見出し画像

007那由多 第四章「You Complete Me」

主なキャラクター

008 洛叉 v2
007 那由多 v1

イメージボード

植物園 遺伝子操作された彼岸花の丘 1
植物園 遺伝子操作された彼岸花の丘 2

目次

第一章 「ドブネズミ」
第二章 「狐面」
第三章「怪物」
第四章「You Complete Me」
第五章「Tangsten Lycoris」

第四章「You Complete Me」

 ビジネスホテルの狭い一室。
 那由多はその日の夜、長期の仕事が出来たと言って洛叉に連絡した。
 流石に今の動揺した状態で帰ったら洛叉に心配かけてしまう。
 任務で数日間留守にすることは諜報部隊ではよくある事だ。
 洛叉はとても残念がっていた。
「早く帰って来てね。」
「…うん分かったわ。」
「毎日連絡してね。」
「えぇ?
 毎日?」
「当たり前でしょ?心配じゃない。」
「ん〜…
 洛叉寝てるかもしれないからメッセージしとくね。」
 「1000文字以上のレポート形式でお願いね!」
「出来るわけ無いでしょw」
 通信の向こうで洛叉はコロコロと笑っていた。
 暫く他愛もない話をして2人は通話を切った。
「洛叉…」
 胸がチクリと傷んだ。
 仕方ないこれも仕事だ。

 洛叉はまだ諜報部隊に疑われてる事は気づいていない。
 いや、そもそもまだ彼女が犯人とは決まっていない。
 もとより彼女はハッカーではないのだ。
 まずは自分の元担当医、紫苑を調査しよう。
 今もサイボーグ病棟で働いているとの報告だ。
 那由多は個人の電脳にハッキング出来るほどのスキルは持ち合わせていない。
 ただ諜報部隊として会社のありとあらゆる端末にアクセス可能な権限を有していた。
 アナログだが直接彼女の端末にアクセスして調べよう。
 丁度いまは真夜中。
 病院も殆ど人がいない筈だ。

 権限を行使して裏門の鍵を解除。
 病院内に侵入。
 衛星とリンクし、看護師達の行動を回避しながら目的地である紫苑の診察所に向かう。
 薄暗い通路。
 病院内は静まり返っていて誰もいない。
 目的地にたどり着いた。
 念の為ドアをスキャンし罠が仕掛けてないかチェック。
 反応無し。
 室内に侵入。
 雑多に積み上げられたカルテや専門書が所狭しと机や床に積み上げられている。
 義手、義足、目玉などのサイボーグパーツが無造作に棚に置かれていた。
 最早魔女の部屋だなと苦笑しながら特権を使用してPCのスリープモードを解除。
 例のバッチが仕掛けられていたプログラマーの名前で全検索をかける。
 彼のカルテは苦労する事なくすんなりと見つかった。
 カルテにはどの部分をどんなパーツでサイボーグ化したか詳細に記載されていた。
 サイボーグ化の際にインストールした各種ドライバーや、ミドルウェアなども記載されている。
 患者の性格、容姿、背景、サイボーグ化手術の経過観察など、几帳面に記載されていた。
 一通りカルテやその周辺の資料を読み漁ったが、局長である焔が言うようなDIDに紐付いて起動するバッチに関しては見つからず。
 彼だけでなく、問題のバッチがインストールされている患者のカルテをいくつか覗いたが特に変な箇所は見当たらなかった。
「ふむ…」
 ふと思い立って自分のカルテ…バッチがインストールされていない患者のカルテを開く。
 読み進めていくうちに凄惨な過去の記憶が甦り、吐き気を催した那由多は一旦カルテを閉じようとした。
 その時、画面右下の端に赤黒い小さなにじみがある事に気がついた。
 病院の古い型のPCだ。
 スクリーンのLEDが壊れてるのかと思った。
 が、那由多以外の患者のカルテにはそんな物は表示されてなかった。
 にじみ…とおぼしき箇所をクリックする。
 突然、画面が黒く塗り変わり赤文字で大量のリストが表示された。
 時々グリッチで画面が乱れる。
 明らかに病院のシステムではない何処かにアクセスしている。
 急いで通信に介入。
 アクセスポイントを探りながらリストを詳しく見る。
 日付、人名、配列化された数値、そしてハッシュ値のリストが大量に表示されていた。
 全てバッチが仕組まれている人名。
 相当量のリストだ。
 急いで自分のストレージにコピーを開始。
 通知音。
 アクセスポイントが発覚した。
 それを見て那由多は驚愕した。
「合衆帝国諜報局…!」
 呟いた直後、外で筒から何かが飛び出る音がした。
 脊髄反応で心拍数を最大に引き上げる。
 それと同時にガラス窓を割ってグレネード弾2発が侵入してきた。
 撃ち落とすには時すでに遅し。
 咄嗟に座っていた椅子からずり落ちながら、PCが置いてあるデスクをグレネード弾の方に倒して盾にする。
 直後床に着弾。
 大爆発を起こした。
 ガラス片や壁のコンクリート等が散弾銃の弾丸の様に那由多に向かって飛んでくる。
 倒した机で大半は防ぐ事ができたが、幾つかは机を貫通して那由多の腕や太ももに突き刺さった。
「クッ!」
 大丈夫。致命傷にはなっていない。
 相手は2発撃って那由多を倒し損ねた。
 逃亡を図るはずだ。
 軌道から発射位置を割り出す。
 道を隔てた隣ビル屋上。
 衛星とリンクし、隣ビルの屋上の熱源を表示。
 一つ、高速で移動している物体を確認。
 非常音が鳴り響く中、外に飛び出し対象を追う。
 数少ない手がかりの一つ。
 逃すわけにはいかない。
 移動速度から考えて相手も人間ではないだろう。
 だが那由多の方が速い。
 夜の裏路地を高速移動する相手の背中が見えた。
 パーカーを着込んでおり顔は見えない。
 相手は走りながら銃口を後ろに向けて射撃してきた。
 那由多はそれを尽く撃ち落とした。
 足を狙い撃ちにする。
 金属が折れる音がして相手は転倒。
 那由多が追いつき相手の顔を確認しようと胸ぐらを掴んだ。
 パーカーのフードから見えた顔はロボットだった。
「!!
 アバター!」
 目が赤く光ると同時に悲鳴のようなアラート音が聞こえた。
 直後、大爆発を起こしてロボットは四散した。
 咄嗟に飛び退いた那由多は軽症で済んだが、隣のビルの薄いコンクリート壁をぶち破る位には吹き飛ばされた。
 今ので敵にも周知されたはず。
 紫苑や関係者は雲隠れするだろう。
 病院の端末も粉々だ。
 証拠が無くなってしまった…
 そこまで思って、ハッと顔を上げた。
「…洛叉…!」
 洛叉にも容疑がかかっている。
 もしも当事者である場合逃亡、もしくは拉致される可能性がある。
 那由多は急いで洛叉のマンションに向かった。
 夜の繁華街から一歩路地裏に入ると雰囲気は一転する。
 薄暗く、生ゴミの腐った臭いが充満している。
 見かけるのは浮浪者や薬中の娼婦、目つきの悪いチンピラ等マトモな人間はいない。
 小学生の頃那由多はそんな世界でサバイバルをしていた。
 そこから那由多を救い出してくれたのが洛叉。
 那由多にとって洛叉は命の恩人であり、救世主であり、そして憧れの存在。
 高速移動しながら那由多は焦っていた。
 洛叉に会った後、この状況をどう説明しよう…
 彼女が犯人ならこの先どうなってしまうのか…
 遠くから彼女と自分が暮らすマンションの30階を確認。
 電気は消えているようだ。
 もう既に深夜3時を回っている。
 普通に考えれば寝ているのだろう。
 マンション入り口に到達した際に自分の状態を確認。
 二度も爆発を至近距離で受けた為多少ガタがきている。
 駆動系も一部ワーニングが出ている…が、支障をきたす程では無い。ひと段落ついたらメンテに行かなければ。
 エレベーターに乗り込み30階に向かう。
 フロアには誰もいない。
 洛叉と那由多の部屋の扉に到達。
 トラップ等は仕掛けられていないようだ。
 鍵もしっかりかかっている。
 ホッと一安心。
 ドアノブに手をかけると指紋認証でカチリと鍵が解除された。
 洛叉の処遇を考えながらドアを開く。
 やはり1番いいのは局長に説明して、もしも帝国と関係があるならFloatingBits社に保護してもらった方がいいだろう。
 洛叉も脳以外義体化している。
 FloatingBits社のサポートが無ければ生きていけない。
 厳罰が予想されるが全て剥奪され死ぬよりはマシだ。
 真っ暗な中、洛叉の部屋へと向かう。
 ドア…にはトラップは無い…音を立てない様に開ける。
 洛叉は毛布1枚でスースーと寝息を立てていた。
 安堵のため息が出る。
 だがゆっくりはしてられない。
 すぐ確認をしなければ…
「洛叉…
 洛叉、起きて!」
 そう言って彼女の肩を揺らす。
「ん…
 んん〜…
 那由多〜?
  大好きぃ〜…」
 寝ぼけながら抱きついてくる。
 まったく、こっちは必死だってのに…
 ねむねむの洛叉をどうにか座らせながら那由多は続けた。
「洛叉聞いて。
 確認したい事があるの。
 …何か合衆帝国と関わりがあったりする?」
「ふわぁ…
 ん〜も〜何でそんな事聞くのぉ〜?
 うぅ…火薬臭い…
 シャワー浴びてきなさいよも〜…」
「洛叉、ちゃんと聞いて。
 大事な事なの。
 諜報部はあなたが合衆帝国と関係があるのではと疑ってるわ。
 さっき、紫苑の仕事場がPCもろとも爆発された。
 もしも関係がある場合洛叉にも危険がおよぶ可能性があるの。
 紫苑と何か取引きした?」
「…」
「洛叉…?」
 その瞬間、壁を突き破って弾丸が那由多の左太腿骨を粉砕した。
「あぅ…!!」
 痛覚センサーが遅れて作動する。
 立っていられなくなりベッドの側に倒れ込んだ。
 部屋の扉が勢いよく開き、2人組の黒尽くめのサイボーグが銃を構えて侵入してきた。
「!!」
 銃口が那由多に向けられる。
「待って!!」
 洛叉の叫び。
「!?」
 どう言う事?
 何で洛叉が…
 いやまて、悪漢が侵入してきた時点でやはり洛叉も関係者…?
「洛叉!?」
 那由多の問いには答えず、洛叉はゆっくりと立ち上がった。
 暗くて表情はよく見えない。
 那由多に近づくと洛叉は彼女をそっと抱きしめた。
「那由多、愛してる。
 私のあなたへの想いは変わらないわ。」
 そして耳元で囁いた。
「あなたの1番大事なものを壊して」
「洛叉…?
 一体何を…?」
 洛叉は立ち上がると黒尽くめ2人に連れられて部屋を出ていこうとした。
「さようなら、那由多…」
 部屋を出る直前洛叉は噛み締める様にそう呟いた。
「洛叉、行かないで!」
 悲痛な叫びと共に那由多は拳銃を構えた。
 が、洛叉は止まる事無く部屋を出て行った。
 ガラス窓が割れる音。
「くっ!」
 左足を引き摺りながら部屋から出ると、もう洛叉達の姿は見当たらなかった。
 真っ赤な朝焼けと共に強い風がリビングに吹き込んでくる。
 ずりずりと床にへたり込んだ。
 黒尽くめは合衆帝国のサイボーグで間違いない。
 あぁ洛叉どうして…
 何度か躊躇した後、ようやく焔に連絡し、現状報告を行うと疲れはてて眠りに落ちた。
 
 那由多は未明に爆発事件が起こった病院とは別のFloatingBits社御用達サイボーグ病棟に搬送された。
 その日はまる一日メンテで動けなかった。
 夜、病院のベッドで寝ていると焔から連絡があった。
「メンテご苦労。
 災難だったな。」
「すみません。
 目標を取り逃してしまいました。」
「…仕方ない。
 相手は国家だ。我々民間企業ではどうしようもない。」
「局長、例の…私の髪飾りはどうでしたか?」
 洛叉は那由多の1番大事なものを壊せと言った。
 洛叉にまつわるもの。
 おそらく7年前洛叉から譲り受けた髪飾りで間違いない。
 那由多は焔に今朝現状報告した際髪飾りを調べるように言っておいた。
「あぁ、調べさせてもらった。
 メッセージが書かれた紙切れと、超小型のスイッチの様なモノが入っていた。」
「…メッセージには何と?」
「『那由多へ』…それだけだ。
 スイッチはどうもお前のDIDに連動するものらしいが詳しくはまだ分からん。
 お前以外起動させられない。」 
「わかりました。
 明日退院なので手続きが終わったら向かいます。」
「わかった。
 デバイスの件は何が起こるか分からん。
 分析班に任せておけ。」
「…洛叉が私を害するはずありません。」
「…もう国外に逃亡しているかも知れん。」
「洛叉は何がしたいんでしょう…」
「…わからん。
 ただ、彼女がおそらく事件の中心だ。」
「…認めたくありません。」
「感情を挟むな。
 お前は諜報員だ。
 いいな。
 明日は長くなるぞ。
 もう寝ろ。」
 そう言うと焔は那由多の返事を待たずに通信を切ってしまった。
 洛叉は一体何者なのだろう。
 焔が言うように洛叉が今回の件に関わっている事は明白だ。
 それもかなり深く…
 信頼回復は難しいだろう。
 洛叉の義体はFloatingBits社製だ。
 脳以外サイボーグ化している。
 FloatingBits社がその気になれば簡単に機能停止出来る。
 それを実行しないのは漏洩バッチのカギを彼女が握っているからだ。
 その危険を冒してまでして彼女は何をしたかったのだろう…

 ガタンと音がして那由多の個室のドアが開いた。
 びっくりして音のした方を見る。
 もう真夜中。訪問者は居ないはずだ。
「…!」
 そこには傷だらけになって立っているのもやっとの紫苑がドアにもたれ掛かっていた。
 左肩から先がもぎ取られたようになくなっていて、機械の部分が時折火花を散らしている。
 紫苑も全身義体化サイボーグ。
 人間よりも性能がいいということで自ら選択してサイボーグ化していた。

 全身至る所に銃弾を受けていてボロ雑巾のようだ。
 幸い致命傷となる傷はないが、オイル漏れや出血が見られる。
 ズリズリと床にへたり込みながら紫苑は口を開いた。
「やぁ那由多くん。
 久しぶりだな。」
「紫苑さん??」
 ベッドから降りて紫苑に近づく。
「やれやれ…
 君、昨日の晩、私の端末から某サイトにアクセスしただろう。
 おかげでこっちは帝国の諜報部隊から逃げ回るハメになったよ。」
 紫苑は力無く笑った。
 義体の様子から見て動くのもやっとの状態だろう。
「あなたは一体…」
「私は医者兼フリーランスの情報屋だよ。
 情報を集め企業や国家に売り飛ばして小銭を稼いでいる。
 …今回はチョット油断してしまってね…」
「…油断…?」
 紫苑は皮肉な笑いを浮かべながら那由多の方を見た。
「洛叉だ。
 彼女を信用するなよ那由多くん」
「…どういうことですか?」
 平静を装って紫苑に問いかけた。
 それには答えず紫苑は続けた。
「散々迷惑かけておいてすまないが、保護をお願いしたい。
 合衆帝国だけではない。
 私の知っている限りの情報は話そう。」
「…さっきの、洛叉を信用するなとはどういう意味ですか?」
「彼女は合衆帝国のスパイだよ那由多くん。」
「!!」
 脳天に落雷を受けたような衝撃が走った。
「嘘…」
「確かに私も推測でしかないが…
 多分確定だ。
 私の端末にアクセスしたと言うことはあのリストが何なのか分かっているだろう。
 あのリストを生成するバッチプログラムは洛叉が作成した。
 そのプログラムからデータが送信され始めてすぐに帝国から私に接触があった。」
「ウソ…
 洛叉がスパイ…?
 そんな…」
 確かに、彼女が時折プログラムを組んでいた所は見た事がある。
 職業的にも違うしなぜなんだろうとは思っていた。
 ただ単に趣味かチョットした仕事の効率化かと思っていた。
「…すまないが早く移動させてもらえると嬉しいんだが。
 いつ奴らの追手に見つかるかわからんのでな。」
 紫苑が催促する。
 冷静を装ってはいるが相当あせっているがわかった。
 敵がすぐ近くに来ているのかもしれない。
「…わかりました。
 明日、局長と一緒に詳しくお話を伺います。」
 事務局に護送車を要請。
 待っている間に紫苑は当直の新米医師を呼び付け、応急処置をさせていた。
 ある程度紫苑の応急処置が終わった頃に護衛車が到着。
 とりあえず本社地下収容所に紫苑を閉じ込めておくように指示を出した。

ーー翌朝。
 那由多は医師の診断が終わると直ぐに退院届けを出し本社に向かった。
 まずは焔の部屋に向かい紫苑の事を話し、昨日地下収容所に向かう。
「あぁ諜報局長焔(ほむら)君、久しぶり。」
 紫苑は殺風景な6畳程の個室に閉じ込められていた。
「紫苑…」
 焔が一瞬眉をしかめたのを那由多は見逃さなかった。
「移動するぞ。」
 焔を初め、那由多、紫苑、警備員の全員で取調室の方に移動する。
「貴様が知っている事を洗いざらい吐け。」 
 焔の声は氷柱のように冷たかった。
 小さいテーブルを挟んで紫苑の前に座って腕を組む。
「いいとも。
 ただし条件がある。」
「…言ってみろ」
「脳と生身の保証。
 これらさえ約束してもらえば君達に協力しよう。」
「…例えそれらを保証したとしても犯罪者に自由はない。」
「構わないよ。
 むしろ野放しにされたら私は3日経たず殺されるだろう」
「…」
 この人は何人もの孤児達の肉体をNFT化したにも関わらず、自分の生身は大事なのか。
 洛叉も那由多自身も肉体はこの世に存在しない。
 紫苑によってサイボーグ化され、生身の部分はFloatingBits社管理の元NFT化され売却された。
 那由多に至っては、命の危機に面していた為仕方なかったものの、自分の意志による売却では無かった。
 那由多は紫苑に対する嫌悪感を抑えるので必死だった。
「…我々が必要な情報を全て得た後手続きをしよう。
 まずは貴様と洛叉の関係を話せ」
 焔が促す。
「承知の通り、洛叉がFloatingBitsに来た時に施術をしたのは私だ。
 彼女は浮浪児だった。
 君と同じだな、那由多君。
 だから境遇が同じ君に肩入れしたのだろう。」
「その時洛叉は既に合衆帝国のスパイだったのか?
 彼女が帝国の犬になったのはいつだ?」
「わからない。
 彼女はFloatingBitsに入る前にヤクザとの争いで妹と死別している。
 それが原因かどうかわからないが、入社直後は大分荒れていたな。
 犯罪まがいの事もしていた。
 彼女が入社して2、3年後、いくつかのDEXから暗号資産を盗み取る事に関与し成功したと聞いた。
 事実だとすると彼女のハッキング能力はかなりのもののはずだ。
 その時期に何か契約したのかもしれない。」
「…」
 洛叉が犯罪まがい?
 那由多の知っているみんなから慕われる聖女のような彼女とはあまりにもかけ離れていた。
 冗談にしては下手くそすぎる。
 とすると事実なのだろうか…
「推測するに、FloatingBits入社後ハッキングの腕前を上げて、自ら志願したのか、スカウトされたのかは不明だが合衆帝国のスパイとして活動を始めたのだろう」
「貴様とスパイとしての洛叉の接点を教えろ」
「…既に那由多君から聞いていると思うが私は野良の情報屋でね。
 彼女との取引きは何度もある。
 彼女の元担当医という事もあり腐れ縁だな。
 那由多君のサイボーグ化施術と引き換えに、半ば強引に長期的情報の提供を要請した。
 だが結果はこのザマだ。」
「その件の詳細を教えろ。」
「孤児院の子達のDIDに連動するプログラムを作って、重要な情報にアクセスする度に情報を受け取るプログラムを作らせた。
 受け取った情報を売ることで私腹を肥やそうとした。
 私はハッキング用プログラムは専門外だから彼女に依頼し、サイボーグ化する子供達にミドルウェアと偽ってプリインストールした。
 孤児院の子限定だったのは洛叉が手回し可能だったからだ。
 長期計画だ。
 孤児院の子供達が職につき始めてからようやく効力を発揮する。
 プログラムは暗号化されたテキストファイルの断片を送信するだけ。
 一見無害。
 定期検診のテキトーな問診じゃほぼ見落とす。
 実際、那由多君の入社時期から今まで凡そ7年間バレる事はなかった。」
「どんな情報をどこに流した?」
「顧客情報、事業計画、プログラムソースコード、政府機関残高などなど。
 情報を受信し始めた段階ですぐに合衆帝国諜報局を名乗る組織から連絡があった。
 専属で流してくれたら報酬は1.5倍にすると。
 断れば然るべき処置をとるという事だった。
 私に選択肢はなかった。」
「洛叉がそれに関わっていたとする証拠は?」
 那由多が声をあげる。
「計画実行して2,3ヶ月後くらいからか。
 プログラムが情報を伝達し始めてすぐに合衆帝国から連絡がきた。
 帝国に対してのみ送信しろと言う事だった。
 強大な国家だ。
 逆らえるはずもない。
 根拠はないが彼女がスパイであることは確信している。」
「…」
 那由多は言い返す事ができなかった。
 では本当に絡叉は合衆帝国のスパイなのか…
「…一つ豆知識を教えてあげよう。
 帝国スパイは高い報酬と引き換えに、リモートで起爆するデバイスを脳に埋め込まれる。」
「!!」
 那由多の顔が一気に青ざめる。
「左前頭葉辺りらしい。
 頭蓋骨を開けて表面に超小型の爆弾を貼るらしいな。」
 自分の額を指差しながらニタニタと紫苑が笑う。
「…おそらく事実だ。」
 焔が同調する。
「私も何人か合衆帝国スパイとやり合ったことはあるが、いくつかのケースでいきなり倒れて絶命した奴がいた。
 いずれも脳の損傷で死亡していた。」
「…そんな…」
 手術して取り出すしかない。
 だが、そんな事してる最中に起爆されたらそれまでだ。
 場が一瞬固まった。
「…これに見覚えはあるか?
 コレはその起爆装置なのか?」
 那由多の心配を尻目に焔はそう言って小さいスイッチ型のデバイスを紫苑に見せた。
「洛叉が那由多に託した髪飾りの中に仕組まれていた。
 分析班によると那由多のDIDに連動する『何か』らしい。」
「いや…
 起爆装置は一つではない。
 那由多君に預ける意味もない。」
 紫苑はデバイスをマジマジと見ながら何かを考えていた。
「…那由多君。
 洛叉は本当に君の事が好きだったよ。
 君と関わってから何とか帝国の縛りから抜け出そうとしていたよ。」
 そう言ってデバイスを洛叉に渡した。
「その前提で考えると、合衆帝国の束縛から彼女を解放する手掛かりになるものなのかもしれない。
 ただし、油断はしないほうがいい。」
「…」
 紫苑の目を見た。
 嘘はついてなさそうだ。
「…局長。
 洛叉と7年間過ごしてきました。
 私の事は本当の妹のように思ってくれていました。
 私は押すべきだと考えます。」
「…」
 焔は暫く何かを考えていた。
「7年か…」
 ぽつりと呟く。
「どの道、押さない限り進展はなさそうだな…」
 深いため息をついた。
「わかった。
 那由多、スイッチを押せ。」
「了解しました。」
 那由多はカチリとスイッチを入れた。

『transferOwnership -> Nayuta』

 デバイスから空中にスクリーンが映し出され、そう表示されるとログが勢いよく流れ始めた。
「コントラクトの譲渡…私に?」
「!!
 これは…!」
 暫くログを眺めていた紫苑が声を上げる。
「帝国の所有するコントラクトだ…!」
「帝国の…?」
「コントラクトのアドレスからして、合衆帝国の中央銀行がコントロールするブロックチェーン上で発行されるCBDCで間違いないな。
 そのコントローラーの所有権が那由多君に渡ったようだ…
 そんな芸当ができるのか彼女は…」
 はははと呆れたように紫苑が笑う。
 合衆帝国は経済大国。
 その帝国が有するCBDC…つまり中央銀行が発行する通貨のコントロール権利が那由多に渡ったという。
 洛叉のハッキング能力は合衆帝国の深部まで浸透していた事になる。
 大国のCBDCがハッキングを受けた事はない。
 史上初。
 一国の経済を揺るがす壮大なハッキング。
 どれくらい困難だったか想像もつかない。
 用意周到に準備し、国のトップレベルのセキュリティを掻い潜り、那由多達がデバイスを起動させると確信した上で実行したのだろう。
 最も困難なハッキングを洛叉はやってのけたのだ。
「合衆国の為替状況を映し出せ。
 事実なら為替相場が混乱する可能性がある…」
 焔が声をあげた。
 那由多が手元で為替相場のグラフを表示させる。
 局長の読み通り合衆帝国ドルの価値が徐々に落ち始めていた。
 CBDCに紐付いたDappsは合衆帝国のアドレスに連動して動いている。
 それがどこぞの馬の骨とも知らぬ小娘のアドレスとすり替わってしまったのだ。
 動作しなくなるのは当然だ。
 銀行、為替、保険…
 合衆帝国のあらゆる基幹システムが機能停止し、今や世界中のシステム屋が発狂している頃だろう。
「ちっ!
 交渉材料としてはToo muchだ…!
 紫苑、至急相手とコンタクトを取れ!
 とりあえずこちらの要件としては、流出したデータの削除、情報漏洩に使用されたコントラクトの返還…それと、洛叉の返還もだ!」
「減刑も考慮しておいてくれ。」
 踵を返して部屋を出て行こうとする焔に紫苑が声をかけた。
「局長、何処へ?」
 那由多が心配そうに声をかけた。
「私は関係各所に状況を伝える。
 変な動きをされては困るからな。
 暫くかかるだろう。
 戻るまでに取引場所と時間を決めておけ。」
 焔が部屋を出ていって程なく、紫苑が帝国諜報局から連絡を受けたようだ。
「こちらから連絡するまでもなかったなw
 相当お怒りのようだったよ。
 交換条件に関しては即答でOKだった。
 場所は湾岸植物園跡地。」
 紫苑は意地の悪い笑みを浮かべながらそう言った。
「植物園…」
 何度か洛叉と一緒にいったことがある。
 温室や研究所、日本庭園や小高い丘が連なった散歩コース等の施設がある。
 野球球場2つくらいの広さはあるだろうか。
 結構大きな公園だが人が殆ど来ない。
 湾岸の埋立地を観光用に改修し植物園兼研究所にした場所なのだが、アクセスが悪く、観光スポットとしてもそこまで宣伝しなかったので結局放置された場所だ。
 近くに湾岸が広がり、対岸には摩天楼が聳え立つ。
 植物研究の産物なのかどうかわからないが、遺伝子操作された彼岸花が年から年中辺り一面咲き誇っている。
 彼岸花は仏教色が強く、死を連想させる事もある為一般的に余り好まれる花ではない。
 それが更に客離れを起こしたようだ。
 何故に彼岸花を選んでしまったのか、洛叉とあーだこーだ言いながら散歩した記憶がある。
 だが夜になると風景は一変。
 真っ赤な花が夜露に濡れ、対岸の摩天楼の光を受けてキラキラと輝きを放つ。
 彼岸花の妖艶さと幻想的な夜景が重なり、まるで死の世界から現実世界を眺めてるような、奇妙な錯覚に陥る。
 洛叉はその感覚が好きだと言っていた。
 遠い目で対岸の摩天楼をいつまでも眺めていた。

 焔が帰ってくるまで大分時間がかかった。
 帰ってきた頃には既に午後16時をまわっていた。
 その間に那由多の先輩に当たるサイボーグ二人が応援にきて、那由多と共に万が一に備えて戦闘準備を行った。
 紫苑は応急処置ではなくもう一段まともな整備が行われ、普通に動けるようになった。
 合衆帝国のCBDCに問題が発生した事は、緊急速報で伝えられた。
 プラットフォームは一時停止を行い、緊急メンテ中だと伝えられた。
 CBDCのチェーンが止まると言う前代未聞の大事件は全世界がこぞって報道を行っていた。
 だが、どの局も原因が何なのかまでは突き止められていなかった。
 合衆帝国のFAITである帝国ドルは数時間で30%も価値を下げ危機的状況に陥っていた。
「遅くなった。
 移動するぞ。」
 焔は他のメンバーを急かしながら早足で外に出た。
 那由多、焔、紫苑、二人の先輩サイボーグの計五人。
 用意させておいたスピナーに乗り込み移動を開始。
 バックアップとして狙撃兵を乗せたヘリも要請し、狙撃可能なギリギリの2キロ先のところで待機させる。
 日が暮れる頃、辺りはどんよりとした雲が摩天楼を覆い隠し始めていた。
 皆無言だった。
 目的地に近づいた頃焔が口を開いた。
「事前に話はしてある程度の交渉は済んでいる。
 相手との会話は私がやる。」
「了解しました。」
 二人の先輩がそう返事をする。
 那由多もそれに頷いた。
 目的地駐車場に着くと、合衆帝国のものであろう黒いスピナーが一台既に止まっていた。
 目視できる範囲では6名が既に外で待っている。
 全て黒い外套を羽織っていた。
 内2名が高官のようだ。
 他の3人はライフルを持って高官の後ろに控えている。
 恐らくサイボーグ。
 もう一名、後ろでに縛られ跪くように座らされている人影があった。
「ーー洛叉!」
 着陸体制に入っているスピナーの窓越しに那由多が叫んだ。
 那由多が無意識に戦闘モードに入る。
 鬼の面頬が彼女の顔を覆い、体にシールドが浮かび上がった。
「那由多!
 感情的になるな。
 これは外交交渉に等しい。
 貴様は命令に従え!」
「…うぅ!」
「返事!」
「…し、承知しました…」
 音がするほど奥歯を食いしばって那由多は返事をした。
 程なくスピナーが着陸し、紫苑以外が外に出た。
 帝国側の待つ場所までおよそ50メートル。
 焔、那由多、先輩2人の4人が向かった。
 近づくにつれて洛叉の状態が鮮明になる。
 那由多と別れた時彼女はパジャマ姿だった。
 だが今はFloatingBits社の制服を着ている。
 拷問を受けたようでボロボロだ。
 那由多たちFloatingBitsのメンバーへの見せしめだろう。
 銃弾や刺し傷が多数。
 ワザと致命傷にならないようにつけられている。
 服と体は血とオイルでドロドロだ。
 5体満足ではいるがダメージがどれくらいかは見た目では判断できなかった。
 感覚を切れるサイボーグに対し肉体的ダメージは無意味だが、行為自体から来る精神的ダメージは人のそれと同じ。
 洛叉は俯いていて表情が確認できない。
「洛叉…!」
 悲痛な叫びと共に那由多が地面を蹴った。
 その瞬間二人の先輩に止められる。
「離せぇえぇええ!」
 那由多が雄叫びを上げる。
 羽交い締めしている2人のサイボーグを引きずりながら前進しようとしていた。
 正に鬼神。
 手を放した瞬間ここにいる全員を皆殺しにしそうな勢いだ。
 那由多はそれが可能。
「あのサイボーグ『怪物』です。」
 帝国側で誰かが高官に耳打ちしているのが聞こえた。
 周囲がたじろぐ。
「那由多、抑えろ。
 これは命令だ。」
 焔が那由多の耳元で念を押す。
 那由多の前進は止まったが、羽交い締めされたまま狂犬の形相で帝国の使者を睨みつけていた。
「FloatingBits社、焔だ。」
 焔は先頭に立つと合衆国側に向かって声を上げた。
「…合衆帝国情報局アジア支部のジョン・ドーだ。」
「…合衆帝国様は冗談がお好きなようだ。」
「貴様らこそその気狂いサイボーグをどこぞに連れて行け。」
「彼女が例の権限保有者だ。
 連れて帰ったら貴様らの国は原始時代の物々交換からやり直すハメになるぞ。」
「…」
 最悪の雰囲気で交渉はスタート。
 深いため息の後ドーは続けた。
「我々の要求は既に話してあると思う。
 さっさと指定のアドレスに権限を譲渡しろ。」
「…貴様らのスパイの尻拭いをわざわざ我々がやってやるのだ。
 まずは礼の一つ位あってもいいものだがな。」
「…」
「貴様らが先だ。
 仕入れたデータの全削除。
 情報バッチの権限移管。
 絡叉の身柄の移管。
 さっさとしろ。
 為替が崩壊するぞ。」
「ぐ…!」
 崩壊という言葉を聞いてドーと呼ばれた男が動揺する。
「削除プログラムと例のコントラクトのコントロールを渡してやれ!」
 ドーの横にいた部下の一人がスクリーンを操作した。
 先輩のスクリーンが起動し、帝国側から譲渡された情報が表示される。
 先輩二人が内容チェックを行い焔に向かって頷いた。
「もう十分だろ!
 サッサとコントローラ権限を渡せ!」
 高官が叫ぶ。
「ダメだ。
 実行確認がまだだ。
 この場で実行し、リアルタイムで我々がチェックする。」
 焔が先輩2人に支持を出す。
 3人のスクリーンにログが表情され始めた。
「バッチの権限は我々が持っています。
 停止…しました。
 削除プログラムも実行します。」
「削除ログ、流れ始めした。
 当社の調査リストと照合中…」

 30分位経っただろうか。
 ようやく先輩二人の確認が終了し、焔に問題ない旨報告された。
「ヨシ。
 後は洛叉だな。
 こっちへ連れてこい。」
「いい加減にしろ!
 今度は貴様らの番だ!
 サッサとコントラクトを譲渡しろ!」
 しびれを切らしたドーの側近がそう叫んだ。
「…そっちが先だと言ったはずだ。」
「こんの!
 たかだか一企業舐め腐りやがって!」
 側近が拳銃を取り出す。
「那由多ーー」
 冷徹な焔の声。
 二人の先輩が那由多の拘束を緩めた。
「や、やめろ!」
 ドーが叫んだ。
 側近は激昂していてその静止が耳に届かなかったようだ。
 拳銃を構えると同時に焔に向かって発砲した。

ーーが。

「…あれ?」
 撃たれたはずの焔は倒れていない。
 彼女は生ゴミを見るような眼差しで側近を見ていた。
 側近は焔の右斜め後ろにいる那由多に目を移した。
 片膝をついてレールガンを構えている。
 その銃口からは煙が上がっていた。
「え?な、何が起こった?!」
 弾丸を避けるサイボーグは存在する。
 弾道を見極めて切り落とすサイボーグも少数だが存在する。
 だが撃ち落とすサイボーグは恐らくこの世で那由多ただ一人。
 那由多の固有スキル。
 それは血の滲むよう努力の賜物。
 脳に大量に血液を送り込み超異常活性させることで周りをスローモーションのように見ることができる。
「うわ…あ、ああぁ!」
 側近が無茶苦茶に銃を撃ちまくる。
 それをことごとく那由多は撃ち落としていった。
 焔は眉一つ動かさず立っているのみ。
「くそぉおおぉ!」
「那由多ーー」
「撃てええぇえ!」
 側近と焔の声が重なる。
 帝国側が一斉にライフルを構えた。
「ーー蹂躙しろ。」
 氷のような焔の声。
「悪機滅殺…」
 銃とナイフを構えると、陥没するほど地面を蹴って那由多は突進した。
 瞬時に側近の首を切断。
 振り抜いた勢いを利用し、体を回転させ回し蹴りの要領で頭をボールのように蹴り飛ばす。
 軽快な音と共に側近の頭はどこぞに吹き飛んでいった。
 直後ナイフを投げ、側近の後ろでライフルを構えていたサイボーグの肩を砕く。
 突進の勢いを殺さず二人目の部下に体当たりを喰らわす。
 亜音速に到達していたその攻撃をまともに受けて部下の四肢が千切れ胴体はべこりとひしゃげて吹き飛んでいった。
 急停止した那由多は、吹き飛んでいった部下の頭部を着地前にレールガンで破壊。
 間髪入れずに三人目の部下に向かって至近距離で発砲。
 こちらもピンポイントで頭部を吹き飛ばされ絶命。
 ゴトリと倒れ込んだ。
 瞬く間に4人が行動不能。
「ひいいぃい!」
 ドーは那由多から後ずさりながら尻もちをついた。
 振り返った那由多は2本目の大型ナイフを引き抜くとゆっくりとドーに近づくと、首めがけて振り下ろした。
「待て。」
 焔の声。
 刃は0.001ミリ入った所でピタリと止まった。
 那由多はナイフを引きながら抜くとゆっくり一歩下がった。
「これは正当防衛だ。
 正式に抗議させてもらう。」
 微動だにせず焔が呟いた。
「洛叉は連れて帰る。
 いいな?」
 恐怖で声が出ないドーはカクカクと首を縦に振っただけだった。
「那由多、奴らにCBDCのコントロールを渡してやれ。」
「…了解。」
 那由多は淡々と応じスクリーンを起動した。
「…完了しました。」
「サッサと失せろ。
 二度と私達に関わるな。
 次は殺す。」
 ドーと肩を砕かれた部下は返却確認もせず、ワタワタしながら慌ててスピナーに乗り込んで猛スピードで去って行った。
「洛叉!」
 那由多は戦闘体制を解いて、微動だにせす跪いている洛叉に駆け寄った。
 損傷は殆どが表面的なもので、明らかに精神的苦痛が目的のものが大半だった。
「洛叉、起きて。
 もう大丈夫よ!」
 那由多は洛叉を強く抱きしめて頭にキスをした。
 焔はその様子を遠目で見ながら先輩達に何やら指示を出していた。
 一同が撤収準備をしていると、一台のスピナーが降りてきた。
 高級そうなスピナーから1人の背の高いグレーのスーツを着た男が降りてきた。
 サングラスをかけているため歳はよくわからない。
 40代くらいだろうか。
「公安のワタナベだ。
 焰から事情は聞いている。
 渦中のスパイはソレか。」
「あぁ。」
「受け渡しは終わったか?」
「今しがた終わった。
 帝国側は去って行った。」
「…」
 地面に横たわっている死体を見ながらワタナベはため息をついた。
「まぁそういう事にしておこう。
 では、手はず通り絡叉を処分しろ。
 我々公安とあそこにいる医者が見届人と言う事だったな。」
 そう言ってスピナーの中に座っている紫苑を顎で指した。
「え???
 は???」
 那由多が声を上げる。
「処分??
 洛叉を??
 なんで??」
「…誰だコイツは?」
「当該スパイの…親しい友人だ。」
「友人…」
 ワタナベは少し驚いた様子だった。
「…言ってないのか?」
「…言うヒマが無かった。」
「ウソをつけ。」
 ワタナベは顔を押さえて雑にため息をついた。
「…やれやれ…
 友人なら仕方ない、伝えておいてやろう。」
 そう言うと那由多に向き直った。
「いいか、洛叉に関する処分は諸々差し引いても妥当な判断だ。
 彼女は両国に亀裂を生じさせた。
 あわや国の経済を崩壊させかけた国際的なハッカーだ。
 危険すぎる。
 国は処分の命を下した。」
 那由多の顔がみるみる青ざめていく。
 焔の顔を見た。
 だが彼女は無表情に那由多を見つめ返すだけ。
 そこに救いは無かった。
 彼女は最初から承知していたようだった。
「で、ではなんで連れ戻す必要があったんですか?
 なんで我々が処分する必要があるんですか?
 終身刑でもいいじゃないですか!」
「彼女は我々の手中に収めておく必要がある。
 他国への牽制だ。」
 ワタナベが続ける。
「国家が運用するCBDCが稼働するチェーンのハッキングで成功した事例は過去存在しない。
 彼女が歴史上初だ。
 その手法、それを実行したハッカーは他国にとっては喉から手が出るほど手中に納めたい代物だろうな。
 だから我々は報道ではハッカーを逮捕した事にする。
 他国には我々が世界的なトップハッカーを手中に納めていると思わせる。
 我々に対するサイバー攻撃は鈍化する。」
「そ、それなら尚更生かして活用するほうがいいのでは?」
「生きている限り今回のように拉致されるリスクがある。
 その危険を犯さず、長期に渡って他国を抑制できる方法は一つしかない。」
「私が守ります!
 私なら…」
「何事も100%は無い。」
 ワタナベはキッパリとそう言った。
 那由多は先輩に助けを求めて視線を移した。
 だが、二人共力無く首を横に降るだけだった。
 あの様子だと彼女たちも事前に知らされていたのだろう。
「那由多、お前がケジメをつけろ。」
 焔が那由多に近づいてきて彼女のレールガンを取り出すと手に握らせた。
「嫌…
 無理です!
 撃てません!!」
 那由多はレールガンを払い落とした。
 涙をいっぱいに浮かべて払った手をキツく握っている。
「…暫く、時間をくれ。」
 焔が銃を拾いながらワタナベに静かに言った。
「…いいだろう。
 我々は民主国家だからな。」
 そう言うと彼はスピナーの中に入って煙草を吸い始めた。
 先輩二人は焔と目で合図を交わすと、紫苑の乗っているスピナーに引き下がった。
「どんな状況だい?」
 何も聞こえてない紫苑が窓を開けて無邪気に先輩2人に話しかける。
「さっき那由多君が派手に吹っ飛ばしてたね。」
「…空気読みなさいよ…」
 先輩の1人がため息混じりに腕組みしてスピナーのボンネットに寄りかかった。
「今、洛叉の処分を那由多にやらせようとしてるわ。」
「え??」
 流石の紫苑も驚いたようだ。
 暫く考えていたがポツリと呟いた。
「あ〜…
 酷なことをするな、焔。」
 そう言って目を細め、口元を手で隠した。
 焔と那由多の押し問答は暫く続いていた。
 ようやく那由多に銃を預けると、焔は踵を返してこちらに歩いてきた。
 那由多とスピナーの丁度半分位の所で腕を上げる。
「紫苑、ワタナベ!」
 こっちにこいと言うしぐさだ。
「さて…死体の確認はいつになる事やら。」
  そう言うと紫苑はスピナーのドアを開けた。

 那由多は焔に渡されたハンドレールガンを呆然と眺めていた。
 普通に洛叉と暮らしていた。
 3日前、ドキドキしながら7年越しの想いを告げた。
 彼女も同じ想いだった事が分かった。
 幸せの頂点だった。
 それなのにーー
 ポタポタと大粒の涙が頬を流れ、レールガンを濡らす。

「那由多…」
 洛叉が省エネモードを解いたようだ。
 ぼろぼろの体でふらふらと立ち上がる。
「見て、那由多。
 キレイ…」
 彼女は港に映る摩天楼の方を指さした。
 真っ赤な彼岸花が夜露に濡れキラキラと光っている。
「洛叉…」
 彼女がこちらを振り向くと同時に長い髪の毛がフワリと風になびいた。
 光を受け髪が光る。
 いつもの笑顔。
 綺麗。
 那由多の憧れの存在。
 この笑顔に救われた。
 7年間救われ続けていた。
「洛叉…
 あの…あのね…」
 何とか想いを口にしようとするが言葉にならない。
 洛叉はほほえみながら那由多を抱きしめた。
「那由多。」
 那由多の額にキスをする。
「あなたと出会って、私の人生は大きく変わったわ。」
 抱きしめたまま那由多の耳元で囁いた。
「何とか抜け出そうと足掻いてみたけど、やっぱり無理だったみたい。」
 「なんで…
 スパイなんかになったの…?」
「…妹が居なくなって、私の心は大部分がポッカリ欠落していたわ…
 その穴を埋めたくて、あなたに出会う前に色々手を出したの。
 薬物、男、女、ハッキング、スパイ活動…
 この機械の体とFloatingBitsの名前を出せば大抵の場合何とかなった。
 最低よね…
 そして結局何をしても最後は虚しくなるだけ…
 あなたと出会って、あなたが私の全てになった。
 あなた以外全部捨てた。
 唯一、抜けられなかったのがスパイとしての私…
 このタングステン製の頭蓋骨の中に爆弾が仕掛けられてるせい。」
「相談してほしかった…」
「相手は国家よ?
 無理に決まってるわ…」
「それでも!
 諜報部に所属してる私なら…何とかできたかもしれないでしょ!」
「…那由多。
 頭蓋骨を開けたら奴らに悟られるわ。
 そうなったら一生追われる身よ。
 何年も考えた。
 そして、ようやくたどり着いた今この状態が…私が想定して準備した最善のシナリオ…」
「私に殺されるのが最善なの!?」
「…そうよ。
 合衆帝国に殺されるか、
 司法によって殺されるか、
 あなたに殺されるか…
 前者2つは、私はただ廃棄されるだけ…
 私はあなたを選んだ。
 あなたなら、私の屍を拾ってくれる。」
「嫌!」
 抱きついていた洛叉を押しのける。
「私は?
 私の気持ちは…??
 殺したくないに決まってるじゃない…!」
 悲痛な叫びが辺りにこだます。
「これからいっぱい、洛叉と……一緒に…!」
「那由多…」
 レールガンを持つ那由多の手を洛叉が両手で包み込んだ。
「ごめんなさい…
 あなたも分かってる筈よ。
 もうコレしか方法はない。」
 ゆっくりと自分の頭に銃口を当てる。
「私と出会ってくれてありがとう。」
 銃口からそっと手を離し、摩天楼を背に一歩下がった。
「私と一緒にいてくれてありがとう。」
 もう一歩。
「私を好きと言ってくれて…」
 更に一歩。
「壊れかけだった私の心をあなたは癒してくれた。」
 優しく微笑む洛叉。
「世界で一番大切な私の那由多…
 あなたが私を完成させた…」
 那由多は震える手でレールガンを構えていた。
 涙が止まらない。
 本当にコレしか無いのか…
 撃たないで済む方法はないのか必死に考えた。
 那由多の力を持ってしたらこの場から切り抜けられるかもしれない。
 だが、そうなったら焔は容赦なく二人の義体を機能停止するだろう。
 ここで洛叉を撃たなかった場合、どう足掻いても二人とも死ぬ未来しか思い浮かばない。
 組織から離れた場合那由多達は余りにも無力だった。

ーーあなたの一番大事なものを壊して。

 洛叉の言葉が脳裏に浮かぶ。
 この事を示唆していたのだ。
 こうなると…準備をしておけと言う事だったのだ。
 だが、もう、遅い。
「洛叉…」
「那由多、愛してる…」
 洛叉の目にも涙が溢れていた。
 それでも那由多を心配させないように微笑みを絶やさなかった。
 那由多がトリガーを絞ると同時に銃身にスパークが発生。
 レールガンのコイルが悲鳴のような唸りをあげ始めた。
「私もよ、洛叉…」
 更にトリガーを絞る。
 瞬間、純白の光線がレールガンから放たれた。
 その光線は耳を切り裂く轟音と共に洛叉の左前頭葉を貫き、光の筋を残して空中に溶けていった。
 頭を貫かれた洛叉はその場で後ろに転倒。
 那由多はこと切れた人形のように地面にへたり込んだ。
 顔を抑えて嗚咽を漏らし始めた。
 手がブルブルと震えている。
 レールガンは余りにも重く、ずるりと指から抜け地面に落ちた。
 目は見開いているが何も映し出していない。
 気が狂わんばかりの慟哭が辺りに響きわたった。

 焔達3人はその様子を遠くから静かに見ていた。
「紫苑。」
「…ん?
 あぁ…
 …脳の活動は停止したようだ。
 義体も脳からの信号を受信していない。」
 紫苑はスクリーンを映し出し、洛叉の状態を確認した。
 そしてその画面をワタナベにも送信し共有した。
「ワタナベ?」
「確認した。
 紫苑と同意見だ。」
 二人の意見を聞くと焔は目を瞑って深くため息をついた。
「19時4分、洛叉死亡を確認。
 状況終了。
 撤収するぞ。
 紫苑、那由多を連れて来てくれ。
 …私の声は多分、今の彼女には届かない。」
 焔の声を合図にポツポツと雨が降り始め、すぐに激しい本降りになった。
「焔、彼女は大丈夫か?」
 ワタナベは土砂降りの中、那由多の方を見ながらそう質問した。
「彼女は自ら引き金を引いた。
 あなたが気にかける必要は無い。」
 焔は振り向きざまそう言うとスピナーの方に戻って行った。
「…女狐め…」
 ワタナベは、去り際、焔の口の端が不気味に吊り上がるのを見逃さなかった。

 動かなくなった洛叉の義体をかき抱いて地面に座り込んでいる那由多にも容赦なく雨は降り注ぐ。
「嗚呼、洛叉…
 私は…あなた無しでは生きられない…」
 彼女の慟哭は雨の音にかき消され、近くに来た紫苑以外に届く事はなかった。

第一章 「ドブネズミ」
第二章 「狐面」
第三章「怪物」
第四章「You Complete Me」
第五章「Tangsten Lycoris」


この記事が参加している募集

#SF小説が好き

3,109件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?