫ってあった。バラック小屋のクリーム色の壁には作業責任者やら業務委託契約やらのあれこれが貼り付けてあって、その隣で丸時計がチクタクと鳴っていた。
「ああ、ニュースで騒ぎになっていた。馬賊くずれのRAMが、今度は警察ごっこかい」
 石見は鼻を鳴らした。
「どうせ殴って手に入れたニューナンブだろ。それともお決まりのコルトか?」
「ベビーピストルね」
「朝鮮か。つまらん」石見はまた鼻を鳴らし、「メリケンサックみたいに押し付けながら撃って、やっと殺せる古物だ。引き金の軽さくらいしか取り柄がない」
「所有者は元RAMで、三発撃たれた」
「で、やっぱりおまえさんはピンピンしてやがるんだな」
 警察から借りてきたベビーピストルを私がデスクに置くと、石見は眼鏡をかけてつまんだ。銃口を下に向けて、セイフティを押し下げるなりしかめ面になる。
「真面目に整備してないな。素人がガワを磨いただけか」
 トリガを引きながらマガジンを取り出し、ネジ山を切られた銃口をいじってスライドを外していく。すぐ隣で音がしたので見ると、大島が棚の写真立てを持ち上げていた。
「ヤミで商売していたころの仲間だ」
 石見が顔も上げずに言う。大島が振り向いた。
「はい?」
「戦後しばらくまで酒保商だったんだ」
 と、石見はあごからひげを一本抜いて、捨てた。「部隊丸ごと消滅するのがザラだったんでな。W54って知ってるか? 歩兵用の核弾頭なんだが……そんなわけで終わってみれば、ほったらかしの戦車にライフルだろ、迫撃砲、あと薬。片端から拾って売ってた。でもいつも売れたのは糧食(レーション)だな。日本のは美味いって評判だった」
「横流ししてたんですか?」
「ああ。馬賊と軍隊だけが戦場に居たわけじゃないからな」
 石見は鍵のような形のマガジンキャッチを置いて、ハンカチで手を拭いた。

「その土地で三年も総力戦をやりゃ、学生なんてみんな絶滅しちまう。そういう真っ直ぐ線も引けねえようなガキどもが、今も死んだ兵隊から取った腕時計と交換しに来やがる」
「我々は教育支援もしてますが……」
「その支援とやらの存在すら、あいつらは知らんよ。官報もチラシも届かん地域だ」
 そこまで言って、石見は私をちらりと見た。「こいつのサプレッサはどうした」
「初めから無かった。どこのものか分かる?」
「ベースはFNの純正品だが、グリップだけカスタムされてる。クラウンも知らん切り方だ。そっちから洗えばどこで拾った鉄砲か分かるかもしれん……明日の夕方まで預かってもいいか?」
 私が大島を見ると、彼は軽くうなずいた。「警察には専門家に意見を聞くと言ってます」

 委託書だけ用意して事務所から出ると、プロッダを提げた国軍の男とすれ違った。ダウジングが終わったところらしく、泥まみれの顔で会釈してきた。作業場のゲートでは地雷探知犬が昼寝していて、その隣でバディの若者が現場監督と午後の予定を確認している。
「汚い、って思ってる。違う?」
 煙缶が置かれた簡易休憩所で、持ってきた茶のボトルを大島に押し付ける。彼は頬をさすりながら、「まあ、はい」と小さく言った。
「さっきの写真、あなたも闇市で働いていたので?」
「昔の話だよ。あたしは若かったし、世間はずっと厳しかった」
「変わりましたね」
「ん、もう七年だもんね」
「いえ、あなたが変わったんだと」
 大島がボトルを下ろす。ぽたぽたと飲み差しの中身が水たまりを作った。
「……そうかな」
 そのときどこかで携帯電話が鳴った。
「はい。復興局です」
 大島がダルそうに取り出して応答する。「あ、大島です。すみません。いえ、はい……」
 はいと言うたびに高くなる彼の声を聞きながら、私は茶を口に含み、濃い苦味についむせた。昔はこれも飲めた気がするのに、こんなにも私の身体は老け込んでしまった。

 確かに、変わってしまったのかもしれない。

 電話を切ると、大島は胸ポケットからピースを取り出した。栄転の話じゃないことは顔を見れば分かった。いつもより速いペースですぱすぱとやって、残り半分ほどになると、いちど短く吸って刻みを赤くした。
「あたしたちの案件?」
 大島は煙を吐いてうなずいた。
「また犠牲者が見つかったそうです。今度は浅草ですよ」


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