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「スペ(自閉スペクトラム症)」の大流行から考える、人が、社会が、麻痺する構造。

なぜ「ヘラルボニー」という会社を経営しているのか。

ぼんやりと考えていたときに、中学校時代の嫌な記憶が蘇ってきて「これはメモメモ」と思い、先ほどツイートした。

そう、そうなのである。中学校時代、
「スペ(自閉スペクトラム症の略称)」
が大流行したのだ。それは自閉症スペクトラムを省略した蔑称だ。私たち双子の4歳上の兄はまさに「スペ(自閉スペクトラム症の略称)」と定義される存在なのである。

福祉に関わることに積極的な家族だった。小学校時代、休みの日には決まって、福祉関係の集まりに参加したこともあり、障害を理由に差別的な言動をとらないことは当たり前のことだと思って育ってきた。

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よって、さまざまな小学校が一気に合流する中学校に進学すると、周囲の「人との違い」を馬鹿にする文化に大きく戸惑った。

「スペ」は、瞬く間に広がりを見せ、中学校内で有名な言葉となった。勉強ができないと知ると、スポーツができないと知ると、笑わせようと変顔を試みる人にすらも、

「お前、スペかよ (笑)」

という言葉が浴びせられた。何かミスが起きるたび、そんな言葉が教室中で飛び交い続ける。尋常ではないくらいの大流行だった。中学に流行語大賞が存在するのならば、2005年(当時中学3年生)の大賞を受賞したであろう。

4歳上の兄がまさに「自閉症」だった私たち双子は、「スペ」を絶対に使わないようにしようと流行しはじめた瞬間、心に硬く誓った。

あの日、僕たち双子は兄の存在を隠した。

その代わり、「自分には自閉症の兄がいる」という事実すらも切り出すことができなくなった。

「うわあ、スペの兄弟なんだ」

と馬鹿にされることがとにかく怖かった。「スペが大流行する中学校という社会」に置いて、自分の存在を守る必要がある。

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そう感じた自分たちは、率先して「スペ」を使い続ける友人たちに迎合するという選択をした。いま思い返すと、彼ら自身も、離婚していたり、実は貧乏だったり、いま思うと何かしら心に大きな溝を抱えて生きていたように思う。校内では有名な典型的な不良グループであった。

そこから自分たちの生活も一変した。夜中に家を抜けだし夜遊びをしたり、安全ピンでピアスを開けたり、髪を染めたり、「仲間として迎合する」ことで学校内での存在価値を発揮し、イジメの対象になることを徹底的に避けた。迎合する作戦は成功したと言える。

しかし、ひとつ難点があった。

仲間になったとしても「スペ」の流行が消えることはなかったのだ。

人間というものは恐ろしいもので、「スペ」と聞いて最初は憤慨していた自分も、「兄貴のことを直接バカにされている訳ではないから大丈夫だ」と存在をシフトできるようになった。

終いには、自分も心を無にしながらヘラヘラと「スペ」という言葉で笑うようになった。ほんとうに、恐ろしいことである。

誰一人として「麻痺」させてはいけない。

こうして私たちは大人になり、4歳上の兄が自由帳に残した謎の言葉「ヘラルボニー」を会社名にして活動するに至った。中学校時代の葛藤について記したメディア記事を読んだ母親から、突然ラインが届いたことがある。

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最近気づいたことがある。あいつとは違う、こいつとは仲間、という「敵対構造」そのものが結束力を高めるのだ。昨今の異常なまでのネット攻撃や、人を裁く風潮そのものは、リアルで起きている中学時代の構造と驚くほどに一致している。

中学時代に自分は「麻痺」した。

最初は憤っていたにも関わらず、迎合して仲間になって、人を一緒になって馬鹿にした。心を無にして「スペ」を扱えるようになった。(身体障害=しんしょう|もあったことを思い出した)

これは自分だけの問題では決してない。当時の自分のような人が間違いなく全国にいるはずだ。それも何人も、何百人も、何万人といるかもしれない。

人を総称して攻撃すること、本人は「笑い」と捉えているかもしれない。でも、その先で笑っている人の奥には、心では笑えていない人がいるかもしれない。

誰一人として「麻痺」することのない社会になると良い。それは、ヘラルボニーがこの社会に存在する大きな理由でもある。


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